「願いを叶える」

 

 

わたしは、わたしが欲しいと思うモノを手に入れるコトが、「願いが叶った」ことだと思っていました。

 


もう、8年くらい前のことですが、知人が、「これでジュースを作ると美味しんだよ。」と、自分が使っているジューサーを、わたしの家に持ってきてくれました。

 

 

 

りんごやにんじん、レモンなどを、そのジューサーにかけて出来上がったジュースを飲んだら、調味料など一切入れてもないのに、ものすごく美味しかったんです。

 

わたしは、このジュースを、毎朝早くに出勤する主人に飲ませたいと思いました。

 

翌日は、ひろ子さんとランチに行くことになっていました。

 

わたしは、明日、ひろ子さんにこのジューサーのことを話して、一緒に電気屋さんに行ってもらおうと思いました。

 

当日、ひろ子さに会って、早速ジューサーの話しをすると、

 

「それ、うちにあるからあげるわ。」

 

そう言うのです。

 

ひろ子さんも、知人が使わないからともらったもので、一度使ったきりそのまま置いてあるというのです。

 

わたしは、大喜びしました。もちろん、遠慮なくもらいました。

 

 

この頃のわたしは、スピリチュアルの本を読んでいましたから、「願いが叶うって、こういうこと?」って、お金を使わずにミキサーが手に入ったこのミラクルを喜んでいました。

 

こういう体験をすると、自我はとても正直に発動して、「また、欲しいモノを手に入れたい。どうしたらそうなるんだろう。」そんなふうに思っていました。

 

今ならわかります。

 

叶ったのは、ミキサーをもらえたことではなく、わたしが主人に、

 

「体に良い、こんな美味しいジュースを飲ませてあげたい。」

 

その想いが、叶っていたんです。

 

 

 

 

わたしの知人男性(50歳)が、昨年末、ガンだとわかりました。

 

彼は、ずっと、死にたいと思っていたといいます。言うなれば、願いが叶ったことになります。

 

ただ、いくら死にたいと思っていても、それが現実になると、やっぱり凹んだそうです。

 

 

 

今年に入って早々に手術をすることになっていた彼は、年末から友達に会いまくり、美味しいモノを食べまくり、お酒も好きなだけ飲むと決めました。

 

手術は無事終わり、彼は、勇気を出して、ドクターに余命のことを聞いたそうです。

 

抗ガン剤治療をしなければ、10ヶ月。抗ガン剤治療をすれば、30ヶ月。そう言われたそうです。

 

30分凹んだ彼は、2月に入ったら抗ガン剤治療を一度やってみて、セカンドオピニオンもすると決めたそうです。

 

彼は、2月の抗がん剤治療を開始するまで、再び友達と会い、飲んで食べてをしています。

 

 

彼は独身で、40歳の時、貯金が全くなかったのですが、これではいけないと500万貯めたそうです。

 

今は、仕事を辞めて、これからは体調に合わせて、やりたいことをやっていくそうですが、

 

死ぬまでにやりたいことを10コ上げようと思ったら、5コしか思いつかなかったと言います。

 

そんな現状の彼ですが、

 

「今が、生きてきて最高に幸せ」だと、顔を高揚させて言います。

 

 

 

 

 

先週の金曜日に、心筋梗塞の治療を受けた兄は、今も入院中ですが、順調に回復しています。

 

何でもそうですが、ダメージを受けた部位(臓器など)は、一旦安静にする必要があります。

 

傷をしたり、骨折をしたり、肝臓や腎臓、胃も何もかも、ダメージを受けた場所は、一旦、はたらくことを止めさせて、安静にして修復させます。

 

心臓は、意図的に休ませることはできません。もっとも休んだら、死んでしまいますねゲラゲラ

 

休ませる方法として、拍動数を少なくして、落ち着かせます。

 

でも、心臓の拍動は、コントロールできません。走れば回数が増えるし、驚いても増えますし、不安になっても増えます。

 

ですから、心も体も、穏やかに落ち着いた状態でいたいわけです。

 

それでも早い場合は、拍動を抑える薬を内服したりします。

 

そんなことは、医者である兄は、100も承知です。

 

安静にし、出された食事は完食しています。

 

そんな兄が今日は、

 

「ゼルダの伝説をやりたい!」「美味しいご飯が食べたい!」

 

そう言いだしたと、義姉からLINEがありました。

 

「やりたい!」を言いだしてきたら、絶対に良くなります。

 

 

 

 

 

『わたしの願いを叶える』とは、

 

『本当のわたしの願い』 = 『やりたい』です。

 

 

 

わたしは、ずっと、この「やりたい」という願いを叶えています。

 

 

朝、「起きたい」から始まり、

 

「朝食はこれを食べたい」

 

「トイレに行きたい」

 

「掃除をしたい」

 

「料理をしたい」

 

「洗濯をしたい」

 

「本を読みたい」等々

 

わたしが、「やりたい」と思っていることは、全て叶えています。

 

 

 

そんな日常なんて、どうでもいいと思うかもしれませんが、「やりたい」と思うことを満足させることは、半端ない満足感で満たされます。

 

 

大谷選手が、「野球をやりたい」のも、藤井氏が、「将棋をやりたい」のも、

 

知人の「やりたい」も、兄の「やりたい」も、わたしの「やりたい」も、何も違わないと思っています。

 

この「やりたい」が、わたしを動かします。

 

この「やりたい」が、わたしに幸せを感じさせてくれます。

 

 

『ただ、幸せになる』

 

それは、とてもかんたんなことでした。