米津玄師インタビュー めざましとかZIP!とかnews zeroとか | 本日の空模様

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こんばんは。

 

米津玄師さんのアルバム発売に伴って、インタビューなどが次から次へとあったわけなんですけど、内容をまとめたいのはやまやま全く追いつかないので、かいつまんで残しておこうと思います。

 

なんというか、発せられた言葉を、残しておきたいんですよね。

 

「きゃ~~~」っていうファンではないし、すべて追っかけたいとかはまるでないんですが。

 

米津さんの想いや言葉の一つ一つがとても貴重なもののように思えて。

 

今まで、ラジオなどではわりと静かに話されていたし、ミステリアスな印象だったのですが、

 

最近のインタビューやラジオで気の置けない友達(菅田将暉さんとか野田洋次郎さんとか)との会話を聞くにつけ、「普通の若者の会話・・・!」(当たり前なんだけど感心してしまう)とか、米津さん普通にラインやってるんだな~とか、え、ウーバーイーツ頼んでるんだ?とか、、、人間らしさに触れてより親しみを感じるというか、好感度UPというか。

 

別にアンドロイドだと思っていたわけじゃないのだけど、近いものはあり笑 人間米津玄師をじっくり見てみると、優しいお人柄や心の広さをすごく感じるんです。


※テレビを写した写真なので私の亡霊が写り込んでるけどスルーしてやってください。(撮り直すのめんどくさい😅)


 

8/4(火) めざましTV

 

 

 

8/5(水) ZIP!

 

 

 

8/7(金) news zero

 

 

有働:コロナ禍で新しく感じたことなどはありますか?

 

お酒を飲まなくなりましたね。すごくお酒大好きなんですけど、飲みに行くことがまったくなくなっちゃったので、自分の生活のルーティーンワークの中から、お酒が全くなくなってしまって、自分にとってお酒って不要不急だったんだなっていうのが。それが恐ろしくもありましたね。

 

自分にとって必要であると思っていたはずなのに、全然必要じゃなくなってしまうっていうのが。

 

自粛期間中の気づき

 

 

パソコンの前で、一人で3か月間誰にも会わずに、本当にアルバムの曲ばかり作っていたんですけれど、

 

こういう状態の時に悲観的になるのってものすごく簡単だなぁっていうか、

 

やっぱりみんな混乱しているし、誰も何が正しいのか、何が間違いなのかというのがわからない中で、生活していかなければならないわけで、

 

 

何も考えずに音楽を作ると、すごくどんどん暗く暗く暗くなっていったりするんですけど、これはやはり世に出せないなというか、

 

最低限自分にできることって、むやみやたらに混乱だとか悲しみだとか怒りだとかを、助長しないような形をとるべきであるっていう、

 

もっと言うと、なんらかの希望があるような音楽を作るべきなんじゃないかなぁ。

 

 

STRAY SHEEPというアルバムタイトルにした理由

 

このアルバム(の制作)は、Lemonていう曲から始まっていて、あの曲はものすごく自分の中で自分の手のひらから離れて、大きなものになってしまったという感覚があって、

 

わかりやすく立場が変わっていくような3年間だったんですね。

 

それにまつわる悩み、いろいろな迷いみたいなものはいくつもあって、そこに新型コロナウイルスの未曽有の混乱がある。自分の個人的な部分にも合うし、STRAY SHEEP”迷える羊”これはいいタイトルなのかなと思って。

 

カムパネルラについて

 

 

有働:歌詞の中で「戻らないあの日に想いを巡らす」「時間だけが通り過ぎていく」まさに今、ものすごくフィットしたんですけど・・歌詞の中で「あの人の言う通り、わたしの手は汚れてゆくのでしょう」それはどういう想いなんですか、手が汚れるというのは?

 

 

別に大それた話ではないと思うんですけど、生きてるだけでなんらかの罪を犯しているような、気持ちになる瞬間っていうのはあって、それはここ最近の新型コロナウイルスの混乱にも同じものを感じるというか、

 

要はウイルスを人にうつすことによって、その人が重篤な状態になって、もしかすると死ぬかもしれないっていうのは、ものすごくわかりやすい形で今、目に見えているじゃないですか。

 

 

(人は)ある程度生きているだけで、どこかで誰かのことを邪魔しながら、誰かが生きていくのを阻みながら生きていかなければならない。

 

それは誰しもそうなんじゃないかなというふうに思ったりするので、生きていく限りは手が汚れていくのもどうしても避けられないっていうのは思うところかもしれないです。

 

 

ふらっと入った飲食店で音楽が流れていて、ずっとLemonが流れていたりするわけじゃないですか。

 

 

それによってこう、別に好きでも嫌いでもないような人間は、それをずっと聴かされたらやっぱり嫌いにもなりますよね。

 

 

だからいろいろな人に広く届いていくような音楽っていうのは、その存在だけでやっぱり誰かを傷つけているっていうか、普遍的になればなるほど、そこからあぶれる人間も生み出していくわけであって。。

 

今のこの社会って、右利きが暮らしやすいようにデザインされているわけじゃないですか、

 

まぁ俺も右利きなんですけど、左利きの人の話を聞くと些細なね、ほんとにこう、はさみが上手く持てないだとか、そういうところでほんの少しずつ見放されてきたんですよね。

 

やっぱり自分の昔のこととかを思い返してみると、はぐれものであるっていうか、ごく当たり前にやらなければならないことができないだとか、そういう気分を感じながら生きてきた時間が長かったので、

 

過去の自分も含めて、そういう人たちに対するまなざしというか、、が、どんどん強くなっていくような気持ちもたくさんあるんですよね。

 

 

カナリヤについて

 

この曲はコロナ禍において、ミュージシャンとしての回答っていうのを出さなければならないなと思いながら作った曲ではあるんですけど。。

 

 

 

どうあがいても元には戻らないわけで。これから先この状況っていうのは、どれほど続いていくのかわからない、そうなったときにこう。。変化を肯定することってすごく大事なんじゃないかなと思うんですよね。

 

 

 

その生きていくにあたって、その場にとどまっていたいと思いながら、とどまっていようと周りの時代、文化だとか、徐々に変わっていくわけで。

 

不変不朽のものを追い求めるのではなくて、その時々にかわっていく対面の人間だとかそういうものを、その時々にお互い確認し合って、「今自分たちはここにいるけれども、じゃぁどうしようか」っていうふうに、問いかけあうような関係っていうものがすごく大事なんじゃないかなっていう、今この世の中になって、それをより強く思いますね。

 

 

*********

 

以上、簡単にメモのように残しますが、

 

あれほど大ヒットした曲に対して「誰かを傷つけているかもしれない」と考える謙虚さだったり、

 

コロナというこの状況はほんの一例であると思うのだけど、変わっていく物事に対して「いいよ」と。合わせて行こうという柔軟性だったり。

 

人に対しても許容範囲が広かったりするのかな?なんて、要は、ちょっとした相手の言動にすぐに腹を立てたりしないんだろうな、、、とか、これは想像ですけど。

 

そういうところがすごく共感を覚えたり、好感を持ったりするところなのです。曲にも表れていますからね。。

 

 

 

 

個人的に・・・昔の安全地帯(35年くらい前の)が好きだった人はきっと、米津玄師も好きだと思うんだけど、どうだろうか?
ちょっと切ないような脆いような繊細な感じだったり、声の質だったり。

 

 

ではではまたパー