伊勢は遥か遠いけど・・・伊勢西街道を歩く、その②、牧田宿~勝地峠。 | 歩いて走って登って、毎日ビールか日本酒。

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さて、牧田宿を出ましたがこの先ルートがあやふやです。

時代によっても違うだろうし、東海道なんかと違い複数の道があってどっちでもいーよということもあっただろうし。

大垣市HP、上石津地域の魅力のページ内でも各種パンフで違いがあるし、

歴史の道調査報告書(略して歴調、なんと日本の街道地図と走り旅HPにルートアップしてくれています)も若干違うし歴調ってややラフな場合もありますし。

 

まず、伊勢西街道の分離地点。

いろいろ見た結果伊勢東街道&九里半街道から分岐する地点は、歴調ルートとは少し違うポイント、牧田宿パンフ()に載っている、伊勢西街道と東街道分岐の道標があるという二又という集落案を採用。

二又という地名が分岐を表している説を信頼。

ただ、このパンフのマップ、かなりザックリなので肝心の道標の正確な場所がわかりません。

ストビューでカンニング、いや、予習しても見つからない、まあ現地でうろついてみよう。

 

藤古川を渡った先のルートも、牧田川左岸の殿垣外回りルートか和田回りの右岸ルートかどっち?

正直集落の2つある和田ルートのほうが面白そうな気もしますが。

大垣市の「九里半街道常夜灯のさと」パンフでは両方とも伊勢西街道となっているときますし。

ただ、ここは歴調も殿垣外回りルートになっていますし、江戸時代なら牧田川を立て続けに2度渡るルートではないだろー!との見解で左岸を行く殿垣外としました。

 

てことでいろいろ御託を並べましたが牧田宿を出発。

 

ここは矢印の左折が街道ですが、直進するとすぐの地点に道標があると牧田宿のパンフで見ているのでコースアウトして見に行きましょう。

 

ホントにすぐありました。

☜親鸞聖人御旧跡

平井道上に親鸞聖人が刺した杖の育った巨木の桂の木があるようなのでそれを指してると思われます。

 

左 平井 今須・・・

平井は九里半街道上にある集落ですが、九里半街道も牧田から琵琶湖までは平井回りと関ケ原回りの2つのルートがあったようです。

 

道標を楽しんだら街道に戻ります。

こんぴらさんの大きな自然石常夜灯

 

 

牧田小学校前に自然石の道標がぶっ倒れています。

 

右 江戸道

超ザックリした板状の石の道標です。

触ってみましたが裏面には文字はなさそうでした。

 

牧田小の街道沿いには生徒たちの力作の卒業記念製作が飾れています。

 

力作だー!

しかしこの牧田小学校、今年度で統合され閉校だと麦房神社前でお話した地元の方に聞きました。

wikiによるとなんと明治6年からの歴史ある学校とのこと。

この作品もどうなるのでしょうか、まさか壊したりはしないよね。

 

今日のルートでは数少ないコンビニに立ち寄り、ややルートミスなどをしてましたが、この集落内縫っていくような道に入ります。

 

今度の常夜灯は神明宮常夜灯。

 

ああ街道っぽい道ですね!

 

ん、解説板があります。

九里半街道と銘打った解説です。

 

解説によると馬頭観音さまのお堂なのですがお姿は拝めませんでした。

 

解説板のこの一文、平成二十五年「九里半街道散策により訪れる人が多くなりました。」

そうなのか~、でも自分もその一人なので少しだけ嬉しくなりました。

 

嬉しくなりましたが・・・パンフに載っている肝心の二又の西伊勢街道分岐地点の道標がいくら探しても見つかりません。

パンフに載っている場所あたりを二度往復しましたが見つからず。

むなしくここから分かれる伊勢東街道&九里半街道を見送り、サヨナラします。

 

津島神社、鳥居の近くにいわれのわからない塚が2つ、五輪塔などと一緒にありました。

解説もなくいわれがわからなくてちょっと怖いので写真は撮りませんでした笑。

 

津島神社から藤古川を渡った対岸の萩原集落まではキッチリ整地されている街道消失区間。

 

さえぎる物の無い直線の田んぼ道、伊吹山が美しい姿を見せています。

 

中山道歩き壬申の乱ではお馴染みの藤古川を国道365号萩原橋で渡ります。

 

大垣市のパンフを見ると伊勢西街道は少しだけ下流のあのあたりで川を渡っていたようです。

徒渡なのか船渡しなのかはわかりません。

 

萩原集落に入ります。

このへんが川を渡った地点ですが・・・。

 

特に遺構はないようですね、折り返します。

 

萩原集落を抜けました、またしっかり整地されているエリア。

左に向かう舗装道路は国道で和田橋で牧田川を対岸に渡ります。

選定ルートは右の田んぼエリアを行きます。

 

 

「歴調」では山の際々の、今ではあぜ道っぽい道がルートになっていますが・・・さすがにやめとこ。

時間も押してきてるので直線的にこの区間はやっつけます。

この区間やけに立派な道ですが、元々この先に現和田橋が架かる前の国道が渡る橋があったためです。

あの遠くに見える左カーブの先にちょっと前まで橋があったのでした。

 

なんだかダンプが土を運び出しているガチャガチャした危険なエリアを過ぎて、

細い道でダンプに追われたりしながらどんどん真っすぐ進み、山際に沿ってきた道を合わせました。

この後、獣害フェンスを一つ越えました。

この区間、牧田川堤防を歩く道が一番のんびりしてお勧めかも。

 

後はこの川と山に挟まれたギリギリ確保できた平場の道を行きます。

江戸時代は細道だったろなー。

 

道の下には木が直線的に並んでるような・・・。

切り株なのか何か構造物があった名残の杭なのか?

 

牧田川がコンクリートで平らになっている部分。

寝っ転がった砂防ダム的なものですがどういった効果のある建造物なのか?

 

細道にまずまずの立派さの杉の木の間のお堂。

 

昔は険しい道の途上のお地蔵さまに旅人が手を合わせて歩いて行ったんかな。

 

次の集落、殿垣外(とのがいと)が見えてきました。

地理院の地形図にもフリガナが打たれている難読地名。

 

殿垣外は牧田川によって国道沿いからも離れて通り過ぎる車のない静かな集落です。

 

破風の部分のデザイン。

波と・・・拡大してみましたがわかりませんでした。

 

集落ごとに常夜灯、ここも豪華な門松。

 

振り返り山を背にして静かにたたずむ殿垣外。

 

殿垣外の集落を出るともう次の川西の集落が見えてます。

すぐ背後にある山を右に巻きながら峠越えで越えなければなりません。

伊勢西街道最大の勝地峠越えです。

 

川西。

 

川西の集落を過ぎると常夜灯があり、上石津中学校の入り口でもありますが、ここが勝地峠の登り口。

 

勝地自然歩道とのコンクリート製の立派な道標がありますが、ググっても何一つヒットしません、いつだれが制定されたものなのか不思議です。

 

さあいよいよ難所勝地峠越えに挑みます。

 

峠越え前に深呼吸、続きます。