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久しぶりも5年ぶり。
私も年をとり、色んなことがおきました。
そんな色んなことをしたためたいと思います。

朝一度帰宅したあと、仮眠を取り、午後兄と一緒にまた母の病院に行きました。

兄に、昨晩泊まったことを伝えました。


その日は、少し落ち着いているように見えました。

母は目を開けることは少なく、会話はあまりできませんでした。眠いの?と聞くと、うん、と頷く程度。


暫く部屋にいて、母をそっとして兄と帰りました。

ご飯も一口二口、勿論腎臓や膀胱の状態を考えれば食べれるわけもない。奇跡を信じつつもどこかで、母は生きることをもう終わりにする、と思っているのかも知れない。

でも、諦めきれない。親孝行、楽しいこと、結局させてあげれてないんだよね。私たち子供のエゴ。


そんなことを思っていました。

休日、また母の病院に行きました。

バイタルの状態を見ながら落ち着いているとは思いました。

ただバイタル計測のコードを外そうとする動きや、自分の腕を伸ばして見ていたり、と反応もしてくれました。


一度下心拍数が下がったけれど、また復活した母。

退院の話も出ていたから、こう安定しないと転院も退院も難しいのではないか?


この日は夕方帰宅しました。

ひとまず落ち着いてくれたらいいなと思いながら。


しかし、夜私に病院から連絡がありました。

まだ話せるうちにと、タイミングは確かに難しいけれど、また持ち直すかもしれないけれど、心拍数が下がってきたとのこと。

私はこれから、向います、と伝え、兄や叔母にはどうしようと思ったけれど、叔母にだけSMSで深夜連絡だけ入れました。


看護師さんが、泊まりますか?と、泊まっていいんだ!と思い泊まりますと伝えました。


いす形簡易ベッドを出してくれて、後からタオルケットなども、渡してくれました。


でも、母は寝ていません、というか熟睡は出来ていないと思いました。テープを外そうとすることは頻繁にあり、その度に音がするので、私も気になり寝れない。

音がすると、母に近寄って声をかけます。

その時母は私名前を呼んで、誰かを確認しました。

暗がりのなかで、私の顔を下から見た時は怖かったのではないか?と思いました。


そんなことを繰り返しながら、安心してくれればと、朝を迎えました。


私は少し自宅で着替えや仮眠を取りたいと思い、看護師さんに、一旦帰宅することを伝え、また午後くることも伝えました。


これ以上悪化しないことを、祈りました。

母はどうも不思議な力を持っていたようです。いわゆる霊感?

昔話しとして、小さな龍?たちが毎晩母の所に来て一緒に眠る。以前奉っていた龍の社が壊れてしまっていたのを知って作り直したとか、若い頃そんなことがあったと。

他にも不思議な話しを聞いたことがあります。


母のいた施設の部屋に、今年は辰年なので、昨年伊勢神宮から頂いた干支の龍の置物をおきました。


入院してからは、病室に移動しました。

力をもらいたいと思いました。


呼吸も心拍数も安定していたので、退院後の候補として、施設のほうにも相談に行きました。


施設のほうでは、受け入れは出来る。でも、栄養が取れないのでIVHが必要、しかも鼠径部から。


医師からはポート埋め込み型を提案されていましたが、その管理が施設では出来ないとのこと。


また病院と同じようにIVHをしたら、食事は出来ないとのこと。母はもう何も食べられなくなる。病院も施設も同じ。それであれば医療管理体制のあるところしかないのでは、と頭を抱えてしまいました。母はお見舞いに行くと、リンゴが食べたい、バナナが食べたいと言います。食べたい気持ちはあるのに、出された食事はあまり食べられない。IVHもひとつの延命措置なのか、と思いました。


そんな状況の中、また母に変化が起きました。