三位一体の話① 矛盾と辻褄 | 元J民の色々考察ノート

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聖霊 三位 は 元来 一体 である

 

という考え方は、

古今東西のキリスト教の基本中の基本として信じられている教えであり、

かつ「よくわからない」と言われることが多い。

キリスト教徒だけではなく神学者ですら

「完全には理解できていない」と認める人はいる。

 

しかし三位一体否定「キリスト教」においては認められない。

エホバの証人モルモン教統一教会は、キリスト教の流れは汲むものの

「三位一体」についての考え方が普通のキリスト教とは大きく異なるので

異端にカテゴライズされている。

 

 

三位一体を信じるか、あるいは信じないかで、

聖書の読み方がまったく変わってしまいます。

 

福音書の登場人物として見るイエス・キリストを「」として見るか、

」ではない、とみなすかはまったく違ってくるし

聖霊」を「」と考えるか、

」だけを「」と考えるかによって

」として崇拝する対象の本質がまったく違うものになるからです。

 

カトリック、正教会、プロテスタント諸派

いずれも神は三位一体であることを公式の教義と定める点において一致している以上、

三位一体を否定する新興宗教を、

「私たちキリスト教とは違います!」と、公に否定しているのは自然なことです。

 

 

私はエホバの証人からプロテスタントに改宗された方を

(直接の面識が無い方も含めて)少数ながら知っていますが、

新しい教えを受け入れていく上で最大のハードルとなるもののひとつが

この「三位一体」なんじゃないかな、と思います。

 

 

なぜなら「三位一体」のことが、聖書に書かれていないから。

 

これはキリスト教の聖職者や神学者も認めていることです。

 

 

三位一体がキリスト教の教理として正式に確立されて、

否定派がキリスト教から排除されたのは西暦4世紀のことです。

 

初期のクリスチャンが三位一体を理解していたかに関わりなく、

4世紀までは信者間でも意見が分かれていたのは確実ですから、

この考え方が生まれたのが(あるいは、今の形に成立したのが)

「聖書時代」つまり最後の使徒ヨハネの在命中よりも後である

と解釈がなされる余地が出てきてしまいます。

 

なぜ、聖書には明記されていない「三位一体」なる「神」を

20億人超のキリスト教徒が信じざるを得ないと認めているのか。

 

 

聖書の神は「唯一神」、唯一無二の存在であるにもかかわらず

神のひとり子」であり、神のことを「」と呼んでいるイエス・キリストが、

まるでそのものであるかのように書かれている聖句がたくさんあるからです。

聖霊」もわずかながらそのような表現があるし、

聖霊」自体が「人格」を持っているかのように書かれている箇所もあります。

 

だから「」と「」と「聖霊」は

唯一の神3つの姿(位格)になってあらわれたものとして

ひとまとめにすれば、つじつまが合うと言うわけです。

 

 

wiki「三位一体」に書かれていた正教会の見解。

 

「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、

三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘である

 

三位一体そのものを説明するよりも、三位一体でないもの(異端の教え)を説明し、

それを否定する方がより正確

 

出典が見れなくなっていますが、

この考え方が一番わかりやすい気がする。

 

聖書中で散りばめられている色々な要素を抽出した上で矛盾点を潰していった結果が

」も「」も「聖霊」も すべてが「唯一」の「」だった、と言う答えである。

ただしこれは人間の言葉で完全な説明がつくようなものではない。

父=子=聖霊という単純な図式はどうしても成立しないため

 

考えるな、感じろ。

 

 

問題は、エホバの証人のように「三位一体」は無い、という前提のスタンスでも

聖書そのものは違和感なく読めてしまうということです。

 

エホバの証人は19世紀アメリカで発症したので

初期の信者達は他のキリスト教から改宗したわけですが

たくさんの改宗者を獲得できた理由としては

「三位一体」の否定に説得力があったことが大きいのではないかと考えられます。

 

たしかに、聖書の中には三位一体なる存在は明記されていない以上、

「三位一体」は「聖書」の教えではない、という主張は成立します。

しかしイエス・キリストが神そのもの(〝父〟ではなく)のように

書かれているのも事実です。

 

 

そこで、

イエス・キリスト」が「であるのか、「」ではないのか

という争点に絞り、

それぞれの見解の根拠となる聖句のいくつかをピックアップして

比較していきます。