フィレンツェ観光ガイド 加藤まり子 in 東京 -35ページ目

フィレンツェ観光ガイド 加藤まり子 in 東京

フィレンツェ観光ガイドの資格を2016年に取得しました。
現在は都内で美術の鑑賞の仕方を教えています。
詳しくはホームページから。
http://mariko-no-heya.com/

カレーにはナン?ライス?【投稿でドットマネーがもらえる!】 ブログネタ:カレーにはナン?ライス?【投稿でドットマネーがもらえる!】 参加中

 

私はライス派!

 

 

食の国イタリアですが、ベジタリアンの方もたくさんいます。

今回は、フィレンツェのベジタリアン・レストランを3軒紹介します♪

 

 

 

 

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先週イタリア語のレッスンが一緒だったジョージ・クルーニー似のイケメンとランチに行きました♪

彼はベジタリアン。ということで語学学校の近くのベジタリアン・レストランに行ってきました。

 

シルヴァーナというこちらのお店でいただいたのはカレーのセット。

 

ごはんにはカブの葉にゴマが入ってとってもヘルシー♡

和食のホームシックにはなりませんが、カレーは別。

美味しいカレーをいただいて大満足でした☆

 

 

Silvana

Via de Neri 25R

月~水:8:30~22:00

木~土:8:30~24:00

日:9:30~20:00

 

 

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ずっと前からこの名前気になってたんです。

ミソ・ディ・リゾ

 

 

 

 

フィレンツェの街中にあるヴィーガンのお店。

ヴィーガンとは動物性のもの(乳製品、はちみつなど)を一切使わないお料理です。

 

 

 

中に入るとグリーンがいっぱい。

 

 

ニョッキをいただきました。

チーズを使っていないと思えないほどのコク。

 

 

 

デザートのチョコレートケーキもヴィーガンスタイル。濃厚でした。

 

 

miso di riso

Borgo degli Albizzi 54R

月~土:8:30~23:30

 

 

 

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最後は少し中心部から離れますが、地元の人に人気のベジタリアンレストランです。

 

美味しそうなメニューがずらり。

 

 

 

どれをいただいてもベジタリアンと思えないこってり具合です。

 

 

 

ケーキだってこのとおり。やっぱり甘いものは欠かせません。

 

 

 

il vegetariano

Via delle Ruote 30r

火~金:12:30~14:30 / 19:30~22:30

土日:19:30~22:30

 

 

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イタリアンを食べ過ぎて少し胃を休めたいときは美味しいベジタリアン料理を試してみてください♪

 

 

 

カレーにはナン?ライス?
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Buon giorno♪

 

 

ルネサンス芸術の町フィレンツェ。

でも500年前そのままで生きているワケではないんです。

今でもどんどん新しいものを生み出している、それがフィレンツェの魅力。

 

 

今日はその中で、フェラガモを取り上げたいと思います。

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フィレンツェの高級店が並ぶトルナブオーニ通り。
その中でもひときわ高級な建物に入っているのがフェラガモの本店です。
 
 
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中世に建てられた貴族の宮殿だった建物。
その中にはフェラガモ博物館があります。
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この地下を下っていきます。
 
 
 
 
受付を済ませて中に入るとズラーッと並ぶ靴型!
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こちらは全部イヴニングシューズ。とってもエレガントです♡
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1950~60年代の靴型だそうですが、今でも十分おしゃれです。
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こちらはお昼用。スーツなんかにも合いそうです。
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フェラガモさんはイタリア人ですが、ハリウッドの女優さん向けの靴を作って有名になりました。
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こちらは「オズの魔法使い」ドロシー役のジュディー・ガーランドのためのサンダル。「虹の彼方に」を歌った彼女のために虹色の靴底を作ったそうです。
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マリリン・モンローの靴型♡
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オードリー・ヘップバーンのもあります。
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日本からは川原亜矢子さんの靴型がありました!
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靴作りに不可欠な道具類も展示されています。
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ガイドさんが靴の制作過程を説明してくれます。
右にいるのは語学学校のリンダ先生。真剣に聞いています。
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初期のフェラガモのスカーフ。
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至近距離で見ると全て「靴」でできてるんです!
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ハリウッドで成功したフェラガモさん。
ですが、イタリアのフィレンツェを本店の場所として選びました。
それにはフィレンツェの巨匠のこの方が関わっているのです。
 
 
ずばりダンテ
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ダンテはベアトリーチェという美女に恋をし、理想化した彼女を名作「神曲」に登場させます。
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フィレンツェのサンタ・トリニタ橋。
そのたもとにあるのがフェラガモの本店です。
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そしてこの場所でダンテとベアトリーチェが出会ったシーンを描いた絵がアメリカで出回っていました。アメリカ版「そうだ、フィレンツェ行こう」キャンペーンです。
 
 
アメリカで活躍していたフェラガモさんはアメリカで認知度の高いこの場所を本店として選んで、ブランディングを行ったんです。
1920年代にしてすでにマーケティングばっちりだったフェラガモさん。
さすが世界一流の人は違います。
 
 
フェラガモが購入するまではホテルとして使われたこともありました。
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有名な作曲家、フランツ・リストも泊まったそうです。
 
 
 
そんな歴史を知ると高級ブランドも人の息づかいが感じられ、より身近なものに思えます(手はなかなか届きませんけど)。
 
 
 
そんなブランドの裏にあるストーリーも楽しめるフェラガモ博物館。
ぜひ現代の巨匠の熱い想いを感じてみてください。
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Piazza Santa Trinita
開館時間:10~19:30
休業:1/1, 5/1, 8/15, 12/25
入館料:6ユーロ(毎月第1日曜日無料)
 
 
 





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ついつい無駄金を使ってしまうもの ブログネタ:ついつい無駄金を使ってしまうもの 参加中

 

Buon giorno♪

 

私が一番お金を使うもの・・・それはもちろん

 

美術鑑賞

 

です。

 

フィレンツェにいる理由も旅行では見切れない美術作品を見たいから。

 

 

これだけ美術が好きなのに、なぜか「なんの役にも立たないし」とか「他の人は興味ないだろうから隠しておかなきゃ」と思ってしまうのです。

 

 

じゃぁなんでこんなことになったの?

ということで美術と私のカンケイについてお話ししたいと思います。

 

 

 

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私が美術鑑賞にハマったのは21歳の時。

それまではまーったく美術になんて興味がございませんでした

 

だって美術って動かへんやーん。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚

 

ある日クラスメートから「オランジュリー展見にいかない?」と誘われたのが人生の転換期です。そこでローランサンの「ココ・シャネル」を見て感動。家にずっとレプリカがかかっていたのですが、本物を見てシビれました。

そこから私の美術館巡りが始まったのです。

 

それまでは本ばかり読んでいました。

名作は一通り目を通していましたが、特に「物語り」ものが得意。

なので、絵を見ると大体なんの話のどのシーンでどの人物ということがわかりやすかったのです。

 

 

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そうやって「この絵は○○でね、こんなお話しで・・・」なんていう解説を友達に聞いてもらってたんですが、ある日「それだけわかればキュレーター(学芸員)できるやん」という言葉を真に受けて、通信制の大学に行くことにしました。

 

28歳の春。ふたたび大学生女子大生です。

ですが、サラリーマンとの二足のわらじ。そしてなんとなく後ろめたい気持ちがあってナイショで勉強していました。

 

 

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なんとなく後ろめたい気持ち・・・

というのも当時の仕事と何の関係もなかったからです。

 

いつも家族から「それなんのためにやってるの?」と聞かれて返答に困っていました。多分ただ好きだからやっていただけなんだと思います。でも「ただ好きだから」という理由はうちでは通用しません。通訳案内士という海外からの観光客を案内する資格を取り、将来そういった仕事をしていくから、と言ってお茶を濁しておきました。

 

最初に大学に行った時も日文か仏文を勉強したかったのですが、就職に有利そうな法学部を選択。

常に

「何がしたいのか」

より

「どうしたらうまくいくのか」

が焦点でした。

 

「ただ好きだから」

は私の人生の中で重要性を与えられてこなかった気がします。

 

 

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美術ってライフラインじゃないんで、これがなくても十分に生きていけるんですよね。そんな贅沢で役に立たないものを好きな自分が家族に対して申し訳が立たなかったのかもしれません。

 

展覧会、大学の学費、書籍、そしてフィレンツェへの移住・・・

美術につぎ込んだお金は莫大です。

なのに、それに重要性を置けない自分・・・

 

美術の知識に関しても同じです。

こんなこと誰も聞きたくないだろうと思って、知っていることをあまりオープンにしてきませんでした。

 

私自身はもっと知りたい!と思って講義を聞きに行ったり本を読みまくったりしているのに、なんで誰も興味ないと思うのか、冷静になって考えると少し変な気もします。

 

 

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1年半前にそれまで「役に立つ」という名目のもとやってきたことを捨てました。

そして「ただ意味もなく好きだから」ということを優先する人生を選びました。

 

ただ好きだから・・・

そういうものには人はものすごい情熱を注ぐことができます。

 

ここイタリアには「なんの役にたつの?」と聞いてくる家族は身近にはいません。

好きなことを素直に「好き!」と言うのになんの言い訳もいりません。

人に言い訳をするためでなく、自分の情熱のために・・・

そして好きなことを言えばいうほど不思議に周りそういう人が集まってくるのです。


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さてさて、少し美術史のお話です。

 

 

美術史は主に2つの視点から語られます。

1つは技法、

そしてもう一つがコンテンツ(描かれているもの)です。

 

技法とは描かれ方。

例えばルネサンスでは遠近法が使われるようになったとか、ダヴィンチはスフマートといって線をぼかして描く技法を生み出した、とかそういうものです。

 

一方コンテンツは何が描かれているか、についての考察です。

百合は純潔の象徴だから聖母マリアを表すとか、結婚式のお祝いとして描かれたからこの画題が描かれたとか、そういったことを説明します。

 

絵を描けない私がお話できるのは圧倒的に後者です。

ちょっとした特徴を捉えて人物の特定をしたり、あるシーンをもとにその裏に隠された歴史的背景などを読み解くということがいわば「好きなこと」

ギリシャ神話や聖書、世界の名作やタロットなどから「鍵」を探して絵に語ってもらいます。

 

なんの役にたつのか、興味を持ってもらえるか、そんなことを全て脇に置いて、ただ自分の情熱に仕える・・・

そろそろ好きなことを素直に「好き!」という時期が来ているのかもしれません。

 

 

 

 


Buon giorno♪

 

 

昨日は朝っぱらからワインの記事でいささか酔っ払いそうになりましたが気を引き締めたいと思います(^▽^;)

 

 

さてさて、しばらくあいてしまったボッティチェリの「誹謗」

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1回目がこの絵の概要について

2回目が絵が描かれた当時のフィレンツェの時代背景について

そして今回はボッティチェリの人生を絡めてこの作品が描かれた背景を考えたいと思います。

 

 

 

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絵の横には「キャプション」と呼ばれる解説があります。

読むと大体こんなことが書いてあります。

・絵の技法

・絵の主題

・美術史における位置づけ

 

 

そして展覧会などでは各コーナーにこんな記載があります。

・時代背景

・画家の人生と関係人物

 

 

絵はその時代背景や画家の人生を色濃く反映しているのです。

 

 

では、ボッティチェリはどんな人生を送ったのでしょう?

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ボッティチェリが生まれたのは1445年のフィレンツェ。

この頃がどんな時代だったかというと、ルネサンス真っ只中。

ドゥオモのクーポラが完成したのがその10年前の1436年です。

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当時の最高権力者であるメディチ家の老コジモが芸術家を保護していたので、ボッティチェリは生まれた時からそんな空気をいっぱいに吸っていたと思います。

 

 

 

オンニサンティ地区の職人の家に生まれたボッティチェリ。

当時人気だったフィリッポ・リッピの工房に修行に入ります。

初期の作品には師匠の影響が見られます。

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彼の名が公式に記されるのは1470年の作品です。

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7つの徳(キリスト教の「徳」についてはこちら)のうちの「剛毅(力)」を描きました。(残りはポライウォーロが作成)

フィレンツェの商業組合から会議場の絵として注文されました。いわばフィレンツェの公式の場に飾る絵です。

それはボッティチェリの力が認められている証拠でもあり、彼にとって最大の宣伝になったと考えられます。

 

 

ここから約20年あまりがボッティチェリの最盛期です。

1475年には「東方三博士の来訪」が制作されます。

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そしてこの頃はフィレンツェ自体も最も華やかな時でした。

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当時フィレンツェ一のイケメンと言われたロレンツォ豪華王の弟ジュリアーノの騎馬試合が行われたのも1475年です。

この騎馬試合の「美の女王」に選ばれたのは絶世の美女シモネッタ・ヴェスプッチ、ジュリアーノの恋人です(二人の恋物語についてはこちら)。

そしてボッティチェリは大人気画家としてジュリアーノの旗を描きます。

 

 

 

街イチバンのイケメンに絶世の美女、そして大人気画家・・・

聞いただけで華やかさが目に浮かびます。

 

 

 

しかし花は散ってしまうもの。

1476年にはシモネッタが、そして1478年にはジュリアーノが亡くなります。

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その頃に描かれたのがこの「春」です。

美しくうら若いフィレンツェの花。それらが失われた悲しみがこの絵には反映されていると言われています。

 

 

 

ボッティチェリの最大の特徴といえばこの「ヴィーナスの誕生」に代表される非キリスト教絵画を1000年ぶりに描いたことです。

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当時は「異教」とされたこれらの絵が描かれた背景には新プラトン主義の復活があります。

ロレンツォ豪華王のお祖父さんにあたる老コジモはプラトン・アカデミーという塾を作って当時は斬新だった新プラトン主義を学者に勉強させました。

 

ボッティチェリを見るにあたって重要なのは、

・新プラトン主義(非キリスト教)がフィレンツェで論じられていたこと

・それをボッティチェリが理解していたこと

という点です。

 

 

1480年代はフィレンツェも安定しておりボッティチェリの数々の名作が生まれた時期です。

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ざくろの聖母。

 

 

 

しかし1490年に差し掛かると次第にフィレンツェに翳りが忍び込んできます。

厳格な修道士サヴォナローラの説教にフィレンツェ市民が心酔します。

彼の説教を聞いて感動して泣く人たちを「ピャニョーニ(泣く人)」と呼んだそうです。

 

 

そしてその中にはボッティチェリもいました。

 

 

 

1492年ロレンツォ豪華王 死去。享年43歳。

後継者のピエロはまだ20歳。北にはミラノやフランス、南には教皇のローマという脅威にさらされています。

サヴォナローラの予言通りフィレンツェに暗雲が立ち込みます。

そして1494年フランス軍がフィレンツェに侵攻します。

対応しきれなかったピエロはフィレンツェ市民によってフィレンツェを追放されてしまいます。

 

 

 

その頃に描かれたのが「誹謗」です。

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一般的にはこれはメディチ家を暗に批判しているのではないか、と言われています。

ロバの耳を持った王様はピエロ。フランスに攻め込まれてよく考えずにフィレンツェに不利な条件を飲んでしまい後悔する姿を表しているのかもしれません。

あるいはそれまでの新プラトン主義を庇護してきたメディチ家を批判しているのでしょうか。そしてサヴォナローラの説教を「真理」として表しているのかもしれません。

いずれにせよ、サヴォナローラの説教がこの作品に色濃く反映されていることは否めません。

 

 

 

時の人となったサヴォナローラは1497年に「虚栄の焼却」と称して贅沢品をシニョーリア広場で焼却します。

ボッティチェリも自らの作品を火に焼べたと言われています。

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ですが、そのサヴォナローラも翌年の1498年、虚栄の焼却をした同じシニョーリア広場で処刑されます。絞首刑の後、火刑に処されました。

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シニョーリア広場に残るサヴォナローラの処刑跡。

 

 

 

 

30歳の時に華々しく「剛毅」でデビューしたボッティチェリ。

サヴォナローラが処刑された時には53歳になっていました。

 

 

 

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老コジモが庇護した芸術家や哲学者たち。その中にはボッティチェリの師フィリッポ・リッピも含まれていました。

そんな華やかな時代の中育ったボッティチェリ。

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ですがそれを支えた

シモネッタも

ジュリアーノも

ロレンツォも

そしてそれに反したサヴォナローラさえもみんな失ってしまいました。

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諸行無常・・・

そんな言葉がイタリア語に存在するわけではありません。

しかし、彼が晩年に感じた気持ちを表すのにこれ以上の言葉はないと思います。

 

 

サヴォナローラが亡くなった後のボッティチェリの作品はほとんどフィレンツェに残っていません。

1504年にミケランジェロが作ったダヴィデ像の設置場所を決めるメンバーとして名前が載っているのを最後にボッティチェリの名は歴史から消えます。

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彼の作品が再び脚光を浴びるのはそれから約350年後、イギリスのラファエル前派の活動を待つことになります。

 

 

 

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1480年に描かれた傑作「書斎の聖アウグスティヌス」

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力強さと聖人の生き生きとした表情が伝わってきます。

 

 

 

それから15年。

多くの人を見送ったボッティチェリは同じ題材でこの絵を描きました。

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以前のような力強さはありません。

感じるのは暗さ、そして聖アウグスティヌスの老い・・・

でも私は何よりこの絵にボッティチェリの心を感じるのです。

 

 

晩年のボッティチェリについて残っている資料はほとんどありません。

そして彼の作品も時代のうねりの中に消失してしまいました。

我々は巨匠が最後の日々をどのように過ごしたのか想像に頼るしかないのですが、この絵はそのヒントを与えてくれるような気がするのです。

 

 

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さてさて、3回にわたって解説してきた「誹謗」

そしてボッティチェリを取り巻く時代と彼の人生・・・

絵を通して少しでも画家の、そしてその時代を生きた人々の息づかいを感じていただけたらと思います。