伊勢西街道歩きもあと一回を残して途中なのですが・・・。
朝イチ出かけられないけれども時間ができたお休みの日、やはりどこか歩きたくなりました。
少しだけ遅くなった午前中、どこ行こうか寝床の中で考えます。
先日名古屋市市政資料館で眺めた大正4年の古地図の写真を拡大して眺めます。
小折道と書かれている岩倉街道から分岐して現在の江南市(旧古知野町)を通って木曽川岸の草井村、草井渡までの道。
カッチリ決まった名前はありませんし地図では街道名は書かれていませんが、このいわゆる「草井道」「草井街道」を歩いてみようか。
幸い古地図散歩でルート確認するとほぼ明瞭で平野部としては原型をとどめている道のようです。
西尾張の主だった町はかなり歩きましたが江南市は巡見街道で端をかすめただけ。
町歩き愛好諸先輩方のHPやブログなどを見た時、江南市旧市街は昭和レトロ感のある商店街があるらしいというのも見たことありました。
草井からの帰路のバスはやや少ないですが距離も8キロほどとお手頃なので一回で歩ききりできそうです。
今回は詳細な下調べなしの(酒蔵だけあるかどうか調べたけど笑)行き当たりばったり。
これもたまには楽しいかも、行くか~!
寝床から起きると大急ぎで身支度して駅から電車に飛び乗りました。
名鉄石仏駅到着、すでに11時半です。
遅くなりましたが何とか歩ききれるでしょとスタート。
岩倉街道で歩いた見覚えある道を歩き、一瞬一宮市に入ります。
これは木で作った手の込んだ橋です。
プライベート(私道)な橋でしょうねこれは。
よく見かけるけれどいちばん地味な街道名物石物は石臼と唐臼台だと思います。
どんなローカル街道でも必ず現れるよね、今日の唐臼台はこちら。
岩倉街道で歩いた時にも印象深い見覚えのある場所です、突き当りに石物が並んでます。
石仏さまと・・・何はともあれ道標!
あまり見ない3D仏像が鎮座する道標です。
右 いぬやま
左 一のみや
そして3仏像さま。
如意輪観音さまと馬頭さま。
座り込んでしげしげと眺めてるともうひと方は弘法さまじゃないかと道行く地元のお姉さまが話しかけてきてくださいました。
先ほどの道標はこの交差点にあったらしいのですが現在は交通量の多めな変形五差路。
どう置いてあったのか・・・そして我が草井道は一宮でも犬山でもない変な方向にナナメに入り込んでいきます。
微妙な道だけど昔からの道かなホント?
と思ったけどすぐに馬頭さまが、これ街道認定だわ~。
うーん、ぶった切り、幸い交通量は少なくて突破で大丈夫。
渡ってそのままナナメに入ろうとすると左の方向の道の遠く公園らしき所にになんだか解説板らしきものが見えます。
なんだろ行ってみるか。
久昌寺跡、令和4年に取り壊された、信長側室(いわゆる吉乃さん)の実家生駒氏ゆかりの寺・・・あ、これ当時かなり地元放送局や新聞でニュースになってました。
信長ゆかりのお寺が立ち行かなくなって取り壊しになるけどこれなんとかならんのか的な報道でした。
ここだったのか・・・。
お寺跡は公園に・・・。
吉乃さんはじめ生駒家代々のお墓は無事のようでした。
先に進むとすぐに現代の観光道標がありました。
生駒屋敷跡は岩倉街道歩きで立ち寄りました。
龍神社は、まあいいかと先に進みます。
ん、街道から右手に立派な門が見えるお寺があります。
これは行ってみよう。
常観寺というお寺で立派な山門。
この門は仁王像とかが迎えてくれるのかなとワクワクしつつ覗き込みます。
ん、仁王様じゃないぞ、どなたか?
覗き込んで写真を撮ったりしてたらそばにいた近所のおっちゃんが教えてくれました。
このあとこのおっちゃんと話しながら解説ありの見学、参拝してます笑。
このお二方は「制多迦童子」(せいたかどうじ)、と、「矜羯羅童子」(こんがらどうじ)ということです。
うっすらと彩色が残っていて元々は鮮やかな色彩だったろうなと想像できます。
こっちがこんがら君かな。
そしてこちらがせいたか君かな、
こちらはお釜地蔵さまが有名なようで、解説板。
継母が子を・・・しかし地蔵さまが現れて間一髪止めてくれ、継母も改心してお地蔵さまの庵を大事にし続けたとの、現代でもなんだか聞くようなお話、そのお地蔵さまがこちらに。
本堂の脇にある地蔵堂、こちらですね。
お堂もかなり手の込んだ彫りでとても見ごたえあり!
天井絵!
これも初めは鮮やかだったことでしょう。
天井絵、たまに見かけるので参拝時は天井も見上げることをお勧めします。
宝さがしみたいで見つけると嬉しいですよ。
植物、人物、風景など。
富士山もみえます。
古い奉納額。
こういったものを見るのも歴史を感じることができて楽しい。
「軍御御用達」、大正時代のもの、馬の絵が描かれてたんだろかな?
止めてある部分も蹄鉄、凝ってます。
お堂をのぞき込みますと、お釜地蔵さまのお姿も見られます、しっかり手を合わせますね。
ここにも両脇に童子お二人が控えています。
さて地蔵堂の前には大きな石標が建っています。
個人的にこれは気になる。
普通の寺標かと思えましたが・・・。
下の方をよーく見ると「途中下車駅」「南江五丁」と書かれて駅にある道標標柱でした。
(すぐには読めずにおっちゃんとああでもないこうでもないと頭ひねって読めました)
そういえば高校生の頃、通学に使ってた地元駅ホーム端にもこんなん建ってました。
南に五丁で常観寺ということはここから北に五丁の位置にある布袋駅にあったものなのでした。
解読できたのには満足でしたがなんで移動しちゃうかなとやや落胆します。
6角形の大きな常夜灯が青空に映える。
江戸時代のものです。
あとは・・・門前にあった三十三観音。
西国三十三観音自体はあちこちで見かけますが、光背の部分に札所の番号とお寺の名前のほかに華麗なかな文字で何か書かれてます。
これ歌かなんかみたいだよねーとおっちゃんと話しましたが何かわかりませんでした。
この日帰ってから大河ドラマ「光る君へ」の録画を見てたら・・・。
番組の最後のミニ知識と地元紹介的なコーナーで、退位した花山天皇が西国三十三観音を始めて寺に残した御詠歌があると・・・写真拡大してwebで照らし合わせたらビンゴでした!
何と答えを偶然その日の夜NHKが教えてくれました笑。
この観音さま方も彩色が残っていますね。
常観寺、見どころ多くてありがとうおっちゃん、楽しめました。
おっちゃんが先ほどスルーしてきた龍神社もおすすめだというので少し戻って行ってみることにします、ここかー。
ここは生駒家の氏神であり織田信雄の守護神、との解説板があります。
ようこそ吉乃の里へ!
地元ですからやはり濃姫何するものぞという感じ?
ご本殿を参拝。
由緒書きと共に社務所がある場所が吉乃御殿跡との解説、どこや~探してみたら・・・鳥居の外向かいにあるこの地味な建物がそのようです。
ここまで信長通ってたのか、大変だな。
そして吉乃がまだ小物だった藤吉郎の才能を見抜いて信長に引き合わせたような解説が。
これは知らなかった説です。
見どころ多くて常観寺と龍神社で1時間も使ってしまいました。
まだ3キロも歩いてないし急がねば、と、続きます。