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久しぶりも5年ぶり。
私も年をとり、色んなことがおきました。
そんな色んなことをしたためたいと思います。

施設に入居当日のお昼ご飯は少し食べました。

しかし、それ以降殆ど食べなくなってしまったのです。

施設の方々も困り果て、結局点滴が始まりました。


血管もあまり刺すところが段々無くなり、最終的には、足から行っていました。巡回の医師からは、栄養三倍ある点滴ができるが、それには家族の同意がいる。そう言われるとリスクがあることだろうと推測しました。


何とか食べてもらおうと、嚥下機能がよくないためにとろみがずっとついていますが、そのとろみのつかない、大根の煮物や卵焼きも叔母が用意してくれました。

すると、お米は食べてくれませんでしたが、おかずは結構食べました。その前後の日に持って行ったおやつも実はパクパク食べてくれました。好きなコーラもとろみなしで。


その努力があってか、最近少しずつ食べてくれると施設からお話しがありました。結果的に点滴も外れるまでになりました。


栄養三倍の点滴は、お断りしていたのですが、何故なら、カテーテルを心臓近くの血管につなぐ、中心静脈点滴だったのです。そうなったら、母は寝たきりになってしまう、そう思い提案をお断りしていました。


踏み切らなくてよかった!そう思いました。


でも、水分はあまり取らず排泄が今一つだそうです。腎臓機能も弱っているので、透析ともなったら、また大変なので、それも工夫しなければなりませんが、施設は嚥下による事故回避のため、とろみを外してはくれません。


何とか水分補給をしてもらいたいのですが。

ブーにゃんが天国に旅立ち、黒柴が熱中症に倒れたその間に、母の骨折、そして入院がありました。


母が手術をすることもあり、黒柴のことは伏せていました。面会も週一回、15分だけでしたし。


手術後、約2ヶ月位して、隣のリハビリ病院に転院しました。リハビリといっても、もうかなりの高齢者ですし、介護が必要な身ですし、認知症でイヤと言ったらイヤという頑固さですから、本人の好きなようにさせていた傾向のようでした。ご飯をあまり食べないと、病院から言われたので、ご飯に乗せるおともや、コーラなど、好きなものをなるべく差し入れをし、最終的には食べてくれるようになったようです。しかし、病院ももう入院期間のリミットで、自宅に帰るか、施設を探すかの選択時期となりましまた。


自宅に戻る選択肢は、医師からも難しいと判断されており、兄の状態からもそれは無理でした。


ソーシャルワーカーさんが、色々探してくれました。

最初はサ高住、でも、これはある程度元気な人でないと無理でした。ほんとは決まりかけていた特養があったのですが、母の腎臓の数値にリスクがあり、断られてしまいました。そこは、母がデイサービスに通っていたところでもあるので、安心感があったのですが。


そして、候補が新たに、か高齢者の介護施設、いわゆる有料老人ホーム。そこに、入居が決定しました。しかし、ここでも、入居後問題が起きてしまいました。

土日祝、時間をみて、黒柴に会いに行った。

首は曲がってしまったけれど、足を泳がせるように動かして、やっぱり発作も時々あるけれど、スタッフの皆様にも可愛がってもらっていたようです。

ご飯も少しずつ食べて、お水も飲ませてもらったり、なかなかお家に返してあげられないけれど、頑張ってくれている。兄も私も、短い時間ではあったけれど毎週顔を見に行っていました。昨年7月半ばに入院させてもらって、8月にはお誕生日を迎え、18才になった黒柴。よく頑張ってくれてありがとうね。人間のエゴだと思うけど、お別れしたくないんだ。


母は骨折して入院して以来、黒柴には会っておらず、私たちは母に黒柴のことを報告するのは避けていた。

時々、思い出したように、黒柴どうしてる?と母に聞かれ、元気にしてるよ、としか言いようがなかった。


黒柴も母に会いたいだろう。先に他界した父にも会いたいだろうな。皆元気にいた頃、元気に散歩していた頃に戻れたら。