今日なでしこ北朝鮮戦。新生である。レギュラーがほぼいない。いっそう田中明日菜とかいなければもっといいのだが。基本的には勝てないであろう。前回大会でレギュラーメンバーで勝てなかったのだから。ここで勝てば一気に世代交代である。監督を含めて。薊はどのくらい出場できるのだろう。ダイナモにしてスピードスター。しかもテクニシャンでもある。しかしマスコミには注目されない。ここで花が咲いてくれればいいと思う。薊がだめでも、杉田とか柴田とか誰でもいから活躍してほしい。古い世代は下手であるのが気に食わない。ひたむきにいいながら守備をさぼるものはさぼるし。何か一部の選手の頑張りで全体を調和させているようでイライラする。

しかし明日49日の関係で九州にいかねばならないので、試合は飛行機の中見ることができない。とても残念。

夜、北穂高のテラスに佇んでいると、後ろから会話。「結婚の目的て何?」すかさず「体」どちらも女である。おそろしい本音ベースで話は進んでいく。結局は趣味が合うというところに落ち着ていくのだが。ときおりデブは嫌だとか、筋肉質がいいとかまたそっちの話に行ったりもする。結婚というのもある意味運命であろう。縁結びの神というのは、通常悲劇の神であり、「闇」に閉ざされたところにいる。よって人の運命を左右させることができる。

結局「声が聞こえる」かどうかだし、その声を信じられるかどうかある。

その声とは中島みゆきのいう「私の声が聞こえますか」であり、「僕はここにいる」ということだろう。

1年に一度登山。北アルプス北穂高へ。まずここを目指す人は少ないと思う。だぜなら、穂高~槍の危険縦走の中間点である。つまり穂高あるいは槍から縦走を目指す。高所恐怖症のため両側が切れているところはできない。断崖をへばりつきながらの横移動もできない。縦を鎖を使って登ることがかろうじてできる。

そして北穂高の道はとても厳しかった。穂高山荘も同じような高さであるが、道が単純である。ザイテングラードと呼ばれるゴジラの背骨を登ればすむ。しかし北穂高はゴロゴロ石が多く、また梯子、鎖場あり単純でない。もう1分休んで10秒動くという最悪パターンに陥る。涸沢小屋から山頂へ3時間30分かかる。穂高小屋が1時間30分で登れたのに。ただ上高地から5時間で涸沢小屋につくという貯金によってたどりついたが。

小屋はラッキー事に1人で1布団。夜明け前にはブルーな世界を体験できた。青い世界で地平線だけがオレンジの光が零れ落ちている。しかし、この山を登ることで、上高地から行ける山が少なくなった。のこる北アルプスは南西部。道は遠い。

宮部みゆき作。相当前に読んだ。10年以上前。タイムワープを利用して歴史を変えようとする副主人公がいる。航空事故を防げば、別の日に航空事故が起こる。何も変わらない。何も変わらない。これは現実も同じかもと思う。嫌な馬鹿部長がいなくなればと思うが、いなくなれば今度はそれ以上にひどいあほ部長の登場かもしれない。そういう意味では現実に対処していくしかないのかもと思う。あるいは現実に耐えていくしか、

計画見直しらしい。しかし、誰が悪いのか。責任は誰も取らない。権限だけを有しながら。権限と責任は同じ重さのはずである。まあうちの会社も部下が失敗すると、部下のせいで、上は朝礼で偉そうに訓示を垂れるだけで何も変わらない。精神力なぞある意味無意味。すべてはシステム。馬鹿部長は自己責任があるとは夢にも思っていないだろう。それこそトリック。

国立でいえば、安藤某はセーフなのか?自分的にはアウトであるが。マスコミは不慣れな文科省の責任とリードしているが、何者かの陰謀とも思えなくはない。それこそトリック。

新幹線に火をつけたというか、自分で自分に火をつけた老人は年金12万で怒って死んだらしい。12万で十分ではないかと思う。生きるだけだとこれで十分だ。自分など月¥1000の焼酎4本あれば満足である。上を見ず下を見れば生きれるのではないか。変な希望を持つから絶望するのだ。

犬の散歩に外にでると、隣から大音響。喧嘩をしている。親子喧嘩。いつもではないが、たまにしている。以前は別の隣の人が、インターホーンで抗議をしていたが。ケンカするほど仲がいいとは、ある意味真実である。散歩から帰ると静かになっていた。ただ静寂なわけなく、話し声はする。不穏な空気は相当溢れ出ていた。
でもゴングは鳴るんだ。その瞬間ふっきれる。前にでていかれる。あそこではだらだら生きてるわけにはいかないんだ。

東北震災で派遣された自衛隊員の妻のねぎらいの言葉。「無理しないでね」そのレスポンス。「自衛隊をなめるなよ。今無理をしないで、いつ無理をすればいいのだ」