夫が名古屋の出張から帰ってきた帰りに、
久々にお鮨でも食べに行こうよ、ということになり、
以前、夫が知り合いのおじさまにごちそうになったという
根津のお鮨やさん、福丸 へ行って参りました。

あの有名な串揚げやさん、半亭と路地を隔てて並んでおります。

移植を間近に控え、ややもするとこんなに自由に、好きなお酒を
飲めなくなっちゃうかも知れないと、二人でいそいそと乾杯し、
生ビールをぐびーっと。
のどの奥のあの感じ・・・。苦いのに爽やかだ。。。
本当に大人になって良かったと思う瞬間ですな。

おつまみの刺身と季節の野菜に少し手を加えたようなものを2,3
頼んだのですが、一人前なのに、結構な量を出してくれて、
お得感満載です。

セルフで食べたいだけ食べられる、ガリも
大変上品でおいしく、立派なおつまみのひとしな。。
どれくらい食べてしまっただろう。

いや、かなりおすすめですよ。

それらが、食べ終わった頃に、私のビールがなくなりまして、
さて何を呑もうかと、壁に掛けてあるメニューを見たんですがぁ。。。
ちょっぴり、バリエーションが寂しい感じ。。。もう少し頑張って欲しいなあ。
日本酒4種類くらい、芋焼酎1,2種類、麦焼酎1,2種類。
即座に呑みたい銘柄が見つからなかったので、黙り込んでしまった。

といっても仕方がない。日本酒に行きたかったけど、
結局芋焼酎の水割りにして、もう殆ど水替わりに呑んでいました。

その後、一貫ずつ、握って貰いました。
中トロ、いくら、赤貝、子持ち昆布、穴子・・・。わさび多めで。。
最後は山ゴボウ細巻きにシソとごまを。え?かつお節?
かつお節は入れないで・・・、なんてね?
こういう事が出来るのは、こぢんまりしたカウンターのある
お鮨屋さんならでは。

小さい頃は食べられなかったわさび。こんなに刺激的で、
美味しいものをお鮨と一緒に食べられなかったなんて。。。
いまや、わさび無しの鮨なんて、なんの魅力もないと思うほど。
ここでまた、大人になって良かったと実感しました。

さんざん、食べまくりました。適度に構ってくれる大将の
ほっこりした笑顔がお鮨の邪魔をしません。
非常に気持ちの良い時間をすごしました。

これで、二人で呑んで食べて14,000円だから、お好みのお鮨の
料金としたら、リーズナブルだね、と二人で納得。

どこかの高級なお鮨屋さんのような、ある種ピンと空気の張った
雰囲気はないけれど、掃除の行き届いた綺麗なカウンター、
無駄のない、しかし洒落た内装などは、十分に快適さを
感じることができ、これからも気軽に使うお店として、
私たちの中でリストアップされました。

周辺の雰囲気も良く、これからの季節は、食べ終わった後、
少しぶらぶらしてみるのもいいかもしれませんなあ。。。

大変素敵な大人の時間でした。。。
オバマ大統領は、911同時多発テロの首謀者、オサマ・ビン・ラーディン氏がアメリカの軍事作戦により、殺害されたとする大統領声明を発表しました。

これで、アルカイダのテロ活動が収束していくといいのですが・・・。

アメリカの執念というのは、半端でない。この10年あまり、ずっと彼を追い続けていたのでしょう。
そうして、彼もずっと追っ手から逃げ続けていたのでしょうね。

あの悲劇を生み出したアメリカにとっては最大の敵を、ようやく討ち取った。

国家の大義・・・という言葉がふと頭に浮かびました。
残念ながら、日本では最近、国家の大義というものが存在しないかのような雰囲気。
国家を守り愛することが軽んじられているような気がしてなりません。
陸上自衛隊のHP のフラッシュに「守りたい人がいる」というコピーがあるのですが、なぜだかすごい新鮮さを感じてしまいました。
やっぱり、北方領土とか、尖閣諸島の問題とか、外国人参政権の問題とか、色々と心配をしてしまいますよね。。。これから日本国はどうなっていくのだろうと。


ところで、昔から思っていましたが、あのビン・ラーディン氏というのは、背が高く、顔も整っていて、あのいで立ちといい、あの豊かなあごひげといい、外見的になかなかな方だったなと思うのです。

でもって、リッチなおうちの出ということですし、宗教的指導者でもあり。。。
白い民族衣装に、カラシニコフかなんかを斜がけにしていたりする。

カッコイイ。。。と思ってしまう私。

絵に描いたような、イスラム原理主義の指導者。私の勝手なイメージですよ?

現代に生きていた人なんだよなあ。実際あんな人と出会ってしまったら、どんなもんだろう。
どんなオーラなんだろうか。ちょっと想像できません。

アフガニスタンやパキスタンの自然の厳しい山を移動しながら、身を潜めていたんだろうな。



多くの人にとって、この件は一つの区切りをもたらしたに違いありません。これから、連鎖的なテロなどが起こらないことを心から祈っています。

自然災害も戦争も、人が死んでしまうのは一緒です。悲しみも同じです。

ありきたりですが、やはり世界に平和が一日も早く訪れるのを願わずにはいられません。

久々のアップです。といっても、一週間ぶりですが・・・。


まずは、治療の結果を記録します。


4月25日

D10 (\4,180) 血液検査 内診 問診

・ホルモン値 E2:109 / LH:12.8 / P4:0.4 / FSH:6.9

・左右の卵巣にそれぞれ13.5㍉、8.0㍉の卵胞を確認。左側の卵巣にある卵胞が育っていることが確認された。

・排卵日の確定をするための、経過観察。三日後再度来院を指示さる。


4月28日

D13 (\7,570) 血液検査 内診 問診

・ホルモン値 E2:186 / LH:15.5 / P4:0.7 /FSH:7.0

・左卵胞 15.5㍉ 右側卵胞 8.4㍉

・これまでの卵胞の育ち方から見ると、まだそんなに大きくなっていない様に思われるが、

ホルモン値からすると、1,2日後の排卵と思われるので、スプレキュアを持参して明日来院するように指示さる。


4月29日

D14 (\7,570) 血液検査 内診 問診

・ホルモン値 E2:237 / LH:27.5 / P4:0.7 / FSH:7.3

・左卵胞 15.0㍉ 右卵胞 9.5㍉

・左の卵胞は、どういうわけか前日より小さくなっているなあ。でも、LHが高くなっているので、

もう排卵すると思われるので、今日スプレーして、移植は5月5日だね。出たら処置室へ行ってね。

・看護師さんから、今後の大まかな予定と注意点など、説明を受ける。移植の日は、一日かかるので、

ご留意を・・・とのこと。


ということで、GWまっただ中の移植が決まりました。もちろん、当日のホルモン値の具合によって、

最終判断が下されるんですが・・・。


家の事情で、どぉーしても5月1日の来院は無理だったので、安心しました。

一応、29日に排卵検査薬で試したら、バッチリ線が出た。

いつも、うっすい反応しか出ない検査薬もなぜかくっきりしていたので、先生の見立てに

間違いはないのでしょう。


看護師さんに「他に生活上、出来ることはないですか?

たとえば、運動するとか、何かを飲むとか・・」と聞いたら、


「なにもありません。とにかく規則正しく、良く睡眠をとって、

気持ちも体もゆったり過ごして、栄養のあるものを食べてください。」


普通に健康的な生活を送ることが、何より大切だそうです。



とにかく、まだまだ何があるか分からない。


予断を持たずに、その時を待つのみ。ですね。。。



しかし、院長先生始め先生方やスタッフの方、いつ休んでいるのだろう。


「GW期間中の診療時間について」という紙には、期間中は午前中診療のみ、と書かれている。

でも、私が予定通り移植するとなると、5月5日の午後に・・・ということになる。


要するに、実質、午後診療もあるようなものです。しかも、移植だし。


不妊治療に携わる先生は、体力のあるタフなひとじゃないとやっていけないということですよね。


患者さんも大変だけど、生殖医療に関わる医者や医療スタッフも、

一日も休まず患者さんに向き合ってくれている。


どんな結果であっても、こういう医療がこういう形で受けられる私は、恵まれているのだと思う。


先生達やスタッフ達には、本当に関心。体をこわさないようにして欲しい。


つくづく、感謝感謝です。

私の実父は今年で74才になる。

これまで、前立腺と大腸に癌がみつかり、いずれも早期発見によって、ほぼ完治した。


のに…。


今度は、胃癌が見付かってしまった。胃の不調を訴えて、近所のやぶ医者の診断では


胃潰瘍


ということだったが、北里大学病院の大腸癌の検診で、胃カメラのんでみたら胃癌が見付かったのだった。

転移ではないようだが、一年数ヶ月前に、大腸癌の手術をしたばかりなのに、とショックを受けていた。


お酒と塩辛い食べ物がとにかく好きで、控えた方がよいといくら周囲が言っても、もうこの年になって、我慢したくないということなのか、一切聞かなかった。


胃癌の場合、リンパ節への転移が気になるところだが、それは検査結果待ちだ。

都合、三つの癌。


老体には、厳しいだろう。でも、こうなるともう、医者の腕を信じるしかない。

父の手術の日と私の移植の日が重なるかもしれない。

どちらも、どうかうまく行くといいのだが…。


なかなか心配が尽きない年代になってきた、ということかな。


数ヶ月かけて、ようやく読み終わる。いやー、長く、重く、堅い感じの本でした。
学生運動や左翼活動が盛んだった頃、彼の本は活動家たちによく読まれていたようだったらしいという
前情報があったので、割と左よりなのかと思ったが、この著書には、そういう匂いは感じられなかった。

最近の芥川賞作品や直木賞作品は読むようにしています。
しかし、それらは確かに技巧的で文章のうまさはすごいなと
感じないわけではないが、圧倒的な語彙の量や小説としてのストーリーの構成、展開などは、
昔の人の作品の方が断然面白いと思うのだ。明治、大正の純文学は、やっぱり違う。
戦中戦後絡みの小説家の作品もかなり楽しいと思う。

最近の人の話はどういうわけか、読後にその内容の印象がほとんど残らないのです。

さて、この作品は、とある国立大学?の法学部の教授が、家政婦に結婚の約束をしたのに
それを反故にしたとして、訴えられるところから始まります。
順風満帆だった教授人生がこの一つの事柄をきっかけに、
転落して行く様を描いたものですが、特筆すべきは当時30歳代だった筆者の際立った
筆力なのです。たしか、高橋和巳の処女作だったと思います。
小説の中でむずかしい法学論が展開されたり、登場人物のきめ細かい機微が丹念に表現されていたり。

正直いって、疲れている時、自分にゆとりがない時は、全く読み進めることは出来ませんでした。
しっかりと、こちらが読む態勢を整えてじゃないと読めないずっしり感。
しかし、ただ重いのではなく、エンターテインメント性も維持されていて、
プロの小説を感じることができるそんな一冊でした。
最近、こういう小説をかける人はいないのではないかと思います。文章の基礎がなっているというか。
私の中の大切な一冊となりました。筆者は40歳代で病死しましたが、貴重な才能が若くして失われ、
本当に勿体無いことだなと感じています。