※今日の記事は考察です。
受験は関係ないので、お時間ある方だけお読みくださいね。
最近はどこの企業、どこのお店でも
人員不足が叫ばれており
今日も「人員不足のため~~での営業となります」
という看板を見ました。
なぜここまで「人員不足」なのか?
もちろん、高度成長期から比較してしまえば
「団塊の世代が退職した」
「育児、介護が大変だから」
など理由が挙がってきそうですが
究極的には
「こんな条件では、働きたくない」
という個々人の意思が表れているのかもしれません。
「自分が、自分を大切にしたい」
「こんな条件では、働きたくない」
というのは、
・こんな労働条件で
・こんな賃金で
・こんな残業時間で、勤務時間で
・こんな人間関係で
「私は、私を働かせたくない」
という想い。
つまり
「私は、もっと私を大切にしたい」
という望みが、潜在的にあるのではないでしょうか?
おそらく、高度成長期であれば
多少の我慢はあっても
それに見合った給料がもらえたり、昇進があったり、いい家が買えたりして
その「幸福」に向かっていくことに満足感があったと思います。
(想像だけど)
しかし、バブル崩壊後以降
労働者の賃金はほとんど上がることなく
税金、物価高など生活にかかるお金が増える一方の中で
高度成長期のような幸福感が薄れて
多少の我慢に対しても
「これでいいのか?」と自問自答するような時間が増えて
「私は、もっと私を大切にしたい」
という、人生の本当の望みを自覚していく流れに
なっているんじゃないかな、と思います。
自分が自分を無視し続けた結果、暴挙に出る
そして、自覚ありなしに関わらず
自分の望みを無視し続けると
・いじめ、パワハラ、DV、虐待
・犯罪、事件、事故
・過労死、自殺
・不倫、浮気
など、他人または自分を傷つける
痛ましい事例に発展します。
おそらく今日報道されるニュースの数々は
大部分がこれらの事例に入るのではないでしょうか?
(それを敏感に感じ取ってしまうので、私は
テレビのニュースはもう見ないことにしています)
そして、企業の人材不足のテーマで考えるなら
「こんな条件で、働きたくない」
と思いながらもサービス残業を続ける、いじめに耐える…などしていたら
精神的にも肉体的にも追い込まれることが想像できます。
「自分はどんなことを望んでいるんだろう?」に意識を向けていく時代
相手をコントロールすることはできないので
「企業に、〇〇してほしい」
「〇〇さんに、××してほしい」
というのを叶えるのは難しいですが
その奥には
「私は、もっと私を大切にしたい」
という本当の望みがあるのではないでしょうか?
私も、前職を退職したのが2015年9月末なので
すでに8年経ったことになりますが
「今後、人生をどう生きていきたいか」
「どんなことで貢献したいか」
という話を深く議論できる同期はおらず
やはりそこで孤立していたので
「もっと、そういう点を大切にできる人たちと一緒にいたい」
という想いもあって
それも退職の理由の1つです。
「相手を変えようとするのではなく、
自分の望んでいる方向に
少しずつでも、忠実に生きていく」
という方向に
1人1人が正直になっていっているような気がします。
今、もしかしたらつらい状況で働いていらっしゃる方も
いらっしゃるかもしれませんが
今すぐ、辞める、どうのこうの、ではなく
「相手にアレコレしてもらうのではなく、
自分はどんなことを望んでいるんだろう?
どうやって生きていきたいんだろう?」
ということに想いを馳せる時間を
とってみるのはいかがでしょうか?