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run1236さんのブログ

久しぶりも5年ぶり。
私も年をとり、色んなことがおきました。
そんな色んなことをしたためたいと思います。

順調に施設や介護士さんたちにも慣れ、食事もとろみ食ですが、ちゃんと食べてくれています。

私たちが施設に行くと、話もしてくれます。

いつも、母の実家の家族のことを聞いてきます。

母の中で、健在な家族のこと。

故郷に帰りたい、きっと毎日その思いでいっぱいなのだと思います。できることなら帰らせてあげたい。けれど、現実は難しい。。


そんな仕事中のある日、兄に施設から連絡があり、母の体調がよくない、との連絡。施設の担当医師から、薬も処方してあるので様子見をと言われたそうです。


しかし、その翌日が土曜日。

救急車で母が施設から病院に運ばれました。

熱が多少あった為、受け入れるところは限られ、地元の大学病院が受け入れてくれました。


長い時間、待ちました。

検査をしていた時間だと思います。


母は右の背中が痛いと訴えていたそうです。


検査の結果、腎臓に尿がパンパンに溜まり、膀胱には腸から漏れた消化物が入り込んでいました。

腸と膀胱がくっついてしまったようです。


その時の担当医師からは、年齢的にも体力的にも手術は難しいとのご意見。抗生剤を投与しつつ内科的に治療する方針でした。それでは恐らく完治は無理だろう、素人ながらに考えざるを得ませんでした。


それから母は、絶食で暫く点滴と、とろみの少量の水分で頑張ることになりました。

ご無沙汰してしまいましたあせる
自分の精神が色々ゆらぎ、お伝えしたいこともありますが、黒柴のこともあり母の話しを続けたいと思います。

黒柴が旅立ったその日、実はあるところに遠隔ヒーリングを母の回復の為に、お願いをしていました。


母が食事を取れるように、水分もとってくれるように。

そうでなければ静脈への点滴になってしまうかもしれない。それは避けたかった。


その時に、黒柴は母の回復をお願いしてくれたそうてす。

後に、黒柴から話を聞いてくれたACさんが教えてくれました。「私の力を使って」と。


遠隔ヒーリングを終えた、恐らく4時間後、黒柴は旅立って行きました。

母はどんどん食事が取れるようになり、とろみや刻み食ですが、完食に近い状態まで食欲が改善していきました。

血色もよくなり、表情も変わりました。


施設の方々も驚いていましたニコニコ


認知症は進んでいて、亡くなっている兄弟もまだ母の中では健在です。それを訂正すると、驚いた顔をします。

悲しい思いをさせてしまいました。


「お昼は食べてないよ」、というまで食欲も出て、面会に行くと食べやすいおやつはよく食べてくれます。


立つことを、キープ出来ない母は、トイレに自力で行けません。なので、介護士さんからは、オムツにして欲しいと言われます。母はそれが慣れないのか、私達が行くと、いつもトイレに行きたいといいます。

ついつい我慢してしまうのでしょう。


そのせいか、夜になると、隣のお部屋の壁を叩いたりしてしまうそうです。その回避の為、母には夜眠れるくすりが処方されました。


そうなことが起きながらも、このまま、ご飯を食べて、元気に過ごしてくれたら、そう願っていました。

黒柴を、救急病院に連れていき、翌日地元の病院に入院して、体調管理をしてもらいつつ、貧血や腎臓、肝臓など、時々不調もあったけれど、心臓は強かった。スタッフの皆様に支えられ、シリンジではあったけど、ご飯も食べ、お水も飲んで、私たちが持参したチュールも舐めさせてもらえました。


首が曲がって、本当は、真っ直ぐこちらを見たかったけれど、見ようとすると首は後ろに曲がってしまう。

それでも、頑張って、面会の時には会ってくれた。


後ろ足はもうすっかり筋肉も落ちたけど、たまに車椅子にも乗せてもらえて、前足で少しずつこいでいた姿も見せてくれた。本当に頑張ってる。


その時は突然訪れました。


私は自分の用事を優先し、早く切り上げたら行ける面会を、二回後回しにしてしまった。予約制ということもあったが、行くと決めて行動していたら。


病院から、電話。私は早退して来ていて、用事を済ませて帰宅した時に携帯がなった。


呼吸が止まったので、直ぐこれますか?


行きます!!


兄にも連絡して、直接向かってもらうことにした。


電話をもらった、恐らく15分か20分前か、呼吸が止まってしまった。特にいつもと変わらなかったそう。

夕方の体調チェックをしたら、かなり弱い心臓の動きとなっていたそうだ。約10分蘇生を試みるも、戻って来なかったので、蘇生はストップしたとのこと。


到着した時には首はもとの通り真っ直ぐで、苦しむことはなかったそうだ。それだけが、救いだった。


入院して約半年、ここまで病院で看てもらった子はいなかっただろう。だから、先生にも看護師さんやスタッフの方々に、黒柴は可愛がられて、アイドルになっていたと、毎日、おはようと黒柴に挨拶するのが日課だったと教えてくれた。黒柴にみんな元気をもらっていたと。


黒柴は、兄だけではなく、病院のスタッフの方々も家族になっていたんだと、嬉しく思いました。


本当は家に帰りたかっただろう。母にも会いたかっただろう。黒柴を育てた母に。何より大好きだった父に。


これから、黒柴は父に会うことができる。


長い間、苦しませてごめんね。でも、少しでも長く、生きていてほしかった。病院でもいいから会いたかった。

黒柴の気持ちを無視してしまったかもしれないけれど、皆を幸せにしてくれた黒柴。


頑張ってくれた黒柴、虹の橋に出発しました。


ありがとう。大好きだよ。