子どもたちの信仰を失わせるような者は海に投げ込まれたほうがよっぽどましです② | 元J民の色々考察ノート

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思うがまま好き勝手に考察を書いていきます

前回の、親と組織が子どもたちの信仰を失わせた、という話の追記。

 

 

1世の親たちの中には、

過去の教育方針に問題があったと思っている人達がおられます。

私が成人直前の「不活発」気味だった頃、

1世の親を経験した信者さんとエホバの証人の昔の育て方について話した時に

「あなたたちには本当に酷いことをしてしまいましたね。ごめんなさい」

謝罪をされたことが幾度かあります。

おそらくは、当時の育て方がどのような結果になったのか体験されているからこそ

若い私に対して気遣いを示してくださったのでしょう。

現役1世の親世代の方の中にもこのように考える方達がいることを最初に申し上げておきます。

 

ただ、これが親子間になると、

「非を認めず、謝らない」

「善意で行ったことだと反論される」

「組織を離れたこと自体を咎められる」

みたいな話は多い。

人間は、自分自身の行いに対しては素直に非を認めることが難しいのかもしれません。

 

また「いき過ぎた懲らしめ」に対してはある程度の落ち度は認めるものの、

少しでも「組織」に対して非難するような発言をすると、

お前は背教者だとばかりに激高する、という場合もあります。

これは私自身、旧知の信者の知人との会話で、似たような経験をしています。

「体罰」や「過剰な制限」より、こちらが「組織を咎めるような発言をする」ことの方が

はるかに重大な問題であるかのように言われるのです。

 

子どもが排斥等されている場合は、特に強硬な態度を取り、

(2010年代の大会で放映された動画に忠実に従って)

子どもからの連絡をすべて拒絶して

一切コミュニケーションを取らないようにしている人々もいるのでしょう。

実際はごく普通に家族付き合いしてるっぽい現役ベテランもいるんですよ

 

原因として考えられるのは、親側の認識の根底に

「いかなる理由があっても組織を離れた者が悪い」という思想があるからかもしれません。

 

いずれにせよ、「宗教2世被害者」として声を上げておられる方達の多くが

現在進行形で、現役信者の実親との軋轢が解消されていない状態のように見受けられます。

 

 

さて、

世間で問題視されるようになったエホバの証人の教育方針について、

エホバの証人の組織自体はどのように言っているでしょうか。

 

「エホバの証人」2世信者“多くが親から虐待経験” 支援弁護団

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231120/k10014263521000.html

 

「エホバの証人」2世らでつくる団体 国に実態調査求める

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231128/k10014271211000.html

(NHK)

 

「辱めだった」…エホバの証人で「性的虐待」159人が被害申告 集会で性的文言の音読強要 宗教2世ら調査

https://www.tokyo-np.co.jp/article/292794

(東京新聞)

 

 

複数のニュース記事において、エホバの証人の組織の取材に対する公式回答は

いかなる場合に置いても「虐待行為は容認しない」というものでした。

 

一番上に取り上げたニュース記事によれば、厚生労働省は

 

・理由のいかんを問わず児童をたたく、

 むちで打つなどの暴行を加えることは身体的虐待にあたる

・「滅ぼされるなどのことばを使って恐怖の刷り込みを行い

 宗教活動などへの参加を強制することや、

 進路や就労先に関して子どもの自由な選択を阻むことは、

 いずれも心理的虐待やネグレクトにあたる

 

という通達を行ったことが書かれています。

 

エホバの証人の2世の多くは、こうした経験をしてきました。

つまりエホバの証人の親たちが行ってきた行為は紛れもない虐待にあたります。

 

そしてエホバの証人の組織の虐待行為を容認していないという公言を事実と仮定するなら

虐待の責任にあると考えければならなくなります。

 

エホバを代表する組織であるエホバの証人の組織様が仰せになられているのなら、

組織に従う親達は、全責任を負って誠実に非を詫びるべきではないでしょうか。

 

(実際には組織内で推奨されていたことなので組織に一番の責任がありますし、

被害者側もほとんどは組織が主導して行ったことだと認識しているはずですが、

今回はあえてそこは強調しません)

 

 

子供たちに対する扱いを正当化することは、

エホバの証人の組織や、キリストに対する忠義立てにはなりません。

ただ、自分自身を正当化しているだけです。

 

昔のニュース記事ですが、Newsweekによると組織は取材に対し、

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/11/21131_1.php

 

「方法は各家庭で決めることだ。体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ

と、体罰が行われたことに対して失望の意を示しているだけではなく、

体罰が行われていることすら把握していなかったような言い方をしています。

「本当に余計な真似しやがって!こっちはいい迷惑だ!」という心の声が聞こえてきそうですね

虐待行為エホバの証人という宗教団体と結びつけられているということは、

親たちはエホバの証人の組織に迷惑をかけてきたということになります。

そんな行為を正当化することはエホバの証人の組織のためにもなりません。

 

 

イエス・キリストへの忠義でもありません。

キリストは小さな子供の信仰を失わせるような者は

死に値するほど重い罪だと極めて厳しい口調断罪しています。

キリストは、それだけ子どもたちのことを大切にすべき存在として愛していたのです。

聖書の指針に忠実に従って教えてきた」なんて言い訳をしたら、

天使さまが憤怒の表情で臼石を担いでやってくるかもしれません。

 

今日の「日々の聖句」の参照資料には

組織のルールに違反するという「罪」を犯した信者を排斥するかどうかにあたって

長老たちは以下のことを考える、と書かれています。

 

・罪を隠そうとしていただろうか。

・ある程度の期間にわたって繰り返し罪を犯しただろうか。

・最も重要なこととして,

 その人は心から悔い改めていることをはっきり示しているだろうか。

・エホバがその人を許していることが明らかだろうか。

 (ものみの塔2022年6月号)

 

1世の親たちは、これから子どもを鞭で叩こうというときに、

子どもが言い訳をしたり、自分を正当化したり、逆ギレしたら、

反省していないと判断して、さらに厳しく叱責したのではないでしょうか?

 

今の世で言う「虐待」に当たる行為を受けた側の訴えに対して

言い訳をしたり、正当化したり、逆ギレしたら、

関係は極めて悪化し、心は遥か遠くに離れていくでしょう。

 

「あの時は正しいと思っていた」?

キリストは時代によって変わることはないと書かれています。

(ヘブライ人への手紙13章8節)

さらに、今のエホバの証人が「虐待は間違っている」

否認している以上、正当化の余地は一切ありません。暴力は暴力です。

 

「あなたのことを思ってやった」?

子どもの時から十数年たった今でも、辛い感情を吐露されている方達がいます。

それは未だに心に受けた傷がいえてないということです。

その傷をつけた行為そのものについて

「あなたのためにやったんだ」なんて恩を着せるような言い方をされたら

言われた側はどう思うでしょうか?

そもそも本人のためにならなかったから軋轢が残っているんです。

 

「私だって辛かった」?

2世被害者とは違い、司会者に叩かれて強要されたわけではないでしょう。

自分の意思で進んで行っていたはずです。

 

 

子どもが「エホバの証人」を批判するようなことを言った場合、

自分が信じるものを否定されたことで、親はムッとするかもしれませんが、

子どもたちが「親の育て方」のせいで

「エホバの証人」を嫌っているのであれば

が「エホバの証人」を嫌いにさせたわけですから、

まず自分の行いに非があったことを認めるべきでしょう。

それがなければ、宗教に対する対する嫌悪感ずっと強まり続けます。

 

人からしてほしいと思う通りに、人にもしなさい。(ルカ6章31節)

 

相手のことを思って心をにするのと、自分のために意地を張るのは全く違います。

相手の思いの丈を遮らずにすべて受け止め、

相手が深く傷ついていることを理解し、

落ち度がある点は潔く非を認める。

何より、その議論に限っては、何を言われても相手を非難するような反論は一切言わない、

一方的に傷つけられた被害者は相手の方なのだから。

これらのスタートラインをクリアすることができなければ、凍てついた心は解けません。

 

 

 

・・・と、親側に対して思うところを色々と書き連ねた理由としては、

親側が子供の主張を真摯に受け止め、気持ちをよく慮り、傷つけたことに対する

謝罪の意を伝えることを契機に、親子の関係が改善される可能性はあるからです。

実際に親側の態度が変化した結果、軋轢が解消された例を身近でも知っています。

2世被害者側がそれを受け入れるかどうかは別問題。失った時間は二度と戻りません

 

ただし親側が子どもの言い分を認めて謝罪した上で和解に至ったケースというのは

私個人が知る限りではいずれも2022年以前の話です。

エホバの証人が虐待を行っていた事実が公に広まった今でもなお

間違いを決して認めようとしない1世の親達は、

たとえば、上で書いたようなコトを聖書を使って整然と主張したとしても

あっさり拒絶する可能性が高いと思われます。

 

何故なら組織が宗教2世の被害者達の訴えを無視しており、

虐待行為は非としながらも、それを組織に関連付けるような指摘は非難しているので

その組織の態度に従っている親たちは組織と同じような態度を取ってしまうのです。

 

(だから組織が親達に「子供たちに謝ってください!」と命じれば、多くの人が速やかに謝罪するはずです。

 でもそれは組織に盲従した結果であり、本人の誠意ではないので、軋轢の根本的な解消には繋がりません)

 

2世問題の本質は、やはり「被害者」と「組織」を中心軸にして考えるべきかと思いますので、

次はそちらについて触れようと思います。