こんにちは~
 

今日もブログを見に来てくれてありがとうございますハート
 
 

今朝、Facebookの機能で出て来た5年前の今日の写真

この家が出来る前で超localコスに住んでいた時です
 
 
 
 

それで、父の命日だった事想い出しました
 
 

5年前の今日も父の命日忘れていて、1日遅れて命日お祈りしているところです汗
 
 

当時は命日じゃなくても、父と母と別荘に遊びに行った時の写真をバリ島へ持って来て今も飾っていますが、そこに庭で採れるプルメリアのお花を夫が採ってくれて飾っていたのですが、父の命日の前日にきれいに咲いているのが無いから明日、お花屋さんに父の為のお花を買いに行こうねって夫が言ってくれていたんです
 

そして、命日忘れていたのですが、この日は父の好物の天ぷらお蕎麦作っていたんですよ
 

宗教は違っても、こうして父の為に祈ってくれる優しい夫ハート
(ちなみにキャンドル入れてる容器はシーチキンの缶)
 
 
 
夫と出逢った頃は、まだまだ父の死のショックからも立ち直れていない時・・・
 
 

私は本当に父の事が大好きでしたハート
 

その大好きな父が2009年の春に急性骨髄性白血病であると家族が病院に呼ばれて告知を受けました
 
 

実はこの年、妹がインドネシアのジャワ島でも挙式する為に、飛行機の手配、父は日本から一度も出た事が無かった人なのでパスポートの手配も済んでいました
 

父がこの告知を受ける10年程前に毎年の健康診断で血小板増多症と診断を受けて、当時これはまれですが、この病気の人が白血病になる場合があると言われていました
 

この時も何とか父の体を健康に戻したいと思って、当時私の顧客の方が父を心配してくれて、有名なドクターに巻物に書いたお手紙を託して下さり、そのドクターに見てもらいに遠方まで父と二人で出掛けた事もありました
 

父は診てもらったあと、私にありがとうねとお礼を言って、でも仕事が有るし、毎月こんな遠くまで休んで通う事が難しいから近くの病院にちゃんと定期的に行くから心配しないでと言いました
 

私は仕事は私がおじちゃん(社長)に頼むから大丈夫、ちゃんとからだを治して欲しいともう一度言いましたが、ありがとうとだけ言って、その後はその遠方の病院へ行くことがなく、近くの病院で定期的に血液検査しながら投薬で治療していました
 
 

でもその薬もたまたま血小板増多症の方が飲んで血小板が下がると分かったという抗がん剤だったので、それがすごく気になって少しでもその薬の作用が父に負担にならないようにと当時レイキを習得し、父の薬にレイキをかけたりしていました
 
 

父も普通に仕事しているし、私達家族も父は大丈夫だと当時言われていた白血病の事なんて全く忘れていた10年後の告知
 
 
 
パスポートの受け取りの時に、ちょっと最近お父さん疲れていると言っていて、病院から呼び出し受けた時に、気にしていた父

そんな時の急性骨髄性白血病の告知でした
 
 
 

一番ショックなのは父なのに、私は長女で一番しっかりしていないといけないのに、父の前なのにその場で号泣してしまい、それを見て父がショックで倒れてしまった告知の日・・・
 

それからすぐ入院になり、抗がん剤での治療が始まりました
 
 
もちろん、みんなでインドネシアで妹の挙式するのもキャンセルに・・・
 
 

告知を受けるまで普通に暮らしてきた父が入院して治療に入ってどんどん見た目が別人のようになってえーん
 
 

毎日父に会いに通いましたが、父の部屋に入る前に深呼吸して明るく笑顔で病室に入るのですが、父がある時から、もうここへは来なくていいからねと言うようになりました
 
きっと父も相当辛かったんだと思います
 
 

何言ってるの~お父さんに会いたいから毎日来るよ~と言ってその後も毎日通って、足を洗ってあげたりしていたのですが・・・

明らかに弱って行った父えーん
 
 

ドクターからの説明で、残念ながら今回の抗がん剤が父には効きませんでした

また違う種類の抗がん剤を使います、でも父が心臓ももともと弱いので、治療に耐えられるか保証がないと・・・
 
 
それが2つの薬で繰り返されて・・・
 
 

そして、年齢的にも心臓の問題もあって、骨髄移植も聞いてみたのですが出来ないという事でした
 
そんな病院生活を送っている父を何とか助けたくて、絶対生きていて欲しくて、必死で色々情報を集めて、当時自然治癒で沢山の方々が健康に戻った治療院を見つけて、父に話して、次の治療まで数日自宅に戻って良い日に見学に行きました
 
 

そこの先生と話が合った父は今までお世話になっていた病院の治療を止めて、私が見つけた自然治癒の治療院へ通い出しました

どんどん元気になってきた父
 

私は当時も結婚していて自宅は離れていましたが、母がパートお休みの日以外は私が毎日治療院へ連れて行って、夕食は当時本やインターネットで勉強したマクロビでの夕食を、これは母がお休みの日も毎日作りに行きました
 
 

この夕食をとても楽しみにしてくれていて、1口1口美味しい~と本当に美味しそうに食べてくれていた父
 
 

これは今思えばですが、色々制限しないでもっともっと好きなものを好きなだけ食べさせてあげたかったなぁ~と思います
 
 
 
そんな生活を数か月続けて、私も父も家族もみんな父はこのまま元気になると信じていました
 
 

父が倒れる前日、父は実家の庭の草取りをしていて、父に元気になってきてもそんなに長時間暑いのに無理してやらないでと私は料理しながら庭にいる父に声を掛けました
 
 

その時に、いつまでこうしてあげれるかも分からないから、お母さんが一人で大変だから・・・と言って来た父
 
 

そして、お父さんが一番望まないのは寝たきりの状態になって家族に迷惑かけることが一番嫌だとも話してきました
 
 

次の日もいつも通り父を迎えに行き、治療院へ連れて行き、私は別の階の部屋で待っていたら、治療院の方が父の様子がおかしいと言うので行ってみたら、さっきまで笑顔で会話していた父が横になって、変な鼾の様の音が聞こえて、これはおかしいとパニックになりながら、救急車は呼んだんですか?と来たら呼んでないと言うので、早く救急車を呼んで~と叫んで・・・
 
 

そこからもう記憶が所々無いのですが、一緒に救急車にのり、元々父が治療していた病院へ行先を変えてもらい、病院でガタガタ震えて待ちました
 

パニックの中で家族に何とか連絡を取ってみんな来てもらい、みんなで父を待ちました
 
 

緊急オペをしてもらいましたが、脳幹出血で難しいという事・・・
 
 

延命治療を希望していなかった父でしたが、こういう時、延命治療をしない選択が出来なかった私達
 
 
人はいつか誰でも死ぬ
 
 
それは分かっていても、自分の大切な愛している人が生死をさまよっている時に、延命治療を聞かれて断る事は出来ますか?
 
 
私達は出来なかったです
 
 
 
奇跡が起こると信じて、毎日また病院へ通い、マッサージしてみたり・・・話しかけてみたり、父が好きな野鳥のCDを聞かせたり

そんな数か月でした
 
 

私は父が倒れる前日に寝たきりで自分が何も分からなくなって生きて行く事は嫌だと言っていた事を思い出して、延命治療をしたことで父が辛かったら可哀想だなと思ったり・・・

でも、どんな状態でも父が生きていてくれる事が嬉しかった

そして、ここからも奇跡が起きると信じていました
 
 

この時に日本での医療制度で初めて知った事、こんな状態なのに、ずっと同じ病院にはいられなくて、転移する病院を探さなくてはいけませんでした
 

私達は家族が居たけど、これ一人でやらなければいけない人とか本当に大変だと思う・・・
 
 

私達の願いは叶わず、父は新年を迎える前に天国へ行ってしまいました
 

きっと、父はこれ以上この状態で私たちが過ごす事、望んでいなかったんだと思います
 
 
 
 

本当に大好きだった父だから、もう本当に父が死んでしまったんだと、魂はずっと存在している事が分かっていても、やっぱりとてもショックだった
 
 
 
しかも、私が見つけてきた自然治癒の治療院で倒れた事
 
 

もしも、あのまま抗がん剤をしていたら、助かっていたのかもと考えたら、これは誰も分からない事だけど・・・胸が苦しくなって・・・
 
 
救急車で病院に運ばれた時も、父の主治医に会った時も、だからねって感じの対応されたんですが・・・
 
抗がん剤に次がもし効かなかったら体が耐えられないかもしれないと言っているドクターに大切な愛する人を託せなかった
 
 
もしもあの時・・・ってどうにもならない事なのに何度も考えてしまった
 

本当に辛くてたまらなかった
 
 

過ぎてしまった事だけど、血小板増多症って診断された時に連れて行った遠方の病院になぜ無理やりでも継続して連れて行かなかったのか?とかいっぱい当時は自分を責めて過ごしてきた
 
 
 
ストレスが病気になる原因だとも聞くので、そのストレスって私の事を守るために父が何年も色々頑張ってくれて病気にしてしまったんじゃないか?とか本当に本当に色々ずっと苦しかった(いつかブログに書くことが出来る日が来たら書こうと思います)
 
 

だから父が亡くなった事は事実なんだけど、記憶を無くすことで自分を守っていたのかもしれない
 

今も書いていて涙が止まらなくなる
 

2011年に私はバリ島で1週間の本格的なヴィパサナ瞑想合宿をしています
その時の記事
↓
 
 
その時に父が私の傍に来てくれていると感じた感覚がありましたキラキラキラキラキラキラ
 
父の葬儀の席で会社の社長夫妻から父が生前、秋川雅史さんの『千の風になって』が好きだったと初めて聞かされました
 
葬儀でかけた音楽の中に『千の風になって』がありました
 
 
父はもしも自分がこの世にいなくなってもこの歌のようにお墓の前で泣いて悲しんでほしくないと・・・
 
 
そんな事を話していた事もビックリしたし、父は自分の体に異変を感じている時も、私達家族を心配してずっと愛してくれているんだなと、この歌を葬儀後中々聴くことが出来ませんでした
 
 
 
その歌詞にあったように、この瞑想していた時、父は風になって私を包んでくれたように感じました
 
 
 
 
 

2016年にバリ島でハリーさんRoseさんのセッションを受けたのですが、その時までは本当に父の死についても苦しくなる事が多かったのですが、そのセッションで特に私が聞いていないのに、父の事でセッションが始まる前にまず伝えておかなければいけない事がありますと言われて聞いた内容が嬉しすぎて、今まで辛かった部分が解放されました

その時の記事
↓
 
 

私の父ですが、父は本当に素晴らしい人で父が私の父だったから今の自分があるんだと思います

いつも命日忘れてごめんね・・・
 

命日は忘れていましたが、なぜか昨日は私の成人式の時の写真に目が行って、お父さんありがとう~って言っていたな
 
そして、夕食は父が好きなお鍋作っていたなぁ~
 
1日遅れでお祈りしたいと思いますハート
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 

最後まで読んでくれてありがとうWハート

 

 

 

 

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