THE RUINS OF 'PORTPIA'81'。 | THE RUINS OF KOBE.

THE RUINS OF 'PORTPIA'81'。

 私のブログの最大のテーマというべきポートピア'81博覧会への慕情。

 その面影を偲ぶべく訪れた跡地の取材記事を今回は上げさせて頂きます。

 しかし、さすがに26年を経た今では、気軽に入手できる資料には極めて乏しく、今回は以前に古本屋さんで入手した写真集の資料と、私の記憶を基に現地考察を進めました。

 あまりに変わった風景にその少ない資料だけではやはり心許なく、今後の瀕訪を余儀なくされます。

 いきなり展望論を展開してしまいましたが、解明への道を気長に、しかし着実に辿って行きたいと思っています。

 では今回の取材で判明し得た部分を画像と共に紹介してまいります。



 西側ゲート前に'遺る'噴水塔。ご覧の様に形そのままに勿論同じ場所にあります。
 博覧会終了後も数年間は作動されていた様ですが、休止される様になってから久しく、一説には地盤沈下に因る亀裂の発生が原因とも…



 近寄ってみてもその閑寂とした姿に、再びその'華やか'な姿を見るのは最早叶わぬもの、との事実を突き付けられたかの様でした。

 画像は裏側からのものですが、当時は中に入る事ができる様になっていたのでしょうか。



 西側ゲート前広場を挟んで南側にある鐘塔。これも当時からのものでしょうか、ちょっと記憶に乏しいのですが。



 噴水塔前より東側、市民広場方面を望む。この回廊下にゲートがあった筈です、回廊も当時そのままか。

 画像には車が並んでいますが、撮影当日は市民広場が輸入車展示会が催されていました、ホントは'ヒッソリ'とした情景を撮りたかったのですが^^;

 市民広場は、週末は一応その様な形でイベントで使用される事が若干ある様です。

 しかし、それが決して'繁栄'に繋がっている訳ではなく…後に続きます。

 そもそもこの西ゲートは、ポートライナー市民広場駅…を下車して利用されたもので、壮絶な賑わいを見せていた筈です。

 チナミにポートライナーは現在こそ延伸され、快速運用等、速度向上なりましたが、開業当時は大小スナッチが激しく、直線でも突然ガクン!とつんのめる事が度々ありました。



 して、先述の回廊は市民広場を囲む形で設置されています。どうやら市民広場自体が当時のままの原型を留めている様です。

 しかし…





 壮絶なる'夢の跡'の様相を呈する市民広場横のレストラン街。博覧会当時の姿まま、後述の"Kou's"健在当時は'エキゾチックタウン'として賑わいを見せたものの今は見る影もなく…'開かずシャッター'と綺麗に並ぶイートインスペースのテーブルに否応なく閑散感を煽られます。



 私もよく利用したエスカレータも蓋がなされ、乗降口はこれぞ廃墟、と枯葉の吹き溜まりに。



 建物はそのままに、堅く蓋をされた店舗跡。

 創設者の'名'が冠された会員制のディスカウントデパート"Kou's"。

 ハーバーランド店も然り、佳き時期もそうでない時期もその運命を'創業の地'神戸と共にした感があります。

 此処は私もよく利用しました。

 '会員制'とは今からすれば何とおたかくとまっていたか^^; 開業時はお高くとまれた時代だったのでしょうが。

 ただ立ち寄るだけでもかなり楽しかったですが、実は私は足のサイズが荒ぶる大きさで、合うサイズの靴を適価で入手できる稀有な店だったのですが…

 残念乍ら無き後、未だに入手は苦労しています(~_~)

 ただ、ポートアイランド内、という立地自体が便利とは言い難く、それが地盤と共に!?轟沈の要因として大きく上げざるを得ないでしょう。



 先述の理由も然る事乍ら、まとめ買いを主たるスタンスとするディスカウントスタイル故、必然と多かった車での来客に対応した店舗隣の大型駐車場。

 当時は週末ともなると終日列の絶えなかった出入口も画像の様に寂々と。

 卑しくも当分このままとなるでしょうが、ここにあらためて別れを告げておきます。

 楽しかった買い物の思い出を永遠に、ホントにありがとうございました、ダイエーさん。

 では次記事、続編を市民広場周辺から紹介してゆきます。
(続)