人間としての基本・共通性
医学の場合は、人間という生物としてのコレを基盤としているわけで、「人間は、1人1人違う」といっても、やっぱり、「同じ人間」である部分はあるわけです。
スポーツの世界では、運動生理学という分野で、どういう刺激(トレーニング負荷)をかけると、身体はどういう反応をするのか~ということが長年研究され続け、それが現場にも生かされています。
ここのところから大きく逸脱する人間はいません。いたら地球人ではないかも知れません。
ただ、小さく逸脱する人は少なからずいます。「イレギュラー」として分類される人たちです。いわゆる「天才」も、この一種です。まったく真逆のイレギュラーの人たちもいますが、、、
基本・共通性は、いわば、木の幹のようなものです。そこんところは、そうそう揺らがないわけでですが、幹の先には枝葉があります。
ここんところが多様性や個人差のあるところで、同じ幹から出ても、同じような枝ぶりになるとは限らないわけです。
木の枝の太さや長さがどうして1本1本違うのかは知りませんが、枝としての共通性は必ず兼ね備えているでしょう。
ランナーの場合、心肺機能や筋肉の特性、水準などに、1人1人、いろいろな違いがあるわけですが、これもやはり、人間という共通性を持った上で、個々の特性が出てくる部分であるわけです。
100人いれば、100通りのトレーニング法がある!?
最後の最後はそういうことになります。ただ、それは最後です。
一見、突飛なトレーニング法のようでも、きちんと分析してみると、既知の知識で説明できないものは、あまり多くありません。もちろん、未知の人間の特性もまだ眠っているはずで、その開発に従事している研究者や指導者もいますが、それらとて、人間の共通項目であるはずです。
その上で、幹から枝が出て、枝から葉が出て~という、個々の特性に応じたアレンジをしていくと、最後の最後は、1枚ずつの葉っぱを語ることになり、そこに100人100様のトレーニングがあることになります。
このことは、理論や方法論を無視し、自己流で自分に合ったトレーニングを見つければ良い~という理屈とはまったく異なります。
最初に基本や共通性があるからこそ、そこから個々の特性に応じたアレンジ、発展性があるのです。
ピカソだって、最初からああいう絵を書いていたわけではありません。箱根の彫刻の森美術館へ行くと、若い頃の精巧なデッサン画を見ることができますよ~。
つづく