せっかく新しい年も明けたので記事を書いてみます。
明けましておめでとうございます。

ピグは、最後に自室に行って写真撮影したり、ペットの黒猫ちゃんにエサをあげてきました。
そんなことしてたのも、もうひと月以上前。



高校で抑うつの症状が強くなり受験も断念して、高校自体はなんとか乗り切って卒業した昨年春。
何回目かの似たような挫折に「やっぱりかぁ」って思いもあって、このまま誤魔化していっても繰り返すだけ、根本から変える必要のある何かがあるんだなって気づいてからやっと立ち止まることができた。

焦りすぎたり、焦らないようしようと思ったら今度は焦らなさすぎたり、いろいろ行ったり来たりして、今は良い効果のある良い焦り方ができるようになりたいという発想になったりした。
一方向的な、目的論的なものの見方は好きじゃない、と思ってたけど、やっぱり進歩したいっていうのがプログラムされてるらしい。

そこから今に至るまでもまあまあ長く感じるかな。
まだ卒業してから二年も経ってないけど、四年くらい経った気がする。
そう感じるくらいの変化があったから、やっぱり効果はあったのかな。間違いなくマシな方へ向かってる感覚はあるけど。


うつの症状らしい症状はすっかり良くなった。あの靄は晴れた。それどころか、こんなに調子よく過ごせているのは生まれて初めてだろうなぁと思う。体験したことない快調ぶりにしばらくは違和感すらあった。
感覚過敏もずいぶん楽になったのは驚いた。(これは漢方飲んでるのが効いてるのもあるかも。)
家族が調べてくれた高たんぱく・低糖質の食事にしたり、調べて必要なビタミン・ミネラルのサプリ飲んだり。これもやりはじめて一年半以上経ってここまでになったって感じ。
あと、脳にいいらしい有酸素運動に散歩、ヨガ。ヨガは考え方や感じ方の面でとても興味深いことが多い実感。
一時期マインドフルネス瞑想もやってて効果を感じたけど、戻ってきてしまった。栄養のことで体力もメンタルも丈夫になったから必要をあまり感じなくなったのと、なんとなく最後の砦にとっておきたいって気持ちから。でも最近また興味持ち始めてる。
ずっと悩まされてきた肩こりには鍼灸院通い、筋トレ、乳酸ためないよう糖質制限といくつかのビタミン。
・・・と、まあいろいろやったし、今も続けてます。

栄養療法やそれ系のダイエットは今にわかに流行っているよう。ここでは詳しくは書きません。
ほんとにね、これでかなり決定的に良くなった実感があって、原因がよくわからない不調や慢性の疲労、メンタルヘルス面で悩んでいるなら試してほしいという思いもあるけど、今回はいったん距離を置いてそれとは別に思うところを書きます。

考え方についても、いろいろ調べて調整していった感じ。
心理学や哲学の本・ブログ、スピリチュアル系のブログ、節操なくいろいろ読んだり考えたりした。そこから違和感を頼りに調律するみたいに考えも感じ方も変わっていった。これが「変容の学習」ってことなんだろうな。
メンタル不調でネットをさまようというのはあまりよろしくないことだろうけど、幸運なことに良心的で誠実なサイトさんや投稿者さんが発信をしてくれていたから、気づきと成長につなげることができたんだなと思う。先達は偉大だと心底思った。
まあそれでもそれなりに揺らぎというか、希望、癒し、絶望、疑惑、喜び、苦しみ、いろいろあったけど。いまはそのどれかではないような感じ。お茶を濁してる部分もあるだろうけど、それはそのうちまた向き合うことになるだけだから今は保留でもいいかなって。
最近は「語り」の特徴についてちょっと聞きかじってから、興味持ってる。今までは何か読んで考えて、ときどき行動したりしてまた考えてってそういう面ばかりだったから。考えてばかりで人と話さないと現実味がなくなっていってしまう気がするし。

そんな感じで、フィジカル面から回復していきました。
考え方を変えるっていうより、考え方や感じ方が変わっていったって感覚。
調子よくなれば自然とそうなっていくんだなって思った。
世界の見え方まで変わったような。全体的に穏やかで、信頼感がある。今までが如何に大変だったかも実感された。
あと、「気分」や「バイオリズム」というものの重要さにも気づいた。


で、このところちょっと思うこと。
消化吸収・代謝能力の個人差に合わせて普通に食べたんじゃ足りない分の栄養を採るためにプロテイン飲料、サプリを飲むわけだけど、なんというか、「いのち」がないかもなぁと。
まあ、その前からだって自分が食べるものがどう生きていて、誰がどう処理して、食卓に上がるかなんてことがわかる実感があったわけじゃないけど。生産者の顔写真付き野菜とかはあるものの。
最近ある番組で西田幾多郎の「善の研究」について放送してたのをみてたり、たまたま読んだ物語がそんなところをテーマにしてたりしたから、よけい目についてるのかもしれないけど。
お金も地位も権力も人間関係も、健康な心身さえも、「いのち」がなけれは善いものにはならない、って言われてどきっとして。
仕事の分業化やIT化も、生命工学の発達も、「工業化された命」って問題は今に始まったことじゃないけど、終わってもいないこと。
なんかデカい話になっちゃうけど、それだけ無関係じゃないってことだと思う。

でも私は今の食生活を続けるつもり。ちょっとしばらく控えてみたりするとまた調子悪くなるから、これがないともう今のようには活動できないし考え続けることもできない。それに、都合がいいかもしれないけど、「いのち」ある善い健康があったならそれが一番いいと思うしね。
だから瞑想や禅に何かありそうな予感。と思っている訳。実践してた時の感覚から、放送みてても思うところがあって。
こればかりは考えていたんじゃどうにもならない、じゃあ実践だって話だから、まあぼちぼちね。

あと、科学的なアプローチだから、自己治癒力でってのはあるものの、病いを内側から経験している当人より、器質的な疾患を治療するって視点の要素が強い。だからやりやすいって面もあるだろうし、もちろんモヤモヤすることもあるだろうから、これは良くも悪くもってことで。
ただ、実行しない人が悪い論調になってしまいがちに思うんだけど、これが将来的にも絶対正しいわけではないかもしれないわけだから、納得してやってみようと思って行うのがやっぱりいいように思える。
私はというと、こういうのがあるって言われた時はまともに頭も働きにくくてあんまりよくわかってなかったけど、あの時はちょっと自暴自棄になってて、もうなんでもいいからやってみようって感じで始めたわけだけど。(今は一応納得してやってる。)
結果としては効いた。ただ、自分の体験している危機の意味の探求っていう心理的な問題意識は薄らいでしまった気がするけど。タフであることとか、体“力”、思考“力”で、結局力ばかり求めてしまっていることになるしそれもなんだかなと思ったりもする。まあその中でもこれからもきっと思うところはあって、調子よく過ごせることで新たな段階にいける気がするからそれもきっといいと思う。
こんなことを悠長に考えていられるだけのんびりしてると言えばそうなんだけど。思うようやらせてもらえてるのは本当にこの上なく有難い。本当にあり得ないくらいすごいことだと思う。


最後に。また別の話。
元気になったから、そろそろツイッターを使えるようになったらいいかなと思っているこの頃。
SNS慣れしようと、趣味の話題のブログを立ちあげていくつか記事も書いてるけど、なんとなく好きなことを共有するって性に合わない気がする(笑)
思ってることを整理したり分析したりするために一方的に語るのは楽しいけど、自分が好きなら別に人に話す必要もないかも、みたいな。
せっかく友人たちのお陰でそういうの楽しむ感覚すこし掴めたと思ったんだけどね・・・まあそれはそれで楽しいところも確かにあるんだけど、義務感でやってる感じになっちゃって。対面じゃないってのもあるのかなぁ。

以前に見るだけ見てた時もやっぱり疲れるんだけど、ツイッターはタイムリーな情報、ニュースとは違う情報に触れられるだろうから、必要かなとは思う。
楽しくはないけど必要だからって理由でやろうとするあたり、まだまだ自分変わってないなぁと思う(笑)
それでも、いずれはなんかしらの楽しみを見つけて、自分に合ったほどほどの付き合いをきっと模索していけるだろうと思えるところは変わったと思う。



だいたい書きたいことは書いたかな。長くなっちゃったな。
いつも書いてる日記代わりのメモとはまた違ったものが自分の中から出てきて、整理できた感じがする。
前回の記事読んだら全然文体違うやーん!と思ったけどまあいっかということで。
とりとめないけど今回はこれで。
およそ1年8カ月ぶりのブログ更新です。


3月に高校を卒業しました。って、もう9カ月経ってるけど(^^;)
高校では生徒会をやったり、話しの合うクラスメイトと楽しくおしゃべりしたりと、いろいろと発見の多い貴重な経験させてもらいました。
途中、盛大に調子を崩しましたが、周りの支えにより生徒会も卒業もなんとかなったので、卒業式の日はやりきった~って感じでしたね(笑)
ほんとうに私はこの高校でよかったと思います。自分に合っていたんだと。

今は、通信の大学に在籍していますが、調子が優れず、ペース落としてぼちぼちやってます。
学費は取る科目分だけなので、そこが通信のいいところですね。(年単位、学期単位でとるところもあるのかもしれないけど。)


高校では国語や総合学習なんかで文章を書かされていたんですが、卒業してからは文章を書く機会がなくなってしまって、こう、脳トレみたいなものでね、簡単にでもいいからブログを使って少し書きなれておきたいなぁなんて思っていたんですが、ずっと書けずにいました。

理由としては、書きたいことがわからない、誰に向けて書くのか私の中で定まらない、自分の文章が恥ずかしい、など挙げられるんですけど、書けそうなことから書けばいいのでは?、誰が読むか・なぜ読むか・(私の文章に)何を読むかを私があらかじめ決めるのは無理なのでは?、恥ずかしい文章はそのままそういうものとしてあってもいいのでは?と最近になって思い至りまして、やっとブログに手を付ける気持ち的土台ができてきました。
言い訳ですけどね(笑)

なんてぐだぐだ言っても、一番の問題は自分の気力かなぁ(゜ー゜;)


まあ無理に書くものでもないと思うので、ブログを定期的に書くようになるのはまだ先だと思いますが、とりあえず今回は生きていますという報告の意味でアップしてみました。
また気が向いたら書くかもしれません。


読んでいただきありがとうございました。



最後に、最近よく聴く動画を。 →  (ニコニコ動画)

勉強嫌いな不登校生は多いですね。

もちろん、「勉強好き」とか「得意科目がある」
という子も何人か知ってますよ。

でも、不登校生でもそうでなくとも
勉強好きじゃない人は多いと思います。

ちなみに私は好きな方で、
自分は勉強に向いていると自負しています。
今のところは。

勉強というのは、
自然科学にしても、社会科にしても、
自分たちの住んでいる世界について知っていく
ということだと思います。

だんだん世界のことがわかってくる、
前から抱いていた疑問が解決されていく、
怖いものが少なくなっていく、
それだけで楽しいものです。

通信の高校に入って、
自分で取りたい科目を選択して勉強するようになってからは、
特にそう思うようになりました。

さらには、必修科目をやっている中で、
自分が今まで苦手だと思っていた社会科系科目は、
受験にあまり関係ないと思っていたので、
気楽にやっていたら、すっかりはまっていて、
今ではそちらを専門に学びたいと思っているほどです。

逆に受験勉強としてやってると、
今まで好きだった理系科目をあまり楽しむことができず、
とても辛いです。


やらねばならないと思うと
億劫に感じることはありますが、
心にエネルギーのある時は喜びがわかりますし、
やはり人は本来、
勉強することの魅力から離れることはできないと思います。
持論ですが。

私はずっと数学が好きでした。

でもそれは、現実逃避の手段として好きだったのかもしれない、
と思うようにもなりました。

中学生のとき、好きな曲を聴きながら、
計算ドリルの因数分解をひたすらするのが本当に楽しかった。

計算は早くなるし、精度も上がっていって、
自分の成長を手軽に体感できる。
なにより数学の必然的でシンプルな世界に没頭していられる。
自分が穢れのないシンプルな存在になれたような
そんな感覚すらしました。

社会科のように、深刻な社会問題
戦争、環境破壊、人権侵害など、
大きな感情の伴う大変なテーマに向き合わねばならない
ということはない。

数学の、
感情などない、とても静かな世界で、
安定して、ただそこに佇んでいるだけの存在が
とても安心感を与えるものでした。

でも逆に言えば、世の中にそんなもの、
数学くらいしかないような気がする。

できることなら、
不安定で、煩雑で、厳しくて、煩わしい現実に目を向けて、
向き合っていくべきだろう
と思うようになり、また必要性を強く感じるようになりました。

さらに、社会科の科目には、
大変な分、数学では味わえなかったような
楽しいこと・面白いことがそこにあるとも感じている。

昨年はそんな発見をして、
自分の興味の対象が大きく変わりました。

今、文系で受験する方向で考えていますが、
予備校の方では二年生の分の授業は理系で取っていたので、
数Ⅲをやっています。
これは古典や世界史などに変更することもできるそうですが、
私は数Ⅲがやりたいので、やらせてもらっています。
どうせなら高校数学の最後まで、数学の全体像を知りたい。
まだ最初のところですが、驚きがいっぱいで、
今までのことも自分の頭の中で繋がってきているのが面白いです。

弟が中学生になり、
家で母が弟の数学の勉強をみているのを聞いていると、
「ここ当時はよくわかってなかったな」
「こっち(高校数学の知識)を使えれば分かりやすいんだけどね」
なんて思ったりして、
やはり数学が分かるのは楽しい、と再認識しました。
ありがとう、弟よ。君は悪戦苦闘しているようだけどね(笑

これからも、疲れた時の息抜きとして、付き合っていきたい。
専門にしてもしなくても、私にとって数学は、
重要な存在になることでしょう。