九十九匹はその場に残したまま、いなくなった一匹を捜しに、山へ出かけるでしょう | 元J民の色々考察ノート

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思うがまま好き勝手に考察を書いていきます

前回に引き続き2世問題。

被害者側に焦点を当てます。

 

 

ある人が百匹の羊を持っていたとします。

そのうちの一匹が迷い出ていなくなったら、その人はどうするでしょう。

ほかの九十九匹はその場に残したまま、いなくなった一匹を捜しに、

山へ出かけるでしょう。

そして、もし見つけようものなら、何ともなかったほかの九十九匹以上に、

この一匹のために大喜びします。 同じように、わたしの父も、

この小さい者たちの一人でも滅びないようにと願っておられるのです。

 

マタイの福音書18章10節-12節(リビングバイブル)

 

エホバの証人の世界本部は、エホバの証人との関わりを断った人達に向けて、

「エホバのもとに帰ってきてください」という冊子を刊行しています。

 

いくつかの文章を抜粋すると、

私たちはあなたのことを心から気遣っています

エホバがあなたに帰ってきてほしいと思っていることを忘れないでください。

どうしてそのことを確信できますか。この冊子が,祈りつつ注意深く準備され

(中略)あなたに届いたからです

等々のメッセージが書かれています。

そして、漂い出た人を「迷い出た羊」にたとえています。

 

それではエホバの証人は、

実際にさまよい出た人達を「迷い出た羊」として気遣っているのでしょうか。

日本のエホバの証人2世で最も厳しく苛烈な教育が行われていた時期は、

おそらく70年代から90年代初頭に集中するでしょう。

 

懲らしめの鞭と称して一度に100回以上も叩くだとか、

親達が「何を使えば一番強い痛みを与えられるだろうか」

みたいな話題に親たちが花を咲かせていたと言われている異常な時代です。

 

※既に有名になっているようですが、

 私がこうした事例を最初に知ったのはネット上の情報ではありません。

 2000年代初頭に、現役信者の複数名から体験を聞かされています。

 

流行りのテレビ番組、音楽、漫画などの娯楽のほとんどが禁止されていたり

学校外で信者ではない人と遊ぶことに制限が課されていたことは、

同世代との対人関係を築く上で支障になったはずです。

 

さらに、校内暴力も今とは比較にならないほど酷かった時代です。

孤立し、異物のように見られたことで、被害に遭われた方もおられると思います。

そして、そのような場合に身を守るために抵抗することも禁じられていました。

 

部活動への参加まで規制されていた時期もあります。

「学校とエホバの証人」という冊子で、

「証人たちの若者は学校で行われる課外活動に参加いたしません

というような文言があったせいか、

自分の身の回りで言えば、私より3年ほど上の世代までは体育会系の部活をすることが

実質的に禁じられていました

(だから「陸上部に所属している主人公」が出てくるビデオが出たのは衝撃的だった)

 

大学への進学については、昔は今とは比べ物にならないほど厳しかったようです。

近年になって大学や専門学校に進学する2世が増えていますが、

90年代初頭までは、進学すること自体が難しい状況にありました。

現役の方から「本当は行きたかったけど、選択肢が無かった」(恐らく親が長老だったため)

という話を伺ったことがあります。

未信者の父親の意向で大学への進学を選んだ子が長老から責めるようなことを言われ続けて

信者を辞めたと言う話も二度は聞きました(これは当事者の親が情報源なので真偽は不明)。

さらにエホバの証人の組織内では、パートタイムの仕事を選んで、宣教活動にできるだけ

多くの時間を費やす開拓者としての生き方が推奨されていたので、

多くの若者達が、正社員としての職歴が無いまま宗教活動に人生を捧げてきました

 

そして、これらを経験した世代の大部分が、就職氷河期と重なっています。

 

同級生で、高卒の人が条件の恵まれた優良企業に容易に就職できたのに対して、

4年遅れで就活を迎えた大卒は、就職氷河期に当たってしまったことで

正規社員になることすら難儀した、と言われる程に過酷な変化だったようです。

 

ただでさえ安定した職に就くことが難しいという条件下で、

学歴も、正社員としての職歴も無く、まともな部活すら経験が無いというのは、

経歴として重大なハンディキャップとなってもおかしくはありません。

「非正規の短時間の仕事」でさえ、高校卒業後に進学しているか、いないかで

選択肢が大きく変わるのです。そして、非正規雇用の期間が長ければ長いほど、

後に優良企業に就職することは難しくなります。

 

コロナ禍のような非常事態でたくさんの人が仕事を失う時、窮地に立たされるのは

誰にでもできるような極めて敷居の低い非正規雇用の仕事にしか就けない人達です。

若い頃ずっと怠惰を貪り続けていたせいで取り返しがつかなくなった者もいますが

エホバの証人の2世はそうではありません。

強制された場合も、自分の意思によりそれを選んだ場合も、

本当に幼い時からあらゆる娯楽や趣味などの楽しみ、はては人間関係すら制限して

宗教に人生のほとんどを費やすという禁欲的な生活を続けてきた結果です。

 

これで組織から排斥をされている場合、状況は更に深刻なものとなります。

 

この世代のエホバの証人はかなり若い段階でバプテスマを受ける傾向にあります。

私の知っている範囲では、70年代生まれのJW2世は

中学生バプテスマを受けた人が多くを占めています。

先述した通り、この年代は幼少期から鞭を使った体罰を繰り返されることで

思想を統制され、「世俗」との関わりを徹底して制限されていたため、

親と組織の価値観を一方的に植え込まれていました。

十代半ばというのは、自分の生涯の方向性を決定するには早すぎる年齢です。

一つの生き方だけが提示され、それ以外の可能性が実質的に与えられておらず、

判断能力が未熟な少年時代に、周りに合わせて、あるいは親や長老から推奨され

(これは実例を知っています)、他の選択肢が無い状態で受けたバプテスマは、

自分の意思で行った「献身」と言えるのか――

いずれにせよ、未熟な年齢でバプテスマを受けた後、排斥された方々がいます。

 

宗教ゆえに学歴も職歴も人並みの人生経験も与えられないまま、

一部の人達は家族からも棄てられて、社会に放り出されました。

 

エホバの証人の家庭で育ったために、

同世代との人間関係が制限されていたこと、

経済的な理由に関係なく進学が許されなかったこと、

宗教活動を重点に置くために正規雇用のフルタイム労働に就かなかったこと、

こうした過去の積み重ねは、

エホバの証人という生き方を一生涯続けない限り、

ほとんどの場合はデメリットにしかなりません

その生き方そのものも、費やしてきた成果も、

エホバの証人の組織が求める生き方から離れてコミュニティから隔絶された瞬間に

すべてが無意味になります。

そして排斥された人の多くは、家族とごく普通に会話することまで禁じられます。

 

だから被害者達が声を上げる事態になっているのです。

宗教2世の被害は、幼少期の被虐体験という一過性のものではありません

後の人生にもたらす影響が大きすぎるのです。

今現在、公に組織を告発している被害者と、それに協力されている方々の多くは

今現在も宗教が原因による辛い思いに苦しみ続けているのではないでしょうか。

 

イエス・キリストが生きていた時代、

イスラエル人は神様に動物の供え物を捧げる義務がありましたが、

キリストはその供え物よりも優先すべきものがあると語りました。

 

ですから、神殿の祭壇に供え物をささげようとしている時、

人に恨まれていることを思い出したら、 供え物はそのままにして、

相手に会ってあやまり、仲直りをしなさい。

神に供え物をささげるのはそのあとにしなさい。

あなたを告訴する人と、一刻も早く和解しなさい

 

マタイによる福音書5章23節-25節 (リビングバイブル)

 

 

エホバの証人の宗教指導者は注意深く準備された冊子の中で

「戻ってきてください」と口先三寸では仰られていますが、

どうして反感を抱かれている原因には一切目を留めなかったのですか?

離れていった者の多くが望まない生き方を強いられたために

「辛い思いをした」「多くのものを失った」と感じているから恨まれているのに

体制側の立場で落ち度を認めて謝罪することもなく

そもそもこの問題に自主的には一度も向き合おうとしなかったのに

どうして「戻ってくる」ことを平然と要求できるのですか

 

上で言ったような宗教2世被害の実態は、マスコミや行政が介入するよりずっとの段階でも

内情を把握している人間なら容易に気づくことができたはずです。

 

組織は「迷い出た羊」を気遣っていないし、帰ってきてほしいとも思っていません。

残りの羊たち――放っておいても自分の意思で喜んで組織とどまる信者たち――に、

より一層強い忠誠を求めるべく教材を充実させることにしか関心を持ちませんでした。