run1236さんのブログ

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久しぶりも5年ぶり。
私も年をとり、色んなことがおきました。
そんな色んなことをしたためたいと思います。

黒柴を、救急病院に連れていき、翌日地元の病院に入院して、体調管理をしてもらいつつ、貧血や腎臓、肝臓など、時々不調もあったけれど、心臓は強かった。スタッフの皆様に支えられ、シリンジではあったけど、ご飯も食べ、お水も飲んで、私たちが持参したチュールも舐めさせてもらえました。


首が曲がって、本当は、真っ直ぐこちらを見たかったけれど、見ようとすると首は後ろに曲がってしまう。

それでも、頑張って、面会の時には会ってくれた。


後ろ足はもうすっかり筋肉も落ちたけど、たまに車椅子にも乗せてもらえて、前足で少しずつこいでいた姿も見せてくれた。本当に頑張ってる。


その時は突然訪れました。


私は自分の用事を優先し、早く切り上げたら行ける面会を、二回後回しにしてしまった。予約制ということもあったが、行くと決めて行動していたら。


病院から、電話。私は早退して来ていて、用事を済ませて帰宅した時に携帯がなった。


呼吸が止まったので、直ぐこれますか?


行きます!!


兄にも連絡して、直接向かってもらうことにした。


電話をもらった、恐らく15分か20分前か、呼吸が止まってしまった。特にいつもと変わらなかったそう。

夕方の体調チェックをしたら、かなり弱い心臓の動きとなっていたそうだ。約10分蘇生を試みるも、戻って来なかったので、蘇生はストップしたとのこと。


到着した時には首はもとの通り真っ直ぐで、苦しむことはなかったそうだ。それだけが、救いだった。


入院して約半年、ここまで病院で看てもらった子はいなかっただろう。だから、先生にも看護師さんやスタッフの方々に、黒柴は可愛がられて、アイドルになっていたと、毎日、おはようと黒柴に挨拶するのが日課だったと教えてくれた。黒柴にみんな元気をもらっていたと。


黒柴は、兄だけではなく、病院のスタッフの方々も家族になっていたんだと、嬉しく思いました。


本当は家に帰りたかっただろう。母にも会いたかっただろう。黒柴を育てた母に。何より大好きだった父に。


これから、黒柴は父に会うことができる。


長い間、苦しませてごめんね。でも、少しでも長く、生きていてほしかった。病院でもいいから会いたかった。

黒柴の気持ちを無視してしまったかもしれないけれど、皆を幸せにしてくれた黒柴。


頑張ってくれた黒柴、虹の橋に出発しました。


ありがとう。大好きだよ。




施設に入居当日のお昼ご飯は少し食べました。

しかし、それ以降殆ど食べなくなってしまったのです。

施設の方々も困り果て、結局点滴が始まりました。


血管もあまり刺すところが段々無くなり、最終的には、足から行っていました。巡回の医師からは、栄養三倍ある点滴ができるが、それには家族の同意がいる。そう言われるとリスクがあることだろうと推測しました。


何とか食べてもらおうと、嚥下機能がよくないためにとろみがずっとついていますが、そのとろみのつかない、大根の煮物や卵焼きも叔母が用意してくれました。

すると、お米は食べてくれませんでしたが、おかずは結構食べました。その前後の日に持って行ったおやつも実はパクパク食べてくれました。好きなコーラもとろみなしで。


その努力があってか、最近少しずつ食べてくれると施設からお話しがありました。結果的に点滴も外れるまでになりました。


栄養三倍の点滴は、お断りしていたのですが、何故なら、カテーテルを心臓近くの血管につなぐ、中心静脈点滴だったのです。そうなったら、母は寝たきりになってしまう、そう思い提案をお断りしていました。


踏み切らなくてよかった!そう思いました。


でも、水分はあまり取らず排泄が今一つだそうです。腎臓機能も弱っているので、透析ともなったら、また大変なので、それも工夫しなければなりませんが、施設は嚥下による事故回避のため、とろみを外してはくれません。


何とか水分補給をしてもらいたいのですが。

ブーにゃんが天国に旅立ち、黒柴が熱中症に倒れたその間に、母の骨折、そして入院がありました。


母が手術をすることもあり、黒柴のことは伏せていました。面会も週一回、15分だけでしたし。


手術後、約2ヶ月位して、隣のリハビリ病院に転院しました。リハビリといっても、もうかなりの高齢者ですし、介護が必要な身ですし、認知症でイヤと言ったらイヤという頑固さですから、本人の好きなようにさせていた傾向のようでした。ご飯をあまり食べないと、病院から言われたので、ご飯に乗せるおともや、コーラなど、好きなものをなるべく差し入れをし、最終的には食べてくれるようになったようです。しかし、病院ももう入院期間のリミットで、自宅に帰るか、施設を探すかの選択時期となりましまた。


自宅に戻る選択肢は、医師からも難しいと判断されており、兄の状態からもそれは無理でした。


ソーシャルワーカーさんが、色々探してくれました。

最初はサ高住、でも、これはある程度元気な人でないと無理でした。ほんとは決まりかけていた特養があったのですが、母の腎臓の数値にリスクがあり、断られてしまいました。そこは、母がデイサービスに通っていたところでもあるので、安心感があったのですが。


そして、候補が新たに、か高齢者の介護施設、いわゆる有料老人ホーム。そこに、入居が決定しました。しかし、ここでも、入居後問題が起きてしまいました。