緊急投稿。
坂井泉水さんが急逝なされました。
御冥福を心よりお祈り申し上げます。
以後、'乱暴'な見解になりますが、私なりの思いを述べずにはいられません。
'ZARD'世代、という事になるのでしょうか。
熱烈なファン、という訳でもありませんが好きです。
上質なポップス、と言ってよいと思います。
ここでは'音楽'に関しては触れません。
私の述べたい事。
世間一般的には、一世を席捲したにもかかわらず、偶像を超えて神秘的、とさえ言える存在。
音楽に対するご姿勢も、ひたすらひたむきで、ストイシズムさえ感じられるものです。
それは、'戦略'が見事に結実を見たから。
確かに。
しかし、少ないインタビュー記事の'行間'から、またチラホラと聞こえくる評判、そして何より楽曲から伝わりくる彼女のメッセージ、それらによってその'イメージ'は相違なき事実として認識できます。
否、私の想像より遥かに壮絶な御苦労を以て音楽に向き合っていた事でしょう。
本日報道された、急逝の一報。
その変遷を知るに、私は卑しくもあるものへの期待を抱いてしまいました。
程なく巷に溢れくるであろう週刊誌等の'ゴシップ'記事。
誤解を恐れずにハッキリと述べさせて頂きます、私は今、それをとても'心待ち'にしています。
ここまで身を削って感動を創造してくれた女性。
先述の様に音楽に対するご姿勢が'事実'なら。
その'戦略'に翻弄された!?彼女の人生が突如幕を下ろし、このまま'華もない'イメージでこの世を去るのは、この上なく儚く美しくも、しかしあまりに切なすぎませんでしょうか。
私は、彼女が'女性'として生きた証が欲しいのです。
それがどんな'形'でも、乱暴に言ってしまえば、たとえ'不倫'でも'愛人'でもかまわないでしょう。
子宮がんとききます。
彼女なりの'幸せ'な時間が存在した事が、知らしめられてほしい。
更に大きなニュースもかぶさってきた今日、このまま人々の記憶を薄れるに任せるには、余りに居たたまれない。
大変勝手な意見乍ら、ホントに彼女なりに'華やか'な人生があった、と思いたい。
そうであってほしい。
一報から今迄、ずっとそれを願い続けています。
最後まとめられず申し訳ないですが、その思いでいっぱいです。
(了)
御冥福を心よりお祈り申し上げます。
以後、'乱暴'な見解になりますが、私なりの思いを述べずにはいられません。
'ZARD'世代、という事になるのでしょうか。
熱烈なファン、という訳でもありませんが好きです。
上質なポップス、と言ってよいと思います。
ここでは'音楽'に関しては触れません。
私の述べたい事。
世間一般的には、一世を席捲したにもかかわらず、偶像を超えて神秘的、とさえ言える存在。
音楽に対するご姿勢も、ひたすらひたむきで、ストイシズムさえ感じられるものです。
それは、'戦略'が見事に結実を見たから。
確かに。
しかし、少ないインタビュー記事の'行間'から、またチラホラと聞こえくる評判、そして何より楽曲から伝わりくる彼女のメッセージ、それらによってその'イメージ'は相違なき事実として認識できます。
否、私の想像より遥かに壮絶な御苦労を以て音楽に向き合っていた事でしょう。
本日報道された、急逝の一報。
その変遷を知るに、私は卑しくもあるものへの期待を抱いてしまいました。
程なく巷に溢れくるであろう週刊誌等の'ゴシップ'記事。
誤解を恐れずにハッキリと述べさせて頂きます、私は今、それをとても'心待ち'にしています。
ここまで身を削って感動を創造してくれた女性。
先述の様に音楽に対するご姿勢が'事実'なら。
その'戦略'に翻弄された!?彼女の人生が突如幕を下ろし、このまま'華もない'イメージでこの世を去るのは、この上なく儚く美しくも、しかしあまりに切なすぎませんでしょうか。
私は、彼女が'女性'として生きた証が欲しいのです。
それがどんな'形'でも、乱暴に言ってしまえば、たとえ'不倫'でも'愛人'でもかまわないでしょう。
子宮がんとききます。
彼女なりの'幸せ'な時間が存在した事が、知らしめられてほしい。
更に大きなニュースもかぶさってきた今日、このまま人々の記憶を薄れるに任せるには、余りに居たたまれない。
大変勝手な意見乍ら、ホントに彼女なりに'華やか'な人生があった、と思いたい。
そうであってほしい。
一報から今迄、ずっとそれを願い続けています。
最後まとめられず申し訳ないですが、その思いでいっぱいです。
(了)
間もなく。
試合開始…
の前に我田引'鉄'^^;。
画像は甲子園球場北側43号線高架下。
先日何かが落ちてきたのはこの更に上の阪神高速道路からです[・・;]
して、何が言いたいかと申しますと。
かつて阪神電鉄が経営し、現在の2号線脇浜~野田間、野田~天6間等を網羅した路面電車'阪神国道。'
その軌道は甲子園球場東側の'甲子園筋'にも2号線から分岐する形で敷かれていて、それを跨ぐ為に43号線を高架にしたのです。
更に東の尼崎港線も同様に43号線は高架化の措置がとられていました。
そもそも43号線は'自動車専用道路'として計画され、2号線を'専用軌道'とする予定でしたがモータリゼーションの煽りを受け…
結局併用軌道のまま終焉を迎え、どちらも車道となりました。
その終焉時、折しも住宅街として急速に人口が増えつつあった甲子園界隈を貫いていた甲子園線は、唯一シーケンシャルダイヤが組まれた路線で、反対の声もかなり多くあったものの、2号線廃止に伴い、浜田車庫への接続が不可能となり、惜しまれつつもお別れと相成りました。
'金魚鉢'の愛称で親しまれた車両も含め、この'阪神国道'は別記事をアツく上げさせて頂きます。^^;
では試合に没頭します!
(了)
ランチ特稿。
昨日、全国の'主たる'空港では、コンピュータートラブル!?でかなり大変な事になっていた様で、TVのニュース番組でも終日採り上げられていました。
勿論、関西のニュースでも扱われていましたが、'関西、伊丹の両空港では…'
と、ふむふむ。
…!?
関西にはもう一つ、何かあった様な気がしますが…
'主たる'ではないにしても、出来たトコやのに、せめて少しでも触れたりぃな、と思いましたがエラくゾンザイな^^;
まあ、か~~~~~~なりキビしそうではあります。
…ン!?
ふと思いましたが、そのニュース番組は強ち間違いとも言いきれないかもしれません。
神○ '空' 港。
大地氏よろしく、'エア'ポート選手権世界一を狙いますか( ̄~ ̄;)/~
(了)
勿論、関西のニュースでも扱われていましたが、'関西、伊丹の両空港では…'
と、ふむふむ。
…!?
関西にはもう一つ、何かあった様な気がしますが…
'主たる'ではないにしても、出来たトコやのに、せめて少しでも触れたりぃな、と思いましたがエラくゾンザイな^^;
まあ、か~~~~~~なりキビしそうではあります。
…ン!?
ふと思いましたが、そのニュース番組は強ち間違いとも言いきれないかもしれません。
神○ '空' 港。
大地氏よろしく、'エア'ポート選手権世界一を狙いますか( ̄~ ̄;)/~
(了)
THE RUINS OF 'PORTPIA'81'。
私のブログの最大のテーマというべきポートピア'81博覧会への慕情。
その面影を偲ぶべく訪れた跡地の取材記事を今回は上げさせて頂きます。
しかし、さすがに26年を経た今では、気軽に入手できる資料には極めて乏しく、今回は以前に古本屋さんで入手した写真集の資料と、私の記憶を基に現地考察を進めました。
あまりに変わった風景にその少ない資料だけではやはり心許なく、今後の瀕訪を余儀なくされます。
いきなり展望論を展開してしまいましたが、解明への道を気長に、しかし着実に辿って行きたいと思っています。
では今回の取材で判明し得た部分を画像と共に紹介してまいります。
西側ゲート前に'遺る'噴水塔。ご覧の様に形そのままに勿論同じ場所にあります。
博覧会終了後も数年間は作動されていた様ですが、休止される様になってから久しく、一説には地盤沈下に因る亀裂の発生が原因とも…
近寄ってみてもその閑寂とした姿に、再びその'華やか'な姿を見るのは最早叶わぬもの、との事実を突き付けられたかの様でした。
画像は裏側からのものですが、当時は中に入る事ができる様になっていたのでしょうか。
西側ゲート前広場を挟んで南側にある鐘塔。これも当時からのものでしょうか、ちょっと記憶に乏しいのですが。
噴水塔前より東側、市民広場方面を望む。この回廊下にゲートがあった筈です、回廊も当時そのままか。
画像には車が並んでいますが、撮影当日は市民広場が輸入車展示会が催されていました、ホントは'ヒッソリ'とした情景を撮りたかったのですが^^;
市民広場は、週末は一応その様な形でイベントで使用される事が若干ある様です。
しかし、それが決して'繁栄'に繋がっている訳ではなく…後に続きます。
そもそもこの西ゲートは、ポートライナー市民広場駅…を下車して利用されたもので、壮絶な賑わいを見せていた筈です。
チナミにポートライナーは現在こそ延伸され、快速運用等、速度向上なりましたが、開業当時は大小スナッチが激しく、直線でも突然ガクン!とつんのめる事が度々ありました。
して、先述の回廊は市民広場を囲む形で設置されています。どうやら市民広場自体が当時のままの原型を留めている様です。
しかし…
壮絶なる'夢の跡'の様相を呈する市民広場横のレストラン街。博覧会当時の姿まま、後述の"Kou's"健在当時は'エキゾチックタウン'として賑わいを見せたものの今は見る影もなく…'開かずシャッター'と綺麗に並ぶイートインスペースのテーブルに否応なく閑散感を煽られます。
私もよく利用したエスカレータも蓋がなされ、乗降口はこれぞ廃墟、と枯葉の吹き溜まりに。
建物はそのままに、堅く蓋をされた店舗跡。
創設者の'名'が冠された会員制のディスカウントデパート"Kou's"。
ハーバーランド店も然り、佳き時期もそうでない時期もその運命を'創業の地'神戸と共にした感があります。
此処は私もよく利用しました。
'会員制'とは今からすれば何とおたかくとまっていたか^^; 開業時はお高くとまれた時代だったのでしょうが。
ただ立ち寄るだけでもかなり楽しかったですが、実は私は足のサイズが荒ぶる大きさで、合うサイズの靴を適価で入手できる稀有な店だったのですが…
残念乍ら無き後、未だに入手は苦労しています(~_~)
ただ、ポートアイランド内、という立地自体が便利とは言い難く、それが地盤と共に!?轟沈の要因として大きく上げざるを得ないでしょう。
先述の理由も然る事乍ら、まとめ買いを主たるスタンスとするディスカウントスタイル故、必然と多かった車での来客に対応した店舗隣の大型駐車場。
当時は週末ともなると終日列の絶えなかった出入口も画像の様に寂々と。
卑しくも当分このままとなるでしょうが、ここにあらためて別れを告げておきます。
楽しかった買い物の思い出を永遠に、ホントにありがとうございました、ダイエーさん。
では次記事、続編を市民広場周辺から紹介してゆきます。
(続)
その面影を偲ぶべく訪れた跡地の取材記事を今回は上げさせて頂きます。
しかし、さすがに26年を経た今では、気軽に入手できる資料には極めて乏しく、今回は以前に古本屋さんで入手した写真集の資料と、私の記憶を基に現地考察を進めました。
あまりに変わった風景にその少ない資料だけではやはり心許なく、今後の瀕訪を余儀なくされます。
いきなり展望論を展開してしまいましたが、解明への道を気長に、しかし着実に辿って行きたいと思っています。
では今回の取材で判明し得た部分を画像と共に紹介してまいります。
西側ゲート前に'遺る'噴水塔。ご覧の様に形そのままに勿論同じ場所にあります。
博覧会終了後も数年間は作動されていた様ですが、休止される様になってから久しく、一説には地盤沈下に因る亀裂の発生が原因とも…
近寄ってみてもその閑寂とした姿に、再びその'華やか'な姿を見るのは最早叶わぬもの、との事実を突き付けられたかの様でした。
画像は裏側からのものですが、当時は中に入る事ができる様になっていたのでしょうか。
西側ゲート前広場を挟んで南側にある鐘塔。これも当時からのものでしょうか、ちょっと記憶に乏しいのですが。
噴水塔前より東側、市民広場方面を望む。この回廊下にゲートがあった筈です、回廊も当時そのままか。
画像には車が並んでいますが、撮影当日は市民広場が輸入車展示会が催されていました、ホントは'ヒッソリ'とした情景を撮りたかったのですが^^;
市民広場は、週末は一応その様な形でイベントで使用される事が若干ある様です。
しかし、それが決して'繁栄'に繋がっている訳ではなく…後に続きます。
そもそもこの西ゲートは、ポートライナー市民広場駅…を下車して利用されたもので、壮絶な賑わいを見せていた筈です。
チナミにポートライナーは現在こそ延伸され、快速運用等、速度向上なりましたが、開業当時は大小スナッチが激しく、直線でも突然ガクン!とつんのめる事が度々ありました。
して、先述の回廊は市民広場を囲む形で設置されています。どうやら市民広場自体が当時のままの原型を留めている様です。
しかし…
壮絶なる'夢の跡'の様相を呈する市民広場横のレストラン街。博覧会当時の姿まま、後述の"Kou's"健在当時は'エキゾチックタウン'として賑わいを見せたものの今は見る影もなく…'開かずシャッター'と綺麗に並ぶイートインスペースのテーブルに否応なく閑散感を煽られます。
私もよく利用したエスカレータも蓋がなされ、乗降口はこれぞ廃墟、と枯葉の吹き溜まりに。
建物はそのままに、堅く蓋をされた店舗跡。
創設者の'名'が冠された会員制のディスカウントデパート"Kou's"。
ハーバーランド店も然り、佳き時期もそうでない時期もその運命を'創業の地'神戸と共にした感があります。
此処は私もよく利用しました。
'会員制'とは今からすれば何とおたかくとまっていたか^^; 開業時はお高くとまれた時代だったのでしょうが。
ただ立ち寄るだけでもかなり楽しかったですが、実は私は足のサイズが荒ぶる大きさで、合うサイズの靴を適価で入手できる稀有な店だったのですが…
残念乍ら無き後、未だに入手は苦労しています(~_~)
ただ、ポートアイランド内、という立地自体が便利とは言い難く、それが地盤と共に!?轟沈の要因として大きく上げざるを得ないでしょう。
先述の理由も然る事乍ら、まとめ買いを主たるスタンスとするディスカウントスタイル故、必然と多かった車での来客に対応した店舗隣の大型駐車場。
当時は週末ともなると終日列の絶えなかった出入口も画像の様に寂々と。
卑しくも当分このままとなるでしょうが、ここにあらためて別れを告げておきます。
楽しかった買い物の思い出を永遠に、ホントにありがとうございました、ダイエーさん。
では次記事、続編を市民広場周辺から紹介してゆきます。
(続)