昭和前半らしい美しいデザインのコンクリート欄干の山田橋をこれまた美しい鈴鹿山々を眺めつつ渡ります。
遠くに北勢線の橋も見えています、ちょうど電車来ないかな~と思うも流石にそう上手くはいきません。
濃州道はホントはこんな感じ(赤←
消失区間があるので山田川に沿って少し迂回します。
迂回中に振り向けば、歩かなかった濃州道は石垣が組まれていて古き良き時代の道路の風合い。
ところでここまでの濃州道に現れる坂を下って川を越えてまた登るの繰り返しは、員弁川の河岸段丘にさらにその支流の川が刻んだ高低差です。
①が楚原駅付近の吉備川、②がねざめの橋で渡った明智川、③が今回山田橋で渡った山田川。
街道は高い所を通っていきます。
④は今向かっているこのあたりの中心的な町の阿下喜で、川に面した高台にあります。
消失区間から街道復活地点が見えてきました。
あの木の低い場所が街道ルートのようですが私有地なので通れません。
復帰~。
なんとなくインパクトのあるせこちょうちん屋さん。
「瀬古ちょうちん屋」さんのようです。
この高低差を登りきると濃州道では珍しく新しく台地上を切り開いた感じの町が続きます。
尾根を登りつめると整地されているエリアに入るため、街道ルートは不明確。
どこを通れば正解なのかわかりません。
古くからの集落、其原をなるべく取り入れてのルートを選び歩きます。
そして左に直角に曲がった先にお堂がありました。
地蔵堂です、手を合わせて中を覗き込んでみます。
ガラス越しに覗き込みます。
あ、前掛けの上に右、左の文字が明瞭に見えています、この旅では初めての道標地蔵さまでした!
書かれている地名が見たい!
幸い扉はかんぬきの棒を外せば開けられるので開けてぴらっと見てみようと思ったのですが・・・。
ん、よく見れば前掛けの後ろにもお地蔵さまの胴回りを布でぐるぐる巻きにしてしまっているようです・・・これは無理だ・・・。
歴史的にも貴重なお地蔵さまなので解説なんかがちょっとでもあれば嬉しいです。
直線的に員弁川に向かう道の先には藤原岳。
石灰採掘で段々縞々になってしまっているのは悲しいですが。
主要道県道5号を渡ります。
藤原岳方面の登山に行くときに通る道です。
更に真っすぐ下り坂、北勢線と員弁川にもうすぐつきあたります。
北勢線につきあたりました、右に曲ればもうすぐ阿下喜の町が見えてきます。
赤矢印から下りてきました。
この左から来て合わさる道、Googlemap先生はこの道を濃州道に指定しています。
ミニ鳥居、ゴミ捨てたらダメですよ。
バチかなんか当たりますよ。
このあたり北勢線を見おろしながら歩きます。
北勢線、架線の柱は木の柱。
枕木もコンクリートではなくてホントに枕木。
昔ながらの鉄道路線です。
藤原岳を背景に電車来た、でも写真は失敗、遠すぎ笑。
連写してみたら電車が遅すぎたので一旦シャッターから指を離したらカードへの記録に時間がかかってしまい・・・。
もう間に合わなかったのでした・・・。
2車線道路は駅の方向を目指しますがここは右の小道に。
道端にレンガの囲いスペースがあります、なんだろ。
ゴミ捨てスペース?
板をはめ込みそうな柱になんか書かれています。
三重県?
こちらの柱には。
・・・・置場。
なんの置き場やらわかりませんでしたが県の作った何かの置き場?。
その向かい、八幡祭りの御神輿の御旅所に大きな常夜灯があります。
解説板がありました。
この「一本松の灯篭」は江戸時代文久元年のもの、船着場の目印、街道の目印として建てられ、
はじめは桑名街道(濃州道の別名)近くにあり伊勢多度両神社の両宮遙拝ができた、
そして明治時代にこの場所近くに移されたとのこと。
当時街道はもっと川に近い、今の北勢線の線路のある辺りを通っていたようです。
(伊勢神宮)内外両宮、多度両社 とちゃんと書かれていますね。
大きい!
すぐに家が連なってきた、町に入りました。
道標が見えます、阿下喜の町に着きました。
左 くわな道
・・・の方向から来ました。
右 こもの 四日市道
ここからは阿下喜の町の散策です、続きます。