上矢印

昨日、ブログを書いたあと、気づいたことがあります。

 

 

『本当のわたし』が、「やりたい」と願っていることを、現実世界にいるわたしが体験すると、

 

胸の中が満たされ、豊かさを味わい、楽しさを感じ、ワクワクして、満足感を感じます。

 

 

 

これは、「やりたい」という、明らかな想いです。

 

 

 

 

昨日のブログに書いた、ミキサーが手に入ったのは、

 

わたしの夫に対する想いが、宇宙に届いた。

 

 

 


上矢印

知人にミラクルが起きたのは、知人が、もっと自分たちが発行している新聞や冊子を読んで欲しいという想いからでした。

 

 

いつぞやのブログでも書きましたが、

 

車を買えない彼女が、「どうしたって車がいるのに、どうしろというの!」と泣きじゃくった後に、彼女の母と姉から、車をプレゼントしてもらった。

 

ここには、車が欲しいという願いより、今のまま生活を続けていきたいと思うような想いがあった。(想像ですが)

 

 

 

 

うちの隣にある田んぼが売れる前のわたしの想いは、

 

「主人が、草を刈らなくてもいいようにならないか。」

 

という想いからでした。

 

 

 

 

わたしが、「クリスマスなんていらない!」と、神様にやけくそに言ったのに、クリスマスに幸太郎が体調が良くなって3ヶ月を過ごすことができた。

 

この時のわたしの想いは・・・

 

「幸太郎が、元気になって欲しい。」

 

 

 

 

 

ふと、思った願いが叶ってしまうのに、意識して、願ったことは叶わない。

 

 

 

何かを願う時、その願いの奥には、『想い』があります。

 

 

自分が、持っていないから欲しいと願ったり、

 

誰かの為に、それを願ったり・・・

 

 

 

目に観える結果を望んでしまいますが、

 

宇宙が反応しているのは、その願いの奥にある『想い』じゃないのか?

 

そう思ったのです。

 

 

 

今までの自分の体験や知人達のお話しから、

 

『鏡の法則』である『鏡』に投影され、「表側のわたし」が反応するのは、「裏側のわたし」を観ているからですが、

 

投影されるのは、

 

裏側にある、「わたしの想い」なのかもしれません。

 

想いは、無意識に思っていることだと、わたしは思います。

 

「想い」が、→ 「思い」になったとき、それは無意識ではなくなります。

 

 

しばらく検証していきたいと思います。