ずっとずっと何か足りないと
思いながら使ってきた言葉。
「ありがとう」
「有り難う」
何かをしていただいたり、
何かをいただいたり、
何かを持っていること、
何かが有ること、
何かが起こったり、
何かが起こらなかったり、
こんな時にそんな言葉を使ってきたけど、
何かしっくりこなかった。
意味が足りないような気がして。
このブログを始めて、
多くの方々に
「生きていてくれてありがとう」
と言っていただいた。
とっても有り難い言葉だったけれど、
正直戸惑った。
私が生きていて何が?と。
先日コンビニまでをよろよろと向かう途中、
意識は朦朧としていたが、
周りに見えるものに
ありがたいと感じた。
こうして感じられるのもそれが在るから、
自分がまだ在るからだとも思った。
そうしたら、
「在り難う」
と思えた。
自分と周りの全ての存在、世界に。
ただ'在る'ことが'難い'奇跡。
「在るだけでいい」
「やっと意味が満ち足りた」
これまでの過去も今この瞬間もみな、
出来事も存在も感情も思考もみな、
我彼が在ることで経験できたのですね。
それをどう意味付けしようと。
これまでの半年間、
皆様には
このブログを通してたくさんのお話しや
やりとりをしていただき、
たくさんの気づきをいただきました。
また、訪問していただいただけでも
大きなはげみになりました。
生きている明日を想像できるのは
ひとえに皆様の存在があってのことです。
心から皆様には在り難うございます。
心の中にたくさんの虹彩が映えています。
皆様の存在という愛と光を
私はずっと忘れません。
一方で私の未熟さが故に傷つけてしまった
方々も多かったでしょう。
心が小学生のままで人様との距離感や
関係性が適切に取れなかったの
かもしれません。
本当に申し訳ありませんでした。
人の世に
雨音く寒悲に打震え
天音く慈悲に打震う
零るる涙に別無し
一の夜は夢
血へど吐き死ぬる喜び
取り置きて
地の土掻き分く爪の綻び
重ねども
傷掻く爪はまた伸びる
我という名の
業の深さよ
帰り見て
省みざらぬ
この半生
顧みて
還り観るらむ
この人生
尾崎豊さん「傷つけた人々へ」
Billiy Joelさん「Honesty」
今日もありがとうございました。