アニメ【チ。地球の運動について】 第25話「?」あらすじと感想 | 占いworld♡エンタメ部

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ラファウによって会の人々に紹介されるアルベルト。アルベルトを賞賛し、ラファウは語ります。学術の未来においては好奇心こそが何より重要な才能。しかし危惧することがある。今後真理は発見されるものではなく作られることが前提になるかもしれない。過去の書物、異国にはそれぞれ違う歴史や文化、信仰がある。今はまだ情報が少ないが、この先自分たち以外とつながれば真理さえ相対的と見なされる。そうなると人の心から絶対不変の真理という理念に対する畏怖や崇拝が薄れていく。全ての研究活動は専門化して「知」の総体に触れたいという崇高な欲望、つまり「好奇心」はバカげた不要なものとして唾棄されるかもしれない。「好奇心」を信じようと、乾杯を捧げるラファウ。

 

ここで「真理」と「真実」について書いてみたいと思います。ラファウが語る「真理」とは「絶対不変の真理」と言っていますので、確実な根拠により証明され、本当であると認められる「真理」のことを言っている。所謂、西洋真理論につながるものかと思いますが、西洋真理論に踏み込むと私が訳わからなくなるので退却します。一方の「真実」は「真理」と同義に捉えられることもある嘘や偽りのない本当のこと。しかし「真実」は主語がその意味を左右するように思われます。誰の、何の「真実」なのか、です。皆が共有できる事柄と事実を「真実」と言うことが多いようですが、その人それぞれの「真実」も存在します。ある人の「真実」をあたかも普遍的な「真理」であるかのごとく「真実」として語る場面によく遭遇するなぁと感じることが多いのですが、こう思ってしまうのは私だけでしょうか?真実の対象が何かにもよるのですけど、なんかごっちゃになってる気がするのです。「それは真実かもしれないけど、あなた個人の真実であって、世界や社会が共有できる真実とは少し違うんじゃないですか?」と思うことがあるんですよ。枕詞を添えるだけで受け取るニュアンスも違うのですが、言い切ってるケースをよく見聞きするので。言葉って難しいですね。こんなことがいちいち気になる私も大概面倒くさい人間だと思いますが(笑)

 

 

ラファウから宇宙論を語るテーブルを紹介されるアルベルト。

 

 

宇宙論のテーブルではイブン・シャーティル、マラーガ学派、プトレマイオスモデルの等速運動などの語句が語られています。

 

・イブン・シャーティル:14世紀のムスリム天文学者。ダマスカスの大モスクで祈祷の時刻を知らせる時守を務めた。

・マラーガ学派:13世紀に現在のイラン北西部にあたるマラーガ都市の天文台を中心に集まったイスラム世界の学者及び後代の学者たち。マラーカ学派では非プトレマイオスモデルの検討が行われた。

・プトレマイオスモデルの等速運動:惑星は周転円の円周上を等速で周回するとの考え方。要は天動説宇宙論の論理的説明。

 

アルベルトは今日の天文観測記録をつけていないことに気づき、慌てて帰宅。家にはラファウがいました。手には血に染まったナイフ。父親は血を流し倒れていて動かない。

 

ラファウ「最初に言いたいのはこんなことになったのは僕の本意じゃないってこと。僕は穏便にすませたかった」

 
噂で聞いたんだ。君のお父さんがある資料を持っていると。それは宇宙の形を根本から変えてしまう画期的な説に関するもの。ずっと昔から探していた。情報を共有して研究しようと提案した。あの説はお父さんの手には余るシロモノ。僕の頭脳と社会的地位がなければ宝の持ち腐れに終わる。しかし、彼は僕の誘いを断った。この説は現状の宇宙論と異なり、弾圧される可能性がある。でも、子供がいるから危ないことはしたくないってさ。弾圧の危険は政治次第でいくらでも避けられる。彼は聞く耳を持たないばかりか、僕の説得に怒りはじめ、最後には資料を燃やすと言った。君のお父さんは知を共有しないで独占してた。それはあってはならない罪だ。そういう考えは排除すべきだ。この状況で大切なのは、君のお父さんが受け継いだ知は失われずに済んだってことさ。この世の美しさのためなら、犠牲はやむを得ない。

 

 

わお!このラファウは殺人も厭わない、まるで知の狂信者のようだ。12歳のラファウは知を残すために自らの命を犠牲にした。だから、ラファウにとってこの行動は「やむを得ない」ということになってしまうのでしょうね。

 

アルベルト「結局、彼はその演説が終わってすぐ、村の人たちに捕えられました。その後は知らない。バカですよね。あっけなさすぎる。父は言った。疑えと。結果、彼は誰も信頼せず、資料を共有しないで殺された。先生は言った。信じろと。結果、彼は自らの信念に従って殺人も厭わなくなった。これが知に関わったものの末路です。学問だの真理だのは人間に荷が重い。だから大学なんて、全くバカらしい」

司祭「どちらか選択する必要がありますか?疑念と信念、二つを持っていて不都合が?」

アルベルト「えぇ、不都合だ。その二つは矛盾する」

司祭「聖アクイナスは知性を一方では物体的で、他方では非物体的と捉えました。肉体と魂、理性と信仰、哲学と神学、疑うことと信じること。これらの矛盾は両立します。何故か。それが人間だからです。人間は神でも獣でもない。その中間に存在する。でもだからこそ、矛盾を曖昧を混乱を受け入れられる。むしろそこで理性の息継ぎをする。話を聞くにあなたは今、神を失っている。つまり、この世界が存在するという奇跡を感じられないでいる。奇跡とは必然に満ちた領域で生まれる偶然のことです。と同時に、偶然に満ちた領域で必然が生まれることです。昔のあなたはそれらを感じていた。この世の全てが奇跡的だと知っていた。しかし、経験や記憶、過去や故郷、そして痛みと引き換えに奇跡まで失ってしまった。それこそあなたが生きる場所だったのに、です」

 

※聖アクイナス:トマス・アクイナス。13世紀のイタリア神学者・哲学者。ドミニコ会士。アリストテレス自然哲学とキリスト教神学を統合する体系を構築。「神学大全」の著者でスコラ学の代表的神学者。

 

アルベルト「勝手に決めないでください」

司祭「どうすればいいかわかりますか?」

アルベルト「知りませんよ」

司祭「単純です。空を見ればいいのです。そして深く息を吸う」

アルベルト「これはそんな簡単な問題じゃないです」

司祭「もちろん。でも乗り越えられないわけじゃない。コリント人への手紙第10章13節。『神は真実な方です。あなた方を耐えられない試練に合わせることはなさいません。むしろ耐えられるように試練とともに脱出の道も備えてくださいます』」

 

司祭「では、あなたが勇気を出して下さったので私も人には言えない悩みを告白します。それは、私が昔、友人を見殺しにしたことです。発端は友人がある仕事で重大な違反を犯してしまったんです。取り返しのつかないことをした。その結果彼は死んだ。しかし彼の罪が重いからこそ、彼を諭し、救うことが重要だった。あの時どうするのが正解だったのか、答えは出ていません。今後も出るかわかりません。しかしひとつだけはっきりしてるのは、今日まで私があの過去から目をそらしてきたことです。でも今初めて、この悩みを言葉にできた。そのせいで、今日からより一層苛まれるでしょう。しかし同時に今日が一歩目になったと信じます。それはあなたも同じです。あなたは私に話してくれた。だからきっと進める。神は私たちを認めてくださる。そして神は、いつも私たちの居場所になってくださる。しかしそのためには、私たちが私たち自身を乗り越え、神に向き合わなければならない。そして孤独に問い続けなければならない。自分は神に認めてもらえる存在なのだろうか、と」

 

司祭はレブだった!見殺しにした友人とは、ヨレンタを逃がしヨレンタの身代わりとなって処刑されたシモン。よろしければ、第15話を読んでみてね。

 

 

アルベルト「でも、いくら悩んで問うても神は口を開かない」

レブ「そうですよ。だから永遠に私たちは考え続けられるのです。私はそれを幸福だと思いたい」

 

レブ「硬貨を捧げればパンを得られる。税を捧げれば権利を得られる。労働を捧げれば報酬を得られる。なら一体、何を捧げればこの世の全てを知れる、と思いますか?その答えを探してください」

アルベルト「何のために?」

レブ「この世で再び生きるために。そこで、大学に行くのはひとつの道だと思いますよ。では、神のご加護を」

 

レブ、素敵な司祭になったね。シモンの最後に目をそらしていたと言ってたけれど、ずっと考え続けていたのだと思う。言葉にすることでその考えが明らかになり、次に進めるということなのかもしれない。思考は言葉。言うにしても、文字で書くにしても、言語化によって現実が動いていくように思います。前へ、次のステージに進むことができる。

 

教会を出たアルベルト。夜空の星に線を引いていきます。父の死とラファウの言葉がフラッシュバックします。「この世の美しさのためなら、犠牲はやむを得ない」そして。

 

僕は何があろうと君の好奇心を否定しない」

 

射手座を完成させたアルベルトは夜空いっぱいの星座を見ます。

 

 

アルベルト「先生。この世の美しさを追求したい。そのために何か犠牲になっても構わない。はっきり言って、僕も同意見です。だけどあなたのやり方では、美しさに到達できなかった。この世の全てを知るために、何を捧げればいいかなんてわからない。けど、隠そうとする父さんも、排除しようとする先生も、有効じゃなかったことだけは確かだ。僕らは足りない。だから補い合える。そうじゃなきゃ、この世界には挑めない。人間は社会的な動物だ。先生、僕もタウマゼインを感じます。それを肯定し続けます。あなたとは違ったやり方で。疑いながら進んで、信じながら戻って。美しさにきらめきに、迫り詰めてみせます」

 

※タウマゼイン:ギリシャ語で驚き、驚異。「センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)」

 

「チ。」は統合の物語なのだなと思いました。占星術的なことも色々語りたいところですが、別の機会にしたいと思います。一言ではとても語れないし、私の頭も追いつかない。なんか凄くて(語彙💦)

 

アルベルトはパン屋に戻り、親方へ「大学へ行かせてください」と頭を下げます。

 

大学。「アルベルト・ブルゼフスキ」とサインをして、大学を出たアルベルト。太陽の光を手で遮ります。

 

杭につながれ、夜空を見るラファウ。

首に縄をつながれ、夜空を見るオグジー。

山から昇る朝日を見るドゥラカ。

 

太陽を見るアルベルト。

 

 

ポトツキ宛ての郵便。手紙を受け取った人は、全く知らない、前ここに住んでた人宛てかと言い、手紙を読み上げます。「権利書。以下の著作物が出版された際、利益の1割を贈与します。本の題名は『地球の運動について』」

 

街を歩くアルベルトがその言葉を聞きつけますが、そのまま通り過ぎます。『書き違いかな。運動するのは天球だし。地球の運動について、か』

 

 

 

「?」

 

1468年。アルベルト・ブルゼフスキは23歳でクラクフ大学に入学。
1482年。彼は当時の天文学の教科書「惑星の新理論」への注釈書を書き、同著は大学で広く学び続けられた。
1491年。同大学の生徒の一人にコペルニクスという名の青年がいた。
 
「チ。-地球の運動について-」完、ですね。
 
クラクフ大学とブルゼフスキについては別記事後半で触れています。よろしければご覧ください。
今話を見て、クラクフをクラフクと間違えて書いていたことにようやく気づき、修正しました!ブルジェフスキはそのままにしております。最後のシーンを見るに、12歳のラファウが行こうとしていた大学はクラクフ大学だったのかもしれませんね。
 
あぁ、終わってしまった。全編を通し、何とも深く濃い内容でした。本当に心から、アニメにしてくれてありがとうの気持ちでいっぱいです。原作の素晴らしさは言うまでもありませんが、アニメになることでより感動が増したように思います。ということで、第25話最終回のあらすじと感想を終わります。