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ごまめが歯ぎしりをやめる日

くだらない事をうだうだと書ける今日という日に、心から感謝。


今年は東京タワーもスカイツリーも

新しくなった歌舞伎座もじっくり眺める余裕がなく、



つまりは「楽しく走れなければ損なレース」であるはずの

東京マラソンなのに、楽しんで走る余裕もとっくに尽きてしまい、



築地→佃大橋(月島)→豊洲→東雲と、だんだん狭まる視界と

薄れ行く意識の中でフラフラと尻すぼみな終盤を迎えてしまった。



時計はギリギリ、グロスでサブ4のペース。


東京マラソンのような規模の大きいレースには

市民ランナーのタイム設定の目安となる「ペースセッター」と

呼ばれる人が一緒に走ってくれる。


胸のビブスには「4:00」「5:00」といった時間の表示があり、

例えば「4:00」の人に最後までついていけば、ゴールタイムが

ちょうど4時間となるようにセッターが先導してくれるのだ。


つまり、4時間のセッターより前でゴールした人は

グロス(号砲からのタイム)でサブ4の記録となる。


前方のブロックでスタートしたので

4時間のセッターを後ろに置いてずっと走ってきたのだが、

疲れすぎてセッターの存在など忘れてしまっており、



40kmの給水テーブル、スポーツドリンクを2杯飲んだところで

私の傍らを4時間のセッターが追い抜いていったことにも

まったく気づかなかった。




残り約1.5km。



沿道がやけに騒がしい・・・。



「サブ4いける!」「4時間切れるよ!」といった声は

分かるのだが、そのトーンがかなり鋭く、激しい。


大声で叫んでいる人もいる。

悲壮感まで漂う声援も聞こえる。



その理由は、最後の有明の上り坂の途中にいた

嫁の叫び声を聞いてもまだピンとこなかった。



後で聞けば、途中の地点では4時間セッターがかなり後ろに

いたのに、残り1kmあまりで抜かれていたのを見てびっくりした

という。



セッターに抜かれ、このままでは4時間を超えてしまうことを

自覚したのは、その先にいた男性の言葉だった。




「追え!前を追うんだ!!」



これはハッキリと聞こえた。


残り1kmでやっと目が覚め、前のセッターを探した。




残り600。有明駅の手前・・・いた。


ペースが速い。

というか自分のペースがかなり落ちていたことに気がつく。


ギアをもう1段・・・入った。なんとか入った。

セッターに追いつき、そのまま追い抜いた。

ついでに抜かれ続けた周りのランナーも抜き返した。



このままビッグサイトまで。なんとかサブ4は死守できそう。

最後の直線。フィニッシュが遠くに見える。



42km通過。

41~42kmのラップが、5:08。このレースのベストになった。

自分にはこういう形でのスパートしか掛けられない。


最後はフォームも崩れ、バタバタになってフィニッシュに駆け込む。




ごまめが歯ぎしりをやめる日




グロスタイム 3時間59分25秒。

なんとか最低限の結果だけは出せて、安堵。



フィニッシュ後には、メダルやタオルを掛けてくれたり

ドリンクやバナナを渡してくれたり、

手が空いている人は拍手で迎えてくれたり、

ボランティアの皆さんのサポートは本当にうれしかった。



とはいえ、いろんな意味でダメだった。

後半バテて楽しむこともできず、最後も帳尻あわせで

反省だらけのレースを東京マラソンでしでかすというのは

悔しいしもったいないし。



その後、嫁と合流して自宅近くの焼肉屋へ。

そうだそうだ。食べ放題は1ランクアップだ。



レース後の内臓は結構疲れているので、

酒も肉もごはんも普段に比べれば進まなかったのだが、

ようやくビールが入って、ホッとした気持ちも入ってきた。



こうしてのんびり飲んで食ってしている間にも、

まだコース上には制限時間と戦って走っている人たちがいる。



何度も書いているが、マラソンというのは最悪、死ぬ可能性もある種目だ。

練習も節制も準備もなしに42.195kmを走ることはできない。


私は本当に恵まれていると思う。抽選に漏れ続けている知人も

たくさんいる。その人たちが口を揃えて言うのは、テレビを見ていて

(ケガやアクシデントを除いて)5kmや10kmの関門で引っ掛かるのは

やっぱり解せない。そんな人が当選して自分が出られないって・・・と。



世界的にも規模の大きい東京マラソンだが、

スタートからゴールまで制限時間が一切ないホノルルマラソンとは

本質が違う。


走りたくても走れない大勢のランナーがいる中で、高い倍率の抽選を

くぐり抜けたからには、全ての出場者が生半可な気持ちでなく

ビッグサイトのゴールを見据えて「42.195kmを完走する」という覚悟の

もとで走ってほしいという思いも、あるにはある。



その反面、いろんな思いの人たちがその思いそのままに参加できる

のも、東京マラソンの良さといえば間違いではない。



競技であり、市民スポーツであり、イベントであり。

魅力あふれる場所に選手として出られることは幸せなこと。



また運よく出られたら、今度は最後まで楽しく走れるように・・・

そう思ったのもつかの間、その夜はとんでもなく早く眠りに就いた

ような気がする。





ごまめが歯ぎしりをやめる日


前日までに決まっていたこと。




レース後、自宅近くの焼肉屋へ行く。



グロスで4時間を切ってゴールできたら、食べ放題のランクが1つ上がる。


※グロス=スタート時刻(9時10分)からゴールするまでのタイム。整列位置からスタートラインをまたぐまでのタイムロスも含まれる。



ネットの自己ベスト(3:54:48)を更新できたら、食べ放題のランクが2つ上がる。


※ネット=スタートラインをまたいだ瞬間からゴールするまでのタイム。




東京マラソン2013当日。



快晴。朝の風はそれほど強くなく、寒さもあまり感じない。



2年前に続いて2度目の参加。ありがたいこと。感謝の一言。




沿道の声援は絶えることなく、2年前に比べてもはるかに多かった。


頭につけた、埼玉県のマスコット「コバトン」に気づいてくれる人もたくさんいた。


仮装までいかなくとも、何か声を掛けてもらえるものを装着しておけば「自分への声援」が返ってくることもある。それが疲労を和らげてくれる。




予定スプリットは5分30~35秒/km。


序盤から身体が軽ければ、自然とそれ以上のタイムが出る。



15kmまでの実際のスプリットは、だいたい5分20~25秒/km。


もちろん無理はしていない。むしろ意識的に抑えて走っているつもりだった。




つまり、走る前の燃料タンクが軽かった。


よって後半、間違いなく脚が止まる。



皇居を抜けて品川を折り返し、日比谷に戻ってくるまで、

時に5分20秒を切るペースまでになりながら、軽快すぎる今日の自分に歯止めを掛けられない虚しさというか、あきらめというか・・・



朝食もしっかり摂って、レース前の補給もしたが、

それでも足りなかった。バナナ1本ぐらい足しておけば良かったのかもしれない。



有楽町。ハーフの通過が1時間55分50秒ぐらい。

単純に2倍すれば食べ放題2ランクアップまで狙える時計だが、余力はとっくに残り半分を切っていた。




でも、身体にさえ変調がなければ押し通せるかもしれない。

攻めていったと考えて、このまま粘り込んでしまえばいい!




・・・と考えはじめた22km過ぎで、右脚のふくらはぎに違和感がくる。


つかの間のポジティブシンキングだった。




こんなに早くふくらはぎが痙攣することはない。

明らかに今日はおかしい。



もう楽しんで走る余裕すらなくなってしまい、

浅草を折り返して日本橋、銀座まで帰ってくる頃には右のふくらはぎは痛みに変わり、

多少かばって走るフォームになったためか、両太ももにまで痛みが回ってくる。




決定的だったのは、銀座和光の交差点を曲がる時。

ふくらはぎの痛みがピークに達して・・・



明日の仕事のことを考えてしまった。



もう無理はできないと、自分にブレーキをかけて、

記録へのアタックは終わった訳である。




しかしレースは終わっていない。

まだスプリットは5分40秒台でなんとか保てている。


途中トイレで2分ほどロスしたものの、6分/kmを超えない限り、

グロスのサブ4は十分いけるペースだ。



築地を過ぎ、佃大橋へ向かう。

2年前より脚が重い。視界も狭くなっていく。

はっきりスタミナが切れたと自分でも分かった。



豊洲、東雲のあたりはぼんやりとしか記憶がない。

もうフォームもへったくれもない疲れっぷりだが

なんとかストップウォッチを無意識に押してはいたようだ。


後で見たところ、38kmからスプリットが6分台に入り、

39~40kmは6分20秒/kmまで落ちていた。




・・・ここまでが、私の中での「東京マラソン・前半戦」である。



今回は41km、左にゴールの東京ビッグサイトが見える

有明からの記憶が、このレースの印象の大部分を占めるものだった。




(つづく)






ごまめが歯ぎしりをやめる日



今日、朝からビッグサイトの(予想以上に長い)行列に並び、

それでも幸い会場が30分早まったのでそれほど待たずに

ナンバーカードを受け取り、



東京マラソンEXPOで足早に RxL SOCKS のブースに向かって

嫁(おはぎ)が予約していたソックスと自分用のソックス、アーム

カバーを買って部長やスタッフの方々に挨拶して、



いったん会場を出たところで手袋も買ってきてと頼まれていた

ことを思い出し、出口からは入れない(止められた)ので

もう一度EXPOの入口からさも初めてですよの顔で入り直して

再び RxL SOCKS のブースへ向かって手袋を買って

再び部長やスタッフの方々に挨拶して会場を後にした、

ごまめ (兵庫県出身、埼玉県在住)です。

ではまたレース後に。




最初の給水所。



「水はありません!」 ← ボランティアの声


→2分ほど粘って、なんとかコップ半分の水を得る。




アクアライン前、次の給水所。



「水はありません!!」 ← ボランティアに参加していたSHERRYの声


→ここでも2分ほど粘って、コップ1杯。




気温24度で無風。

次の給水は橋を渡りきった5km以上先の「うみほたる」までない。


アクアラインを渡る前に少しでも水を摂っておかないと、

という怖さがあったので、なんとか最低限の給水を行う。



たしかにアクアラインの橋の上を走るのは気持ちよかったのだが、

想像以上のアップダウンと、気持ち悪いくらいの無風(吹き流しが

ビクとも動かない)が往復ずっと続く光景は不気味にも感じて、


アクアラインを降りる頃には、かなり脚を使ってしまう。

まだ中間点にも達していないのに、結構な疲労感。



このレースのメインともいえる場所を通り過ぎたものの、

残りはまだ20km以上ある。歩き出す人も増えてきた。



主に市街地を走る後半戦だが、

木更津のアウトレットやショッピングモールなどは通過するものの

多くは田園や住宅地となり、風景としては「我慢」の時間が多くなる。



それでも、沿道の応援がものすごく温かかった。

学校の前を通るたび、生徒や児童たちが1列になって

声援を送り、ハイタッチを求めてくれる。



36km過ぎの清見台も、ものすごい人だった。

前を見るとほぼ全員歩いていたが、もともと坂にそれほど抵抗がない

私は「いい練習の機会」と思い、しっかりフォームを確認しながら

駆け上がる。上り坂でのゴボウ抜きは気持ちがいい。



40kmを過ぎても、ハイタッチの波は続く。ありがたいことだ。

救急車が右往左往し、熱中症で倒れる人、気を失う人も含めて

側道で係員の手当を受けるランナーもだんだんと増えてくる中、

水分と同じくらいに沿道の応援は力になり、励みになる。



結局、4時間57分でゴール。

20分のロスがあったのでネットでは4時間37分という時計だったが、

シーズンの入りでこれだけの過酷な条件(市民マラソンで完走率73.8%

というのは、初心者が多かったとしてもかなり低い・・・)だから、

無事完走だけでも良しとしなければ。



第1回大会ゆえの不安定さも覚悟の上だったので、

アクアラインの上を走れたというだけで記念になる大会。



しかし、かなりの交通規制を含めて大分無理をして

走らせたなぁという気もして、来年やれるのかね。。。



ともかく、色々な意味で厳しいタフなマラソンの幕が閉じたのでした。


春に富士五湖100kmを走った後、

ゆめのしま6時間走や久しぶりの小布施など、

実はコツコツとレースには出ており、



秋は越後湯沢のハーフで身を入れた後、

ある意味記念参加、練習の一環として

「ちばアクアラインマラソン」に参加した。



嫁とのペア枠でエントリーしたのだが、抽選に漏れてしまう。

翌週は手賀沼のハーフがあるから別にいいかと

思っていたら、後日、まさかの追加当選通知。



秋のメインは11月のつくばマラソンなので

ここでしっかり距離を踏んでおくことを目的として、

なおかつアクアラインを走れるまたとない機会だから

楽しめるだけ楽しんで来ようと思っていた。



スタートブロックは、A~Kまである中の「K」。


追加当選者は問答無用にいちばんケツからのようだ。

もう少し考えてくれても良かったのではないか。

これがケツ、いや、ケチのつけ始めだったかもしれない。



埼玉から木更津は思いのほか遠く、

当日の時間も読めないので、近くの市原で前泊。


駅の周辺には飲み屋しかなく、

それでもチェーンじゃない居酒屋に入って夕食。

レース前日なので刺身は食べられないが、

魚の焼き物など、どれもなかなか美味かった。

ビールを1杯だけ飲んで、満足して就寝。



翌朝。


快晴。予想最高気温25度。湿度30%台。



スタート前。一番後ろのKブロック。



なーんにも見えない。なーんにも聞こえない。



セレモニーも、森田健作の声も、

川内優輝も猫ひろしもクロちゃんも、

増田明美もにしおかすみこもチーバくんも、


見えない。聞こえない。






唯一、聞こえたのは


「いってらっしゃーーい!」という千葉ちゃん(千葉真子)の声。






いかにも速そうな人が、たくさんKブロックにはいた。

みんな追加当選。この矛盾もまた現実。



気がつくと午前10時。スタートした、ようだ。


前のほうから伝わってきた拍手で、それが分かった。




5分経過、10分経過・・・・・・




ピクリとも動かないKブロックの面々。



振り返れば、20mほど後方にパトカーと収容車がいる。




関門を気にする必要まではない。

おそらく前にいる数ブロックの人達より速いペースで

走っていくことは間違いないからだ。



ただ、コース上はかなりの密度。

スイスイと追い抜いていくというより、かなりのジグザグを

余儀なくされそうだ。



それよりも心配だったこと。

この大会、第1回である。それも県と教育委員会の主催。

運営ノウハウをここから覚えていく段階の大会。



なんとなく想像はついていた。

序盤の給水所、水が飲めない可能性は小さくない。



・・・15分後、やっと集団が動き出した。



スタートラインまで約500m。


スタートラインをまたぐ前に用意されていた給水所で

念のため、水をふくんでおく。



号砲からちょうど20分。


ようやくスタートラインにたどり着く。

先頭はもう5kmをとっくに過ぎている。



ストップウォッチを押し、スタート。

普通に走っていても、周りをどんどん追い抜いている。


・・・あまりいい気分はしなかった。

初心者のランナーが大半なので、後ろや周りを気にする

余裕もなく、追い抜くにはなかなか骨が折れる。



5分40秒/km前後のリズムなのだが、

どうしても前がつかえて、自分のペースで走れない。


それでも我慢して、集中する。

しかし空気が乾いているせいか、呼吸が少しつらい。




4km、最初の給水。




「ごめんなさい!水はありませーん!」




・・・想定内とはいえ、予想が当たるのは嫌なものだ。



(つづく)