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run1236さんのブログ

久しぶりも5年ぶり。
私も年をとり、色んなことがおきました。
そんな色んなことをしたためたいと思います。

心拍数が落ちた母、反応もしてくれるけれど、とても眠そうでした。なので、この日は帰宅。

病院からまた連絡が無いことを祈りました。


しかし、その数日後母の心拍数は奇跡的に上がってきて、もとに戻ってきていました。


よかった!


パワーストーンや精油が力を貸してくれたのかな、などと思いながらも、もしかしたら心臓によい、何かお薬が入れられたのかな、とも思い後日確認すると、何の薬も入れておらず、母の力で戻ったとのこと。


凄い!


あまり食事も取れないけれど、安定はしてきたのでまた退院の話しが浮上し、施設に戻れるか、はたまた療養病院を選択するのか、課題となりました。


後日、医師とソーシャルワーカーの方と相談の場が持たれたのですが、何とその場所は母の病室。個室だからなのか母には理解できないから、寝ているからかわからないが、母のことを母のいる前で話す、この事にひどく不安も覚えたが、何よりソーシャルワーカーの方の話し方に私は抵抗を覚え、素直に話しが聞けなくなり、私の悪い短気の虫が動き出してしまった。


ここにはずっといられないから。


を連発する。そんなことは分かっているのに、医師の前からなのか、事あるごとに出てくる。


施設に戻ることを示唆しているように聞こえてしまった。


これから療養病院を当たるのは手間がかかるけど、今までいた施設なら受け入れられると思っているのか、ソーシャルワーカーの方、早口で捲し立てる。


話す気が失せてしまった。


やっぱり母には少し聞こえていたようだ。


何の話し?と聞いてきた。


兄は、お母さんの話をしているんだよ、と答えた。


また老人ホーム?


そう言ったように聞こえた。


母はどう感じたのだろう。


母の病院に向かう途中、もう少し待ってと、心の中で呟いていました。地元の駅から向かうにも、自分の運転は止めておこうと思いました。黒柴を病院に救急搬送する時にも、テンパって黒柴が息をしているか、気にしながら運転をしていたことを思い、冷静な運転は出来ないかもしれないと。タクシーに乗り病院へ向かいました。


既に叔母と兄は到着。心拍数が20台前半になり、看護師さんが話せるうちにと、何が起きてもおかしくないと、呼んでくれたようです。ただ、心拍数は少ないのですが、反応はちゃんとしてくれます。言葉も明瞭ではないけれど、呼び掛けには返してくれます。その日はそのまま帰らざるを得ませんでした。


いつ電話が来るかと不安を抱えながら翌日となりました。土日のため、両日面会に行きましたが依然心拍数は低いまま。どうなってしまうのだろう、ずっと母のモニターを見ているばかりでした。


また何も出来ない自分、途方にくれる。


そして、母には勝手にパワーストーンをお願いして作ってもらっている方がいます。


前に作ってもらっていた母のパワーストーンの状態を見てもらった時に、その方の表情が曇りました。


生きる気力がもう無いみたい。

これから母がどうしたいかを考えてあげたほうがいいと。

今までこのようにコメントされたことはありませんでした。


そのパワーストーンは、母と別場所にいても母と繋がっているため、施設で食事が取れるようになった時には、「お母さん、だいぶ元気になったんじゃない?」と言ってもらったパワーストーンでした。


それでも、それでも信じたい。母の奇跡。

新しいパワーストーンを作ってもらいました。


そして、母を守ってまらえるように、縁のある置物を2つ用意しました。そしてお守り。


更に、少しでも癒しになれるよう高品質の精油、肌に直接着けても問題ないもの、化粧水のように顔に着けること。


こんなことしかできないけれど、願いを込めて。

母が入院して、2週目に入ったなかば、叔母がお見舞いに言ってくれました🙏。

その時初めて食事🍲が出されたらしく、叔母が介助してくれたそうです。

でも、一口二口のみ。それはやむを得ないですね。

食事が出たことにわけもなくホッとしました。


その翌日にまた遠隔ヒーリングをお願いしました。

少しでも回復してくれるといいな、と思う反面、母にはこれ以上頑張らせるのも酷なのではないか、という感情もありました。


入院してからは、暴れることもなく、口数も少なく、会話もおぼつかない。いつも眠たそう。母はもう生きる気力がないのかも知れない。何の楽しみもないのだから。


随分痩せたけれど、日々食事は出されて一口二口は食べるよう。


そんなある日、いきなり心拍数がガクッと落ち、いつ呼吸が止まってもおかしくない状態と言われ、看護師さんから、お話しができるうちと呼ばれ、覚悟しなければならないのか、と慌てて病院に向いました。