やっと桜が開花しました。
週末の家の1本だけの桜です。
「将軍」エピソード9がリリースされました。
かなり緊迫感に溢れ、終わり方はショックで、気がつくと滂沱の涙。
こんなにも毎週楽しみに次のエピソードを待ち焦がれたドラマは何年ぶりでしょう。
このドラマにディズニー+は莫大な費用を投じたようですが、その甲斐あって歴史に残る名作に仕上がったと思います。
プロデューサーとしても参加された真田広之さんの功績はとても大きいです。
ただ、、、、
この時代を描くドラマの常で、切腹シーンや人を切るシーンがとにかく多い。
戦乱の世の「死生観」は、この時代特有の武士階級のものですが、これを世界の視聴者たちに納得させるのは決して容易いことではないと想像します。
特に切腹という自身の腹を切る凄絶な「自殺」
ご存知のようにクリスチャン世界では自殺は大罪です。
自殺をするとお葬式も出してもらえないほどです。
遺された家族はずっと苦しみ続けることになります。
このドラマでも、登場するポルトガル人のイエズス会の神父たちは自殺を何より忌み嫌い理解に苦しんだはず。
そんな中、名誉ある「切腹」をどう説明するか。
それがドラマの成功を握る鍵だったかと思います。
【 Rish NY4月19日(金)正午発売! 】
https://rishny.com/SHOP/list.php?Search=stripe-s24
裏地付き!洗濯機でお洗濯可能!
さらっとしたシワになりにくい素材
今なら白シャツと合わせたり
テーラードジャケットを羽織って
夏ならインナーなし一枚で。
ヒールを履き床上1cmで丈を決めると
最大限に脚長に見えます!
「死」、特に自ら命を断つことに関しては、クリスチャンに改宗した鞠子(細川ガラシャモデル)の口を通じて、何度も説明が繰り返されます。
死も生も同じこと。
死は生きた証である。
関ヶ原の合戦直前の1600年、戦乱の世において「死」は武士階級ばかりか農民たちにとってもとても身近なものであったはず。
当時、長く寝たきりになったり、痴呆状態で生きながらえるというグレーゾーンの生き方はなく、病気になれば、死はすぐに迫り来て、人々の寿命も短いものでした。
疫病、怪我、戦による死など、どの階級の人も身近な人が死ぬのを日常生活で当たり前のように見てきたはず。
そしてそれはかなり最近まで続いたと思われます。
わたしが4歳の時、祖母が亡くなりました。
当時、村と言っていい集落のはずれに「さんまい/三昧」と呼ばれていた小さな火葬場がありました。
祖母はそこで火葬されました。
そこは学校へ通う道の少し外れにあり、その煙突から煙が出ているとだれかが死んだ証。
その煙を見てもいちいち気持ちが悪いとか、怖いという感覚で「死」を意識することはありませんでした。
また、我が家の祖先が信じる浄土真宗では、喪中であっても「忌中」のお札は貼りません。
玄関に高く盛った塩を置く習慣もありません。
死は生の延長にあるもの、ただそれだけで、忌み嫌うものではないとの考えが根底にあるのです。
普通に生きた結果、普通に死を迎える。
死とは一切の穢れや煩悩を離れた浄土への旅立ちであり、今生でお役目を果たしたご褒美のようなもの。
そんな仏教観も知らず知らずのうちに身につけていたのかもしれませんね。
家康が戦に臨む際の旗印は「厭離穢土欣求浄土」
(おんりえどごんぐじょうど)でした。
これは、「現世は、穢れた世界であり、この世界を厭い離れ、次生は清浄な仏の国土に生まれることを願い求める」の意。
阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であり、そこへの往生を切望する思いが込められていました。
考えてみれば人間の死亡率は100%
死が避けられないのなら、
どう死ぬかで人間の価値が決まる。
そんな考え方が生まれても不自然ではありません。
来週はいよいよ最終回です。
うちのスクリーンではなく、一度、映画館の大スクリーンで見てみたい。
そんな気持ちを抱いてしまうドラマです。
実はこんなことを書いたのですが、今となっては取り消したいです。
鞠子(細川ガラシャがモデル)演じる杏奈さんの演技がどんどん素晴らしくなっていきます。
日々感じたこと、ファッションのことなどはこちらで書いています。