こんにちは。

瑠璃色の世界へようこそ Rinkoです。

 

 

今日は、最近思うことです。

 

 

 

生きていると、

 

神様、なんで!?!?

 

どうして、私が

こんな目に遭うの・・・

 

 

こんな風に思うこと、ありますよね。

 

 

人生が思い通りにいっていないとき

 

 

ネガティブなことが起こったとき

 

 

意に沿わないことが起こったとき等に。

 

 

私にも、暗黒時代がありました。

 

 

過去に、神様・仏様の声が聞こえる人や

特殊な能力を持っている人と

何度も出逢いましたが

 

 

そんな人たちから共通して言われたことは

 

 

「あなたは、これから

 いろいろな経験をする。」

 

 

「あなたは、将来、人の相談にのる仕事

 (スピリチュアルな仕事)

 をすることになる。

 

 人の痛みや苦しみを理解するために

 苦労するでしょう。」

 

 

「とても苦労する。」

 

 

こんなことでした。

 

 

随分前の若かりし頃、

険しく、登るのが大変な大きな山を

必死で登っている夢をみました。

 

 

その頃、比叡山で出逢った人からも

 

「あなたは、これから

 無茶苦茶、苦労する。」

 

と言われ滝汗

 

(「無茶苦茶」をすごく強調されて

 ました汗汗

 

 

その人の予言どおり、ディズニーランドの

ビッグサンダーマウンテンに登るような

険しい道が続き、いろいろありました。

 

 

その頃のこと、そこから抜け出した経験は

こちらに書いています。

つらい経験、苦しい過去を洗い流したいあなたへ その1~私の暗黒時代~

つらい経験、苦しい過去を洗い流したいあなたへ その2 ~暗黒時代からの脱出~

つらい経験、苦しい過去を洗い流したいあなたへ その3 ~仏陀の言葉~

 

 

今の私しか知らない方は、

 

「へ・・・??

 

 Rinkoさんってそんな人だったの?

 

 穏やかに生きていて、

 そんな風には見えないけど。」

 

と思われるかもしれませんが、

辛く、苦しい暗黒時代がありました

 

 

これでもか、これでもか、と

いろんな出来事が起こり、

 

 

もう再起不能になるのでは、

と言われたこともあります。

 

 

今はそれを乗り越えて、

穏やかに過ごしていますニコニコ

 

 

苦しみや悲しみの渦中にいるとき、

 

 

「こんなに

 神社仏閣へお詣りに行っているのに

 神様仏様は助けてくれないの?

 

 どうして、こんなに

 つらいことが続くのだろう。」

 

 

こんな風に思い、

 

 

これが積もっていくと、

 

 

「もう、神様も仏様も信じない。」

 

 

果ては、

 

 

「この世に、

 神も仏もあるものか・・・むかっ

 

 

となってしまうことがあります。

 

 

 

正直に言うと・・・

 

 

私もこんな風に思ったことがあります汗

 

 

そんなときに、

ふと頭の中に入ってきたメッセージが

 

 

「神を信じよ。」

 

 

最初は、短いこの言葉。

 

 

それから少しして、

意に沿わないことが起こったとき、

 

 

「意に沿わないことが

 あっても、

 神を信じよ。」

 

 

この言葉が頭の中に入ってきました。

 


(大神神社の摂社、磐座神社)

 

 

実はこれには余談があり、

 

 

この頃つらいことが続いていたので、

 

 

「またこんなつらいことがあったら、

 もう神様を信じられなくなりますえーん

 

 

と思っていました。

 

 

そしたら、「神を信じよ。」

 

 

意に反して、

その後またつらいことが起こり、

 

 

「もう無理~えーん

 神様を信じられなくなる…」

 

 

と思っていたら、

 

 

「意に沿わないことがあっても、

 神を信じよ。」

 

 

と入ってきたのです。

 

 

も、もちろん、心の奥底では

神様、仏様の存在、ご加護を信じていました。

 

 

神社仏閣へのお詣りは続けていましたし、

毎日家の神棚で、無事に過ごせたことの

感謝をお伝えしていました。

 

 

でも、私も人間なので、

いろいろ思っちゃうのですよね滝汗

 

(大神神社の摂社、神宝神社)

 

 

今になって思うことは、

苦しい出来事が続いても、

神様仏様に見放されたわけではなく、

 

 

神様仏様は、いつも見守って下さっている

ということですニコニコ

 

 

つらい経験が、実は吉の出来事だったり、

その人にとって必要な経験だった、

ということがあります。

 

 

例えば、

 

 

一緒に勉強していた仲間の中で、

自分だけ希望の大学に行けず、

別の大学に行った。

 

→別の大学で学んだことで飛躍し、活躍!

 

 

「一番努力していたのに

 希望の大学に受からなかった…。

 神様ひどい。」

 

と思っても、これが幸せの始まり、

ということもあります。

 

 

会社が倒産し、

「もうどん底。

 神様、どうして私がこんな目に遭うの笑い泣き

と思った。

 

→その後、起業して大成功!

 

 

どん底が、成功へのスタートだった

なんてこともあります。

 

 

つらい経験がその人の人生に組み込まれた

カリキュラムで、

避けて通れない道だったとしても

(私の経験もそうだったと思います。)

 

 

そのカリキュラムを

一生懸命こなすあなたの姿を

いつも見守って下さっていますし、

 

 

「もうだめ笑い泣き」というときは、

最後に救いの手を差し伸べて下さったり

良い方向へ導いて下さったりします。

 

 

「意に沿わないことがあっても、

 神を信じよ。」

 

 

「意に沿わないことがあっても」のところが

心に響きます。

 

 

穏やかで、満たされているときに

信心するより、

 

 

満たされていないとき、

苦しみの渦中にいるときに

信心する方が難しい。

 

 

でも、

意に沿わないことがあったときこそ、

神様、仏様を信じましょうキラキラ

 

 

それでは、今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。