前回は、キリスト以前の善人達が得るのは、
「天的な希望」と「地的な希望」どちらが正しいのかについて語りました。
その続きです。
今回紹介する聖句はこちらです。
今までに生まれた人の中で、バプテスマのヨハネほどすぐれた働きをした人はいません。
しかし、神の国で一番小さい者でも、ヨハネよりずっと偉大なのです。
マタイ11章11節 リビングバイブル
エホバの証人は、この聖句を根拠に挙げて、
バプテスマのヨハネを含むキリスト以前の善人達は天国に行く資格が無いと教えています。
本記事では、この考え方が正しいかを再考します。
前提として、人類はキリストの死によって永遠の命を得る希望を与えられたというのが
キリスト教の基本となる教えです。
実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、この世界を愛してくださいました。
それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。
ヨハネ3章16節 リビングバイブル
使徒達や同時代のクリスチャンは、天的な希望を抱いていたことは前々記事で語りました。
彼らが天国に行く資格を得ることができたのは、キリストの死より後であると言えます。
彼らの昇天は、死によって生身の肉体を捨てることを意味しました。
私たちがいま住んでいる地上の家が取りこわされても
(すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れても)、
天には新しい体、永遠に保証された家があります。
今のこの体は傷み衰えていますが、
天で与えられる体を新しい着物のようにまとえる日を、首を長くして待っているのです。
コリント人への手紙Ⅱ 5章1節(リビングバイブル)
さて、今回取り上げたマタイ11章11節でイエスがヨハネについて語った時、
その少し前の箇所に書かれてある通り、ヨハネはまだ生きていました。
イエスの死後に天国に召された人と、まだ生きている段階のヨハネでは、
当然、立場が異なります。
なので、ヨハネが神の国の中にいる誰よりも劣るものとされていることは、
ヨハネが天に行かないと言う絶対的な証拠にはならないと思います。
②に続きます。
余談。
リビングバイブルで「神の国」と書かれているワードは、
エホバの証人が使用している聖書では「天の王国(Kingdom or the heavens)」と
表記されており、日本語訳ではマタイによる福音書にのみ30回以上出てきます。
エホバの証人の聖書の中でいえば、天の王国は
「神の導きが必要であることを自覚している人(5章3節)」、
「正しいことをして迫害されてきた人(5章10節)」、
「(『主よ、主よ』という人全員が入るのではなく)
私の父の望むことを行う人(7章21節)」のものであると書かれており、
「海におろされてあらゆる種類の魚を集める引き網(13章47節)」
になぞらえられています。
しかしエホバの証人の刊行している
「これまでに生存したもっとも偉大な人」および「イエス 道 真理 命」は、
その天の王国に、バプテスマのヨハネが入ることはない、とはっきり断定しています。
もしバプテスマのヨハネが入ることができないのであれば、
同じく天的な希望を持たないとされる「大群衆」にとって、
上に挙げたような聖句がすべて、まったく関係ないものになってしまう。
・・・という結論につながりかねません。