伊勢は遥か遠いけど・・・伊勢西街道を歩く、その⑨、阿下喜散策~西野尻駅。 | 歩いて走って登って、毎日ビールか日本酒。

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・・・ついつい今日もまたビール&日本酒をグッと。

 

ここからは伊勢西街道でも有数の大きな町、阿下喜の散策です。

この町も員弁川の川湊があった町なのですが、川岸から北東方向に広がる町はずーーーーっと上り坂になっています。

自然石の道標を眺めてからまずは河岸近くにあるコンビニと駅のあるエリアに下りてます(トイレお借りします)。

数日前の大雪の名残が交差点の歩道に。

 

交差点の向こうに阿下喜温泉があってずっと休業中で残念に思っていたのですが、

どうやら経営が変わって再開されることになったようで工事中でした!

 

阿下喜駅でトイレをお借りしましたありがとう。

北勢線終着駅です。

 

さて坂を上って阿下喜散策開始。

この右奥に見える二階建て。

 

ウエスタンにもバーガーにもピンとこない和風建築ですがウエスタンバーガー店(元)。

 

懐かしい!

森永牛乳の子供の頃からなじみ深いこのキャラクターってまだ現役なのかと調べました。

牛乳プリンでまだ現役でした、そして名前を知らなかったのですが「ホモちゃん」ということを初めて知りました。

 

阿下喜のメインストリートですがかなりの斜度のあることがわかります。

錆びても貫禄のペプシ看板。

 

町のおもちゃ屋さんが健在!

子供たち(←ここ重要)がプラモデルなんかを見に来るお店って今はホントなさそうですし。

 

ずーっと登り坂。

 

この門と建物がある一角はなかなか目立ちます。

右のやや荒れた建物は旧阿下喜郵便局とのこと。

 

 

 

デグチパン。

 

丁子屋は酒屋さんですが、開いてないですね・・・。

 

貴重なレトロ酒蔵看板がありました。

早川酒造部は川越町に今も続く酒蔵です。

 

三十三銀行の角を左に曲がるのが濃州道なのですが、真っすぐに歩き散策を続けます。

 

先ほどの濃州道を分けた辻からまっすぐのこの区間は比較的新しい道。

 

 

なんてかわいい標語。

 

道端に五輪塔のような石が残っていました。

 

塔は2~3段くらいの感じなんですが、前掛け巻かれるとテルテル坊主みたいです。

 

この後にもいくつかの場所で見かけました。

 

 

この新しい道を町はずれまで北上、町外れっぽい県道5号線の交差点まで歩きます。

 

町の入り口のモニュメント的街灯は御神輿デザイン。

 

なぜここまで来たかというと県道を越えた場所に道標があるのをストビューで見つけたからです。

ありました、あそこですね。

 

これは摩耗もあって読みずらいですが、古地図の地名と照らし合わせるとわかりました。

右 十社村 東貝野

左 十社村

ローカルな道標でした、雰囲気的には明治以降の物っぽいです。

 

折り返して歩きてきたメインストリートから途中右に入る裏道へ、古くからの道を中心にさらに阿下喜の町中を歩きます。

 

この地蔵堂の道標も下調べで見つけたもの。

 

右 加いの道

先ほどの道標でもあった貝野へのみちしるべです。

 

左 く王んおんみち

近世以前の土木・産業遺産のHPによると宝暦6年のもの。

この観音さんは飯倉山地高寺を指しているとのことです。

よく見ると「く王」の右側に小さな文字も刻まれています・・・。

 

二十八番、と読めます。

調べてみるとこれは江戸期からの巡礼、「伊勢三十三所観音」の二十八番札所ということでした。

 

ん、街中に阿下喜駅?

これは旧阿下喜駅を移築保存、月に数日のみ公開しているということです。

 

次の見どころはここ。

 

旧阿下喜小学校の校舎の一部を保存している桐林館。

 

中を見られることができる日もあるのですがこの日はお休みの日。

 

体育館も大概レトロな形です。

 

解説板に詳しい情報。

 

解説板にある1980年の写真、当時は現存の建物よりも横に長いようですし、それが3棟もつながっていたとは。

当時の生徒達には思い出深い学校なんでしょうね。

 

ぶらぶら歩いて、途中にある空き地もこんな感じで石垣が城跡のように目立ちます。

 

 

古民家家具屋、山口屋さん。

 

 

仰げば尊し和菓子の恩で笑。

 

そんな感じでうろうろしました。

 

 

さてこのあたりで街道に戻りましょう。

 

やはり古くからの町の中でもここは街道だというのが一目でわかる道筋です。

 

 

これは何も刻まれてないかな?

 

これもいけず石かな。

どうもこんな石物があるとドキドキしてしまいます。

 

道は西へ西へ。

 

 

 

 

そして大西神社につきあたります。

 

阿下喜の入り口の「一本松の燈篭」の場所の御旅所解説にあった八幡祭。

神輿はこの大西神社から出発のようです。

 

それでか~、拝殿の横に立派な神輿蔵がありました。

 

大西神社由緒のなかに「織田信長」の文字が見えた時には、ああまた織田勢により焼失か~と心の中でごめんなさいを言っていましたが、「織田信長の時代に・・・」でした。

よかった・・・。

 

ここから先は現代でもあまりなんもない道が続くので、昔は寂しい道だったと思われます。

東海環状道路絶賛工事中でした。

 

 

その後は道は広くなりましたが車はあまり通りません。

いまは国道306号線旧道となったこの立派な濃州道区間、ですがこの鎌田橋は9トンを超える車両は通ってはいけません。

 

橋の上からの藤原岳。

 

途中にラーメン屋さんがあったので腹ごしらえ、もうすぐ今日のゴールですが笑。

 

写真写し忘れましたが9トンまでの鎌田橋の次は4トンを超える車両は通行止めと書かれていた野尻橋で員弁川を渡ります。

4トンもダメ?

欄干とか一見普通の橋ですが実は橋脚とか橋げたは古いのでしょう。

そしてこの野尻橋には古い親柱が残っています。

 

 

南橋詰の一か所だけ親柱からこうやってさらに飾り板のように欄干部分が伸びていました。

昔は4本すべての親柱がこんな感じだったのでしょうか。

 

そういえば地元にも一本だけ(他は道路広げて削られた?)ちゃんと親柱残っている橋がありますが↓こんな感じです。

これ、橋の地図記号そのままですね!

昔の橋ってこんな形状の親柱回りデザインが多かったのかも、もしやここから地図記号が考えられた?

 

 

そろそろ時間的にも撤退の頃合いです。

西藤原駅まで歩きたかったので予定より少しだけ短いですかそろそろコースアウトして帰らねば。

春日神社。

 

高床式倉庫があります、正倉院みたい。

 

 

国道306交差点まで、次回はここから再スタートです。

あとは西野尻駅までちょっと遠いですが・・・あ、電車の時間が迫っています、恒例最後はやや急ぎ足で。

 

もう一つ橋の写真、今回は橋の話が多いな。

春日神社前の藤原橋は両岸の道幅が2倍くらい違う「ハ」の字型の橋でこれは珍しい橋です。

 

ミラーボール?

道路にミラーのスポットライトが。

 

ここに来て、振り返れば羽田が連続。

 

 

電車に間に合いました・・・軽く汗かいたよ・・・。

これ以上ない簡素な三岐鉄道三岐線西野尻駅。

こんな趣味でもないとこの駅から電車に乗ることなんて間違いなくないです。

 

 

乗車駅証明?バスの整理券みたいなのが出る機械とかがあるのかなと見回しましたが・・・。

 

あった笑。

 

ほぼ貸し切りの電車が来ました。

 

後ろの景色かぶりつきアリーナ席で帰りました。

 

が、途中から居眠りしてしまいました・・・。

 

 

 

今回の旅の途中で見かけた看板。

林に中に埋もれるように農協の錆び錆びホーロー看板。

「お金は農協」

もって回った言い回しはしない超直球。

 

東芝ランプ2枚、持って帰りたいほどでした。

 

載せ忘れてた行きの北勢線の車窓写真。

額に飾ったような青空に映える鈴鹿の山並みが素晴らしかった。

 

これは帰路名鉄の駅で見たポスター。

電車通学の高校時代まだこの電車(赤いやつだったですが)走ってました。

ちょっとこれ行ってみたい・・・。

 

ログ。

 

 

 

濃州道、いや、伊勢西街道、残るは西野尻駅~松ノ木バス停までの間です。

あと一回歩けば全区間繋がりますが、スタートが遠い上にやや距離が長い(当社比)し、一日3便のバス停(の2本目のバス)を捕まえるゴールなのであまりのんびりせず時計を見ながら歩かねばなりません。

山間の道なので気候が良くなって、でも花粉爆発してない頃に歩きたいと計画中です。

それから、今(2月17日から3月3日)阿下喜では「あげきのおひなさん」というイベント中のようです、北勢線のかわいい電車で阿下喜の町を訪れるのによい機会です。