幸太郎の入院に付き添っていた時、
“私が、不安な顔をしていてはいけない”
“幸太郎が不安に思うようなことを言ってはいけない”
“幸太郎の病気のことは考えてはいけない”
いつも、そうやって
自分の不安や恐怖という感情が浮上してきたら、
表情に出ないように、
言葉にしないように、
押さえつけていました。
それが、幸太郎の為だと思っていたからです。
でも、結局は、幸太郎自身が、
“お母さんを、不安にさせてはいけない”
“お母さんに、心配させてはいけない”
と、思わせていたのだと、今ならわかります。
だから今、私は、反省しているのです。・・・というお話しではありません。
あの時、何が起こっていたのかを知ることができるようになった、
今の私がいます。
職場に出勤して、
誰も何も言わなくても、
“ん?何かあったのか?” とか、
“あぁ、あの人今日は機嫌悪そうだから、近づかないようにしよう。” とか、
“このことを上司に相談したいけど、今、不機嫌そうだから後にしよう。”
そんなふうに、
いわゆる、その場の空気を読んでしまうことがあります。
それは、相手の態度や言葉の強弱などから、こちらが判断して、
触らぬ神に祟りなしと、
これ以上、状況が悪くならないようにと、当たり障りなくやり過ごしたいと思うからです。
そんなふうに気を使っている状況なのに、
全くその場の空気を読まずに、不機嫌な上司に相談をしにいくバカな同僚がいて、
“え~💦 今いくぅ~”
と、こちらが心配しているのに、
上司と笑って話しをしている。
主人が「がん」になって、何か考え事をしている様子を見ると、
“何か、ネガティブなことでも考えているんだろうか。ネガティブなことを考えると、そのネガティブなことが起こるから良くないのに。”
そんなことを、私が思っていると、
「あぁ~、お腹が減ったなぁ、何か食べる物ある?」
などと、私が思っていたことと全く違うことを言い出す。
私は、自分が思っていることと現実が違う時、心の中で笑ってしまいます。
笑いながら気づくんです。
私が思っているだけで、何一つ当たらない。
この世界の構造を知っていくうちに、
相手は、「私の意識の鏡だ」と、心底わかるようになりました。
言い換えれば、
自分のことがわかっていないのは、私自身だったのです。
相手が不機嫌に見えるのは、
私自身が、家庭で不機嫌なことがあったからでした。
いえ、相手が不機嫌なのは、全て私のせいだと言っているのではありません。
相手が不機嫌であることは、私にはどうしようもありません。
そういうことではなく、
「そこに反応した私がいる」ということです。
言葉にしていなくても、表情には出していないつもりでいても、
気配(エネルギー)は、気づかれてしまいます。
よく、離婚しようとしている夫婦が、
「子供の前では、夫婦仲良くしています。」
などと言いますが、子どもにはバレバレです。
おさらいをすると、
相手は、必ず自分の無意識を映し出してくれます。
これは、自分の意識を調える為に、本当に素晴らしい構造だと思います。
現実世界と同じで、
自分は自分の姿を観ることができず、観るためには、鏡を使うしかありません。
意識の世界も全くこれと同じ構造です。
自分の意識の世界が映し出されているのですから、
自分の意識の世界を変えない限り、相手はそれを観せてくる。
それは、環境が変わっても、人が変わっても同じです。
私は、父親に怒鳴られて育ったので、父が大っ嫌いでした。
でも本当は、愛してほしいと思っています。
ですから、好きになる男性は、全て年上でした。
望む男性象は、優しい人、怒らない人、でも、私を引っ張ってくれる人。
でも、甘えたくても甘えられない。
何故なら、怒られるのが怖いからです。
主人は、私より7歳年上です。
出会って3ヶ月で婚約し、その3ヶ月後には結婚しました。
最初は優しい人でしたが、直ぐに怒る人になっていきました。
でも、私はその環境に慣れていますから、我慢できるわけです。
今の主人は、真逆です。
本当に優しい人です。
甘えることもできます。
私は、自分の意識が相手に投影されていることに気づいてから、
徹底的に自分と、自分が観た世界を照らし合わせるようになりました。
一言で言えば、
「自分を調える」ことに徹したのです。
自分が生きてきた体験の中で、
自分が信じ込んでしまったこと、
執着していること、
手放してもいいことを、全て観せてくれていることがわかりましたから、
徹底的に、自分の意識と向き合いました。
そのプロセスの中で、
ポジティブもネガティブも、そう判断しているのは、「わたし」なんだと気づきました。
感情が反応するのは、気づかせてくれるサインだとわかりました。
脳のRAS(フィルター)を、できる限り無くしていくと、
相手が望んでいることを、自然にやっていたり、
また、私が望んでいることを、何も言わないのにしてくれたりします。
「鏡として映っている」と感じます。
気を使わなくていい世界。
気を使わせなくていい世界。
こんなこと言ってはいけないだろうかとか、
こんなこと聞いてはいけないだろうかと、
気を遣わずに生きていけるこの世界は、
とても穏やかです。



