今日、Amazonから、私の書いた本が出版されました。

 

昨年9月中旬に出版社に原稿を提出し、出版まで11か月の月日が流れ、ようやく出版することができました。

 

あと1ヵ月ほどのちには、楽天からも出版されます。

 

 

 

1冊目の「自我の世界ともう一つの世界」の半分は、幸太郎が発病してから亡くなるまでと、亡くなってからの、携帯電話の発信や、母の日のカーネーションのプレゼントをもらったことなど、人は死んで体が無くなっても、意識は存在していることがわかるように、写真付きで書いています。

 

残り半分は、その亡くなった幸太郎が、私にしかわからない方法で、この世界のしくみを教えてくれた内容を記載しています。

 

 

幸太郎が亡くなっただけであったら、私は本を出版することはなかったと思います。

 

だけど、幸太郎は、亡くなった直後から色んな方法を使って、自分の存在を教えてくれました。

 

最初は、私自身がその出来事に対して、私の幻覚や幻想だと思いました。

でも、それでも、幸太郎とつながっていることが、とても嬉しかったのです。

 

 

幸太郎は、ホテルマンとして働くために、専門学校に行っていましたが、働きたくて働きたくて仕方なかったのです。

 

だから、2012年4月にホテルに就職して、フロント担当になり夜勤もするようになり、早く色んなことを覚えて、役に立ちたいと思っていました。

 

でも、働いてわずか3ヶ月で症状が出始め、9月には入院をし、そのまま仕事に戻ることなく翌年の2013年3月20日に21歳で亡くなりました。

 

入院中、幸太郎は、「もう一度元気になったら、どんな仕事でもいいから働きたい。」そう言っていました。

 

遺品の中には、自分で作った家計簿があって、給料の○%は食費、○%は娯楽・・・と、家計管理もして、わずかづつでも貯金もしていました。

 

 

次女が2013年の4月から、大阪のデザイン学校に入学することが決まっていたから、次女が入居するマンションと同じマンションに幸太郎も引っ越しして、協力しあっていく予定にしていたのに、幸太郎が使っていた日用品は、次女が使うことになりました。

 

 

そんな些細な、記憶に残らないようなことも、昨日のように覚えています。

 

 

もっともっと働きたかったんだろうなぁ~

もっともっと、お金も貯めたかったんだろうなぁ~

フロントで一緒に働いていた同期の女の子のことを好きで、でもまだ告白できていなくて、でも、彼女との将来の結婚も考えていたんだろうなぁ~

 

あれから、13年経っても、13年前の想いは私の中にあります。

 

 

だけど、幸太郎が教えてくれなければ、今のわたしには、なれなかった。

 

幸太郎が亡くなった世界を歩いている私には、幸太郎が生きている世界を体験することはありません。

 

 

 

そんな想いと、主人が「がん」になるというタイミングで、2冊目の原稿を書き始めました。

 

今回出版した本の内容の最初2/5くらいは、私が知ったこの世界の法則である、現実世界と意識の世界とのつながりを書いています。

 

後半にかけては、主人が「がん」になり、色んな体験を通じて、幸太郎は、何を教えてくれようとしているのか、試行錯誤で課題を解いていったことを、リアルタイムで書いています。

 

原稿を書き終え、出版社に提出したその日も、課題の答えは見つけることができませんでした。

 

ところが、その翌日答えをみつけ、原稿を差し替えてもらいました。ギリギリ間に合いました。

 

 

 

1冊目の本も、2冊目の本も、今の私からみれば、まだまだ幼い私がいます。

 

それでも、成長したなぁと、思います。

 

 

 

1冊目の原稿を書いている時は、結構しんどいなと思いました。

構成がわからなかったからです。

どの順番で何を書けばいいのかを考えるのがとても大変だったことを覚えています。

 

2冊目の原稿を書き終え出版社に提出したあと、私の中に「書きたい」という想いが沸き上がってきました。

 

私は、抽象的なことを書くより、私が体験した現実を書く方が得意であることがわかりました。

 

 

3冊目もきっと書くだろうと思います。

 

 

ということで、本日は、私の本の紹介をさせて頂きました。