さあここから勝地峠越えです。
まあこのくらいの峠ならたいしたことないやろ~。
中山道じゃあるまいしな、そう思いつつ進みます。
・・・えっ!
すぐに現れる上石津中学校。
第一、第二、体育館二つあるのですか?
ああ現国道のおじいちゃん(2世代前)の道なのに林道になってしまったのか・・・。
はじめのうちは思っていたよりも急登でしたが徐々に緩やかに。
良かった~。
でも寒い中汗をかきかき・・・上着を脱ぎます。
途中にお堂がありました、誰もが手を合わせるなこれは。
今日の纏リスくん。
美しいけれども、花粉飛ばさないでねとお願いしつつ。
突然の文化財標柱。
俳句の流派的なことと思われますが、こんな山中に文化財って標柱があるのですが、
後ろは藪っててなんのことなんだろうかわかりません。
突然こんな山中に伊勢街道の石標があって嬉しい!
いや、この手の趣味の人しか目に入らない場所だけど、でも嬉しい。
江戸時代にはここに番所が置かれていたということです。
ココも西国と東国の境なのかも。
そして勝地峠の石標、これで峠を登り切りました!
この石標の後ろには現在の舗装道路より昔の物と思われる旧道と思われる道が残っています。
覗いてみよう♪
どれどれ。
うーん、倒木だらけだしやめよ笑。
歩けない程ではないですよ。
江戸時代の芭蕉の句碑。
芭蕉さん、江戸時代当時から人気者だったのって凄くないですか。
奥の細道はbasyo&soraの全国ライブツアーだったのかもしれません。
ところでこの句碑一之瀬と多良、村同士の境界の争いが解決したしるしに境に芭蕉の句碑を建てたそうです。
江戸時代の山間の村の人たち、現代人よりもよほど文化的です!
で、無事峠を降りました、峠の区間では誰とも会いませんでした。
まあ今は林道ですし笑。
麓の会社の立派な門松、鉢の部分がドラム缶でしたおもしろ~。
下山後?、国道に合流しそうになりますが、ギリギリでかわします。
昭和的デザインの橋を渡って真っすぐが下調べルートですが、「下多良のカヤ」という巨木がすぐそこにあるようなのでちょっと左に曲がって寄り道しましょう。
「下多良のカヤ」はコースアウトから30メートルくらいでした、幹は太いですがなんだか残念な樹形だなぁ。
まあいいかと引き返しそうになりましたがお堂と解説板が目に入ったので一応見ておくか、と思い返して見に行きます。
解説を読むと泉のことやら石仏のことやら書かれているので木のまわりを一周歩いてみると・・・!
なんと自然石の道標があった!
右 いせ
左 やま ミち
時代はわかりませんが、やったね!
そしてよくよく解説を読むと、このコースアウトしてきたカヤの木、旧伊勢街道脇にあると書かれているではないですか。
この裏道のようなルートが道が伊勢街道だった?
下調べとは違いますが今から真のルートを探る時間もありませんし、
ここは時代によってそういう頃もあったという事かなと解釈しておきます。
でも、「下多良のカヤ」見に来てよかった、お陰で道標発見できました。
真っすぐな予定ルートは新しい道なのかは今のところ不明です。
加登屋旅館さんの前に大きな大神宮常夜灯。
ここも華やかな門松。
今これを書きながら写真を見て、加登屋旅館さんの看板に「新館」と書かれているのに気が付きました。
ん、旧館あったっけとストビューで確認したら・・・。
↓2021年には隣の更地に魅力的な旧館が建っていました。
月日と共に消える景色もやはり多い、街道歩きも急がねば笑。
イラスト看板の楽しい床屋さんなんかを見つつ。
美しい石垣。
集落ごとに小さくではありますが下って登ってを繰り返す伊勢西街道。
牧田川とその支流にに削られての河岸段丘的地形なのです。
そしてこの坂を上ると上石津郷土資料館と高木家陣屋跡があります。
道路の石垣のずっと上に見えている石垣は陣屋跡の石垣です。
高木家は旗本ですが大名クラスの待遇を与えられた家。
木曽三川の管理を幕府から任されていた家なので西濃を歩く時の下調べで木曽三川あたりの歴史のことを調べていると度々目にする名前でした。
なのでここは楽しみにしていたポイントです。
カーブに沿った元お店の建物の前を通ります。
上石津郷土資料館は年末は今日までの開館、ちゃんと調べてます。
その前に・・・向かいにある江戸時代の東高木家の蔵。
土蔵の下の石垣も見どころです。
西高木家陣屋跡に建つ上石津郷土資料館は街道からちょっと登ります。
やっぱりお城や陣屋は高台に建っていますね。
陣屋とはいえ堂々たる石垣です!
まだ登ります。
街道を見下ろす位置、ここに拠点を作るのは必然ですね。
一本松の向こうには養老山系最高峰の笙ヶ岳です。
郷土資料館、閉まってる?入り口が見えません。
あれっ今日まで開館日なはずだけど臨時休館かとやや焦りましたが・・・。
これは旧館施設の横から見たところだった。
頭をひねりつつもう少し進むとこちらが新館入り口でした、良かった。
歴史好きとしては陣屋としての地理的資料や旗本としての高木家の戦国~江戸時代の古文書資料などが解説されていて、楽しめました。
高木家の文書が残っているおかげで江戸時代の木曽三川の治水の歴史が現代に伝わっています。
あと、別館の展示、自然展示室の地域の動物のはく製の数々は一見の価値ありです。
動物たちと向かい合ってきてみて、ちょっとぞわっとします笑。
現存している門はさすがの重厚さです。
左の木のヤドリギの多さは、ポンポンの木か笑。
開館日に来てよかった、楽しめました。
・・・しかし、時間的には押してしまったのでした。
街道に戻り少しでもと先を急ぎ・・・いやこんな松があると足が止まってしまうよねぇ。
高台から見えていた一本松。
これは見上げる高さの巨樹。
宝暦治水時に薩摩藩士が植えて行った日向松ということです。
薩摩藩士さんありがとうございます。
さらに少し先にも再び街道沿いに大木が見えてきました。
大神神社、これも巨樹だなぁ!
先を急ぐのに参拝!
土壁超素朴な土蔵。
なんだかよさげな建物が見えてきました。
大正館という旅館、もう営業はしていないようです。
2階のひょうたん型窓がとっても粋です。
どう見ても必然性は無い一階屋根の飾り破風が趣味的!
このあたりは街道感抜群です。
速足で歩きつつバス停の度に時間確認。
今日は時という集落まで歩いて時始発の関ヶ原行バスに乗って帰る予定でしたが、
全く間に合わなくなってしまいました。
バスはなんと一日3本、2本目のそのバスを乗り遅れたら3時間待ち、逃せません!
何とか次のバス停までは行けそうなので急ぎます。
次回のためには少しでも進んでおきたい所です。
でもこんなお堂があるとつい道草をしてしまう。
高石垣!
これは歴史的レトロ便器では。
八幡神社の前の松ノ木バス停、ここで時間的に限界です。
今日の歩き旅はここまで!
まあいいか和菓子屋さんがあるし♪
バス停真ん前の宮崎屋製菓舗さん、15分ほど時間があったのでお土産購入です。
この先は次回。
ただ問題があって、バスの少なさ。
朝の関ヶ原からの便が全くないのです、始発の時行が12時着、全く使えません。
三重県方面から歩いてきて帰りにバスで関ヶ原に抜けるしかありません。
15時13分、のどかにローカルバスの旅でお帰りでした。
今はバス運賃もICカード支払いになったので、運賃金額準備両替プレッシャーから解放されて昔より気軽にバスに乗れますね。
帰りの電車はわざわざ岐阜で下車、なぜかといえば・・・。
岐阜駅近の中島屋さんでお酒を笑。
先日の旅行で買い切れなかった福井の「梵」を買いたかったのでした。
ついでにめちゃウマのもはや大人のジュース、岐阜県中津川のはざま酒造「恵那山Pure」も入手。
勇んで帰宅しましたとさ。
そして宮崎屋さんのお菓子の数々。
全て美味しく、旧年中にいただきました。
松ノ木~時の間を歩ききることが出来なかったため、この次の区間、西藤原駅~松ノ木までの残り距離が増えて20キロ想定から24キロ程に伸びてしまいました。
朝歩き出しはやや遅くなる場所ですし、歩ききることはできるでしょうがのんびり、とはいかなくなりそうです。
寒いしこの区間は春まで伸ばして・・・次はゴール予定地点だった桑名口から北上にしようかなと考え中です。
ログは取るのに失敗しているので、スマホで作ったログ風のラインで。
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