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ごまめが歯ぎしりをやめる日

くだらない事をうだうだと書ける今日という日に、心から感謝。

最後5kmの坂は、今回も厳しい「魔の坂」となり、

トボトボ歩くしかないか・・・と思っていたのだが、



やはり年々、レベルが上がっているのか。

こんな状況でもしっかり走ろうとする周りのランナー達。



縦1列。

こうなったらみんなで上りきろうとせんばかりに、ランナーのトレインが自然発生的にできていた。



自分も「こうなったら付いてってやれ」と、このトレインに乗っかっていく。

急な傾斜にも負けず、ひたすら脚を動かして。



しかし1人、また1人・・・トレインから落ちていく。

95km走ってきた身体には酷すぎる仕打ち。

それでも必死に食らいついていった・・・



・・・のは、残り4km手前までだった。

脚が止まり、残り数人程度となったトレインが離れていく。

ここまでだった。



しかし、「拾う神」がここにいた。


3年前に心身を救ってもらった、ミルクティーの女神 が。



確か3年前は女性お1人だったような気がするが、

女神は子供を抱いて、傍らにはミルクティーをよそうご主人が。



「以前もここでミルクティー飲んだんです」

「あ、そうなんですか」



こんな会話を交わしつつ、ミルクティーで一服。

甘い。美味しい。今年もここで救われた。



長く険しい上り坂。ひたすら歩く。

残り3kmあたりで、早くも富士北麓公園の賑わいが聞こえてくる。



もう時計は気にしなくていい。

長かったなぁここまで。2年越しのゴールまであと少し。



2年前と同じく、残り2kmから再び走り出し、

富士北麓公園まで少しずつピッチを上げて、

ほんの少しだけ感慨深くなりながら、陸上競技場へ。



最後の直線。「あとわずか」をしみじみと味わって、







13時間00分56秒で、リベンジ成功。



2年ぶりの完走メダルはうれしかったが、意外と心中はサッパリしたもので。

2度目の100kmというのもあるけれど、無事にゴールできて良かった、ホッとしたという気持ちのほうが大きかった。



いつものごとく全身に筋肉痛はきたけれど、意外と長引くこともなく、メンタルの回復も早かった。



逆に覚える、物足りなさ。


走っている最中は「もういい。100kmはもういい」と毎回思っているのだが、それほどダメージも引きずらず、満足感もあっさり薄れていったということは、、、



今年の記録、今の状態で、「100km/14時間以内」から、この大会の最高峰となる「112km/14時間30分以内」にコマを進めるとなると、最後の坂はそれこそ、生きるか死ぬかの戦いになるだろう。



自分にとってのウルトラマラソンは「厄落としの一貫」という側面もある。


来年は本厄だし、3種目制覇に向けて「戦う」という選択も、あっていいかもしれない。


(おわり)

普段の生活でもよくあることなのだが、



これまでにない痛みを覚えた時、一瞬でも「うわ、どないしよ」と怖くなる。


場所であったり、痛みの強さや度合いであったり。「これはすぐ治る」「寝たら治る」といった範疇を超えた痛みに、自分はめっぽう弱い。



頭の変な所が急に痛くなったりでもしようものなら「死ぬんか?これでお陀仏か?こんなあっさりとか?」と、一人で勝手な不安感に襲われてブルーな1日を過ごすことが特に30を過ぎてからの独身時代に多かったアホなこの自分が精進湖を手前にした陸橋の下りで今回苛まれた痛みは、両足の裏、右わきの下、腹部(なんとなく)の3つ。



両足の裏は舗装が十分でなく、凹凸や細かい傾斜の多い歩道に気を遣ったせいもある。原則、歩道を走行するこの大会では、意外と躓きや転倒が少なくない。


自分も去年のつくばマラソンで歩道脇の段差に足をとられ、すっ転んだのがまだ記憶に新しい。なるべくすり足に近い運びで上下動を抑えて走ろうと思っても、どうしても足元が気になってしまう。下りでも踏み込むというより傾斜に体をもって行かれるような動きになって、足裏に随分と負担をかけてしまった。


腹部は給水を摂っているうちに、腸のあたりがなんとなくモヤモヤし始めて・・・早朝のスタートゆえに、腸内環境を整えるのが難しい。精進湖のトイレで時間を使い、難を逃れる。



わきの下は・・・フォームが歪んでいたのだろう。これも結構痛い。



去年リタイヤした本栖湖入り口、69kmまでたどり着いたが、余力はほとんどない状態。

時間の余裕はあるものの、足の裏がとにかく痛い。気温も低く・・・肩も痛み出す。




一瞬、「もうやめようかな」と弱気になりかけたその時、



ある男性ランナーが「やめた!もうやめた!」と大声で言いながら、収容バスへと向かっていく。



それを見て思った。


そんな大声を出せるんなら、走れるやろ。


声も出んぐらいにボロボロになっても一歩を踏み出す。その精神力を試されているのがウルトラマラソンじゃないのか。



戦いを自分で投げてしまうようなことは、したくない。

心が折れていないのなら、いける。



本栖湖のエイドを出る。


復路のスタートは、野鳥の森公園から下りに下ってきた国道139号(パノラマライン)を、ひたすら登る。すれ違うランナーも多い狭い道を縫うように、コツコツ登っていく。



帰りたければ、ゴールしたければ、完走メダルが欲しければ、後悔したくなければ・・・登るしかない。




ここから、帰りの野鳥の森公園、西湖、河口湖・・・実は大した記憶がない。


とにかく集中、集中と言い聞かせ、目の前約5mほどをじっと見つめ、淡々と歩を進めるのみ。


遠くを見てしまうと「まだあんなにあるのか」と気持ちがネガティブになる。道路端の白線に沿って、何も考えず、脳内音楽も流さず、頭の中を無音にして走ってみた。



疲労はあっても、足取りは重くならない。自分でもこの区間はしっかり走れたと思う。河口湖を出た時点で、完走した一昨年と変わらない時間までリカバーできた。



グイグイと進んで、95km。残るは、あの坂だけだ。


(つづく)

 

山中湖に別れを告げると、とりあえずホッとする。


多少標高が下がり、空も明るくなってくる。そして72kmのランナーも合わさってコース上がさらに賑やかになるからだ。



ファナック通りから忍野村を抜けて富士吉田市内。



・・・抜かれていく。山のように抜かれていく。




こんなに後ろに人いたか?


この人、さっき抜かれたはずやぞ?




そりゃそうだ。


ペースが周りより遅い分、特に序盤のエイドはなるべく短い時間の滞在に留めてタイムの無駄を減らそうと計画していたからだ。スポーツドリンクを1杯、あるいは手持ちの粉末サプリ(アミノ酸とかクエン酸とかビタミンとか、レース中の疲労に効くいろんなものが入ったやつ。もちろん甘くも美味しくもないし、遠足のおやつにもならない)を水で流し込んだらすぐ出発、の繰り返し。


これによって、エイド1つ通過するごとに何十人というランナーを、一時的に追い抜く形となる。

それでもしばらくすればエイドで置き去りにしたはずのランナー達に、同じ調子で抜かれていく。これまたこの繰り返し。



不要な休憩をなるべく減らして、コツコツ走る。ウサギに何度も抜かれようとも、エイドでのんびりしている間にカメは再び先を行く。レースの終盤はほとんどのランナーが揃ってカメになるんだから、ここに損得はない。



抜かれるのを厭わなくなったことで気持ちが楽になった反面、楽になりすぎてペースを抑え過ぎた気もするが、大きな疲労もなく40kmまで来た。



富士急ハイランドを横目に見ながらさらに進んで、河口湖大橋を渡ったその先が42.195km。


河口湖畔。思えば桜が綺麗に咲いている「チャレンジ富士五湖」は初めてだ。


富士山は見えなくとも、桜の出迎えを受けて走れる幸せ。雨は完全に上がったとはいえず、気温も依然2度前後と低いが、春を感じられる風景があるのは嬉しい。



昨年は途中で歩いてしまった西浜小・中学校の第2関門手前にある急坂も、しっかり走り切って52km。


通過タイムは一昨年より20分ほど遅いが、関門のリミットには1時間以上もある。

気持ちが焦ることもなく、いつものようにエイドでもらった板チョコを口に含みながらブラックのホットコーヒーを飲む「ほんのわずかな至福の時間」を味わった。



その後も西湖、野鳥の森公園(吉田うどん・・・美味しいけど半分残してしまった。申し訳ない。もう少々しっかり茹でて頂ければありがたいのだが・・・)を抜けて、いよいよ青木ヶ原樹海を見下ろす陸橋の連続へ。



・・・カメだって、どこまでも順調とはいかない。ピンチは突然やってきた。



(つづく)

 

スタートして1km、2km、3km・・・





・・・どんどん抜かれていく。異常なほどに。





参加者が増えた、ということは、ウルトラ初参加のランナーも増えたということになる。


「飛ばして先細り」は地獄を見るだけ。ウルトラマラソンにおけるこの基本的な教訓なんぞよーくよーく分かった上で、日が昇るまでは7分/kmを守り通そうと、抑えて抑えて最初の下りをやり過ごそうとしたのだが、、




周りが速い。明らかに速い。


2年前はもっとみんなゆったり走っていたのに、なぜそんなに急ぐ・・・



最初の関門は7分半/kmでも十分間に合うのだが、感覚的に周りの人達は6分~6分半/kmぐらいの勢いで下り坂を疾走していく。前半の貯金が目的なのか、自分が遅すぎるのか、それとも。。



どこまで走っても次々と抜かれていく。7分/kmを貫く自分をあざ笑うかのように。

驚きと焦りと劣等感に苛まれながら、山道を進んでいく。




富士北麓から一気に下って国道413号まで、そこから忍野八海へと入って山中湖を1周。来た道をそのまま引き返して国道413号との合流点まで戻り、富士吉田へ。



というのが序盤のこれまでのコースだったのだが、混雑を避ける目的からか、山中湖への往路が国道413号の直進に変更となった。これによる距離調整のために、これまでは下っていくだけだった序盤のコースにも変更が生じ、一度国道413号近くまで降りてきた道を引き返し、200~300mほどだが結構な傾斜の坂を登っていくという嫌なアクセントがついてしまった。



ダメージまでにも至らなくとも、やはりこれまでと違うコースを走る違和感がある。ましてやその違和感と並行して次々と他のランナーに抜かれていくのだから、無意識に走りのリズムが崩れていくことすらも分からないままの、いわゆる「周りに呑まれた」立ち上がりだった。



ダラダラとした上りが多い国道413号を伝って、山中湖へ。


途中、骨組みがすっかり壊されてしまったビニルハウスを見つける。

多い所では3m近くにもなったというこの冬の豪雪は、富士五湖周辺にも大きな影響、そして被害を与えたそうだ。まだ解けずに残っている雪の固まりも見られたが、なんとか今年も富士五湖を走ることができている。大会スタッフ、ボランティア、そして地元の方々に感謝しないといけない。



私的な意見だが、「カネを払って客気取り」という姿勢は、市民ランナーの恥だと思う。

貴様がどれだけ気分良くいいタイムで走ったところで、この世は何も変わらない。市民マラソンというのはどこまでいっても趣味、道楽の域を超えることはないのだ。地元住民の生活の場である公道を走らせてもらっている、この感謝を忘れたやつが道端で用を足し、「トイレが少ない」と文句をたれる。


語弊を恐れずに書けば、いい大人が「次のトイレ設置地点まで尿意を我慢できない」なんて事はまずありえない。タイムロスしたくないだけなのだ。結局エゴなのである。あの日、世界自然遺産登録の地に用を足したランナーは少なくなかった。すべてを「トイレが少ない」大会運営者の責任にするのが正しいのか。本当にそれでいいのか。本当にそれが、いい大人の考えるべきことなのか。




・・・時折こんなことを考えながら、気温0度、小雨の降る山中湖を淡々と走った。



まだまだ抜かれていく。


15分後にスタートしたオレンジのゼッケン、第2グループのランナーも増えてきた。



25km通過。ストップウォッチを見れば、計ったように7分/kmのペース。これでいい。



(つづく)


職場へ行く途中の電車から、空気の澄んだ朝には富士山がよく見える。


遠く離れた埼玉からでも、ハッキリと見えるのだ。



高くそびえる霊峰富士を眺めながら思うのは、リタイヤに終わった「第23回チャレンジ富士五湖」の記憶、そして同じ轍は踏むまいと誓って臨む「第24回チャレンジ富士五湖」。


よっぽど悔しかったのか分からないが、ほぼ毎日のように思い続けて丸1年が過ぎた。



年に1度の荒行。そして、年に1度の大道楽。



2014年4月22日の、富士五湖の天気は「くもりのち雨」

今年も富士山は雲の向こう。


埼玉から望めた富士山が、こんな近くにいてなぜ見えない?

あくまで確率論だが、4月の下旬というのは統計的に週末の天気が悪くなるようだ。



「世界遺産を愉しもう」なんて、何を呑気な。


今回も、過酷な試練が待っている。



当日は2時40分に起床。

目覚ましが鳴る前に起きた。5時間少々ながら、案外よく眠れた。



例によって早すぎる朝食。

いそいそとテーピング等の準備。

3時40分過ぎにホテルを出て、

バスで富士北麓公園陸上競技場へ。



・・・緊張はない。違和感もない。

きわめて淡々と、スタートまでの時間が過ぎていった。



富士北麓公園。標高が上がると様子が変わる。

弱いながらも霧雨。風はないが、冷える。



今年から「100kmの部」は参加者の増加により、スタートが5時と5時15分の2グループに分けられるようになった。これによって「72kmの部」のスタートも例年より15分遅い、8時15分に変更された。



5時にスタートする第1グループに割り当てられたのだが、

自分にとっては今思えば、この第1グループからのスタートが及ぼす影響は悪い意味で小さくなかった。これは追々、記していきたい。



全身を軽くストレッチ。スタート地点まで歩くだけのノーアップ。

スタート時刻の5時が近づく。



インナー+ネックつき長袖シャツに、レインコートをしっかり羽織る。

去年ほどではなくとも、今年も寒さと雨が敵になる。



手を合わせ、今日1日の無事を祈って、号砲。




山中湖1周、河口湖、西湖、精進湖1周、本栖湖の入り口で折り返して再び西湖、河口湖と巡って富士北麓へと帰ってくる100km。




2年ぶり2度目の完走を目指して、長い長い1日が今年も始まった。



(つづく)