ごまめが歯ぎしりをやめる日 -9ページ目

ごまめが歯ぎしりをやめる日

くだらない事をうだうだと書ける今日という日に、心から感謝。

とにかく、完走したからには

大きなことが言えるのであります(笑)



スタート前は「完走:リタイヤ=4:6」ぐらいの気持ちでしたが、

やっぱり100kmは長く、険しく、厳しいものでした。



完走したからには完走記を書こうと思いますが、

まず言いたいのは、



100kmマラソンを完走するのに

「月間200kmが最低条件」などという『月間走行距離至上主義』に、真っ向から異を唱える私としては、



普段月間100km~120kmぐらいしか走っていない私でも、

自宅と駅の往復の早歩きとか、会社の階段をダッシュで登るとか、

普段の生活の中での工夫や努力で十分カバーできることを、

100km完走という結果を出すことで証明できた。


これがうれしかったのです。









2012年4月22日。起きたのは深夜2時過ぎだった。


学生時代、スキーへ行くのに3時半起きというのはあったが、

さすがに2時は、朝ではない。



「さまぁ~ず×さまぁ~ず」を久しぶりに見ながら、レースの準備。

両脚にテーピングを施し、ウエアを纏う。



そして、早すぎる朝食。

ミニサイズのカップうどんとおにぎり。



しかし、昨晩の夕食のパスタがまだ胃に残っているような感じ。

胃もたれ・・・食べ過ぎたか。でも食べねば身体がもたない。



「夕食はあっさりめを少なめで」次への教訓。



あっという間に3時半となり、ホテルを出て会場への送迎バスへ。

寒いが、雨は降っていない。


富士北麓公園のスタート地点には、

100kmより30分早い4時半にスタートする112kmランナーが既に集まっている。



エイドに置く荷物を預け、体育館で待機。

スタート3分前だというのに、まだ112kmのランナーは館内に多数。

アップをする人はほとんどいない。号砲鳴って数キロがアップ代わり。



私もストレッチで身体をほぐし、スタート10分前にトラックへ移動。



スタート地点には1500人以上のランナー。

私もその中に紛れようとした時、アナウンスが。



「スペシャルサプライズゲスト・・・」






ん? 今年も猫ひろしか?






「はるな愛さんです!!」






!!!






こんな早朝によくぞ。

24時間テレビで坂本さん(レースディレクター。この方のおかげでチャレンジ富士五湖がある)とのつながりがあるからとはいえ、よくぞ。






少し眠い。でも緊張感も少し。



いつものごとく手を合わせ、今日の無事を祈る。





朝5時。スタート。

間近で見たはるな愛。本人曰く「2時間かけた」というメイクもばっちり。さすがニューハーフ世界一の仕上がり。この時間帯でも綺麗なものだ。さすが有名人。。。





・・・いろいろ考えつつ、スタートラインをまたぐ。




・・・すぐさま、陸上競技場のトイレへ。

必然的に水分を大量に摂取するウルトラは、尿意が少なくても

空いてる場所を見つけたら迷わず入っておいたほうがいい。




気持ちを落ち着かせて、戦列に戻る。

まだほの暗く、霧も深い道。長い長い1日が始まった。




速報。
第22回チャレンジ富士五湖100kmの部。
12.59.29で
ズタボロになって完走しました。

雨でした。
最後、泣きながらゴールテープを切りました。
多数負傷しましたが、代償覚悟だからいいんです。
辛くても嬉しい涙雨でした。



雲の向こうにそびえる富士山。

条件は厳しくなりそうだが、
それでも、難しい顔して走るつもりはない。

最後まで、どんな結果になろうとも、
精魂果てるまで楽しみ尽くしてやる。

待っとれ、雨の富士五湖。

チームスポーツは好かないのでランニングを始めたつもりが今度の日曜、はじめて駅伝に出る→再来週は翌日の仕事のことも考えながら富士五湖100km→6月は熱中症にならないよう用心しながらゆめのしま6時間→その翌週は富里へスイカをたらふく食べに行く→7月は小布施へさくらんぼやらスイカやらワインやらいろいろご馳走になる。以上。




ごまめが歯ぎしりをやめる日-いわき



2012年2月12日「第3回 いわきサンシャインマラソン」

こうやって自分の姿を載せてみようかと思ったほどに、
一生忘れられないマラソンとなった。


写っているのは、16kmの江名港折り返し地点。
風になびく無数の大漁旗。地元の方々の大声援。

多くの人が、左手を出して迎えてくれた。

1人ひとり、ハイタッチをしていく中で、
「来てくれてありがとう」と言われた。


ありがとうと言いたいのは、こっちなのに・・・
サングラスの下で、思わず感極まった。


走ったコースの半分以上が、被災を受けていた。
海沿いの道路や岸壁は総じて津波に呑まれ、
一面が海水に浸かり、たくさんの車や建物が流された。

マラソンどころじゃないといわれても仕方ない。
それでも、地元の皆さんの尽力で開催できたのだから、
こちらが感謝しなければならない。


東電の原発からも決して遠くはないし、
放射線量も安全とされる値で測定されたとはいえ、
それだけで不安が消えるわけでもないだろう。


でも、あの日出会ったいわきの人々は皆、前向きだった。
地元の誇りをしっかりと持って、我々ランナーを応援してくれた。

どうせなら、自分も可能な限り「前向き」に生きたい。
そして、復興の道を確実に歩んでいるあの日のいわきを走れたことを、
自分も「誇り」に思いたい。


行って良かった。走って良かった。