横浜の香り教室 平安の香りと親しむ平安朝香道 -39ページ目

横浜の香り教室 平安の香りと親しむ平安朝香道

東急電鉄日吉駅3分にある平安の香りを創り楽しむ教室です。平安時代、貴族や「源氏物語」の主人公光源氏がたしなんだ香り創りや楽しみ方をご紹介。(by平安朝香道 朝倉涼香)

ピンクハート京都旅 

  ④京都へ行ったら絶対これ

 

 

 

ご訪問ありがとうございます

平安朝香道の朝倉涼香です

 

 

台風がまだまだ

居座っている様子

何事もなく

速く通り過ぎてくれますように

 

 

 

京都旅の続きです

 

紫式部の墓所にお参りして

大徳寺の龍源院

光源氏ゆかりの「雲林院」

と回り

すっかりお腹がすいて参りました。

 

お昼を

と思いましたが

京都へ旅して何よりも愉しみなのは

 

くずきりを頂くこと

 

 

 

 

一食抜いても

こちらが先です。

 

それにお昼を過ぎると

特に3時過ぎから夕方は

いつでも混雑していて

並ばなければなりません。

 

 

くずきりを頂くことは

学生時代からの

京都旅の愉しみなのです。

 

今はサークルと呼ぶ様ですが

昔はクラブと呼ばれていました。

そのクラブで、京都へ襖絵や庭園を

観賞しに行っておりました。

活動が終って、皆で寄ったのが

「鍵善良房」(かぎぜんよしふさ)

そして必ずくずきりを頂いたのです。

 

 

特に夏の京都で

歩き疲れた後に頂く

くずきりは

ブルーハーツまた格別ブルーハーツ

 

 

さあ参りましょう音譜

 

 

夫を急かせて

源氏も紫式部も

すっかり忘れて

四条河原町へ参りました。

 

八坂神社近くの

「鍵善良房」です

 

なんと今回は

すんなりと席に着けました。

 

 

くずきり二つ

 

 

 

 

わらび餅を注文

 

 

 

 

くずきりは黒蜜と白蜜の2種類があり

今回は二人とも黒蜜。

 

きび餅ぜんざい

もとても美味しいのですが

冬期限定ですので

今回は頂けませんでした。

 

 

平打ちにした麺状の葛が

氷水の中を泳いで

とっても涼しそうブルーハーツ

 

葛切りをお箸ですくう度

大きな氷が

  カラカラッ

と音を立て涼を誘います。

 

いつもは白蜜もお願いして

二人で二組ずつ頂くのですが・・・

 

黒蜜にくぐらせて口へ運ぶと

暑さも忘れますニコニコ

 

 

お昼も頂かず

お腹を満たしてしまいました。

 

 

このあとは

紫式部の墓所に

もう一度参りました。

 

 

 

 

 

なぜなら

お線香をお供え出来なかったからなのです。

 

 

ホテルへ舞い戻り

お線香を求めて

もう一度墓所へ。

 

 

 

 

 

ホテルの売店にあったのは

山田松香木店の

「華洛」と「白檀」でした。

 

夏に相応しく「華洛」といたしました。

 

青蓮とあるので清々しい蓮の香りハート

涼しげでとても優しい香りでした。

 

 

京都行き前に

携帯の電子香炉を

準備しておいたのですが

忘れてきてしまいました。

次回は薫物と電子香炉を

必ず持参しましょ。

 

 

 

京都旅

なかなか先へ進みそうにありませんので

折りを見てまたお伝えいたします。

 

ピンクハート京都旅

  ③光源氏が籠もった京の寺

   雲林院

 

 

 

ご訪問ありがとうございます

平安朝香道の朝倉涼香です

 

 

 

石垣島の南南東で台風が停滞し

お天気がはっきりしません。

降り続く雨ではありませんが

降ったり止んだり

 

 

今日も

京都旅の続きです

 

 

紫式部の墓所よりほど近い場所

同じ紫野に

臨済宗の大徳寺があります。

 

 

  雲林院は右下                    

 

 

平安の頃はこの辺り一帯

現在の大徳寺も含め

より広い範囲が

雲林院の敷地でした。

 

 

今は大徳寺の門外塔頭となっている

雲林院も

北往路通りを隔てた目の前です。

 

 

雲林院は平安の頃

紫野院と言われ

淳和天皇(在位823~833)の

離宮でした。

 

その後院名を改め

雲林亭とし

その後仁明天皇の第七皇子

常康親王に伝領され

雲林院となりました。

 

親王が出家すると

仏寺となり六歌仙の一人として有名な

僧正遍照に付属され天台宗となりました。

 

後に、数々の困難を経て禅宗の寺院となり

大徳寺の門外塔頭として

今日に至ります。

 

 

 

 

 

 

「雲林院」の名は

「大鏡」や「今昔物語」で

「源氏物語」では

「賢木・さかき」の帖に

「伊勢物語」にもその名が登場。

 

 

 

 

 

 

「源氏物語」では

源氏の君は

源氏の父君の桐壺院の崩御後も

桐壺に近づき執拗に迫ります。

(桐壺院と桐壺中宮の間の皇子は

実は源氏の子)

 

何ということでしょうびっくり

 

思いがかなわぬ源氏の君は

雲林院に籠もってしまうのです。

 

思いを鎮め、行く末を思い

答えを出せないまま

どうにもならないまま。

 

このような心情で訪れ退去した

雲林院でした。

 

 

雲林院の当時の面影は

大徳寺の壮大な敷地や

青々と茂る樹木より

感じ取れるかもしれません。

 

いえいえ

離宮ですから相当な広さで

宮中と同じような作庭だったのでは?

 

 

大徳寺門内

 

 

 

2000年に京都市北区紫野雲林院町

のマンション建設地(現パークシティ北往路)

で発見されたのが雲林院跡紫野院でした。

 

 

発掘調査が行われ

平安時代前期の苑地跡

掘建柱建物、井戸、土器溜まりなど

釣台と思われる建物跡も発掘され

軒瓦や白磁の茶碗も発見されました。

それが紫野院の離宮でした。

 

 

 

現在に戻ると

大徳寺も驚くほどの広さです。

大徳寺の塔頭は数えると24

著名な国宝が数多くあるのです。

 

 

とても1日では無理ですので

龍原院だけ拝見いたしました。

茶道に深く関わる寺院が多く

その中でも一休宗純が開祖として知られる

真珠庵は特筆です。

 

 

 

龍源院

 

 

午後になってしまい

お腹もすいて参りました。

 

京都に来ると

どうしても寄りたい場所は?

それではまた次回。

 

 

 

 

ピンクハート京都旅 

  ②紫式部は地獄から救われた?

 

 

 

ご訪問ありがとうございます

平安朝香道の朝倉涼香です

 

 

 

あの涼しさはどこへやら

蒸し暑くなりました。

 

 

紫式部を探す京都旅

の続きです。

 

 

紫式部と小野篁の墓所のある

紫野はかつては広大な原野で

狩猟が行なわれ

紅葉や桜の名所でした。

 

 

 

現在は大徳寺となっておりますが

かつては広大な雲林院の中に

大徳寺がありました。

雲林院は、淳和天皇の離宮でした。

 

 

大徳寺

 

 

 

また鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)

そして蓮台野(紫野)は

葬送の地としても知られています。

 

 

紫式部はこの紫野で生まれ、育ち

(現在の大徳寺真珠庵に産湯の井戸があるそうです)

最後はこの紫野の地に葬られたのでした。

 

 

平安時代、仏教的な観点からすれば

「源氏物語」は嘘の作り話しとなり

とんでもない物語

「嘘をつくと地獄に堕ちる」

そのような見方もあったのでしょう。

 

当時はやはり男社会

漢詩文ではなく

宮中の一部で回し読みされていた

ひらがなの読み物。

 

高評価の裏には批判的な意見も

あったのではないでしょうか。

 

平安時代末期の

仏教説話集「宝物集」には

「紫式部は嘘を広め

多くの人の心を惑わしたため

地獄に落ちた」

と書かれているそうです。

 

 

地獄へ落ちたけれど

紫式部を何とか救い出したい

 

その思いが文人として過去に活躍した

小野篁(おののたかむら・802年~852年)に

救出を求めたとみられています。

 

小野篁は

遣隋使を勤めた小野妹子の子孫です。

遣唐副詞に任命されたのですが

従わず隠岐に流されました。

後に召還され重職に就きました。

 

「今昔物語」には

小野篁は冥府とこの世を

行き来し閻魔大王の次官として

裁判を補佐していたそうです。

 

 

そのため閻魔大王に取りなし

紫式部を地獄から救い出したのだとか。

そのように伝えられているのです。

 

 

 

 

 

 

ですから紫式部の後ろから

お墓を護るようにしているのですね。

 

納得ニコニコ

 

 

墓所には

ザクロの実が色づいて

 

 

 

 

紫式部についての

数多くの著書のある文学博士の角田文衛氏の

「紫式部顕彰碑」が建っていました。

 

そこには紫式部の略歴

名前の謂われ

この場所が墓所と思われる根拠などが

刻印されていました。

 

 

 

 

 

 

うっかりすると

気付かずに通りすぎてしまう

小さな墓所

 

 

 

 

墓所を出ると

盛りを過ぎたのではなく

これから鮮やかな紫に染まる

ムラサキシキブが見送って・・・

 

 

ピンクハート何年ぶりかの京都でした

   ①紫式部の墓所

 

 

 

先週、横浜は暑い日続きでした。

コロナも終息してはおりませんが

覚悟の上で遠出をしてみました。

 

 

久しぶりの新幹線

子供のようにワクワクして

京都までの2時間余り

目がパッチリ。

 

キラキラ修学旅行キラキラのような

気持ちで参りました。

 

 

車窓からの京都の空は

どんよりと曇って

活動し易そう。

 

今回は夫のお供と

紫式部の墓所や

関連場所を訪ねる旅。

 

 

昔より

「京都の夏は30度越え」

を覚悟

覚悟の上で参りました。

 

宿泊先に荷物を置いて

早速紫式部の墓所へ。

 

北大路堀川を南へ行くと

島津製作所があり

その間に埋もれるように

墓所がありました。

 

 

つい通りすぎてしまいそう

 

 

最盛期を過ぎたムラサキシキブが

(これから色づくところでした)

石碑に覆い被さって

わかりずらくなっております。

 

 

 

 

 

 

 

確かに

「紫式部墓所」

と刻まれて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すく隣には

小野篁

 

 

 

同時代の人物ではないのに

「小野篁」(おののたかむら)が守っている

そのようにも思えました。

 

 

丸ブルー「源氏物語」の蓮池の香り

 

 

 

 

ご訪問ありがとうございます

平安朝香道の朝倉涼香です

 

 

 

雨が降って

暑さもどこへやら

とても涼しくなりました。

 

 

急激な感染者の増加と

激烈な暑さのため

8月のお稽古は

夏休み

といたしましたが

私は

課題の「荷葉」や

その他の薫物を聞きながら

秋の準備をしております。

 

 

 

蓮の花もそろそろ

終わりを迎えることでしょう。

 

 

 

 

 

 

「源氏物語」に登場する

「荷葉」の香りを

あれこれと想像しながら・・・

 

 

光源氏が最初に邸とした

二条院にも

後に壮大な邸となる

六条院にも

庭園には、夏になると

青々とした蓮の葉や

蓮の花が風に揺れる様子が

描かれています。

 

 

 

 

 

 

源氏が四十歳の時

(平安時代の四十は老年期)

二人目の正妻(女三宮・十三、四才)

を迎えます

(亡き葵の上は最初の正妻)

 

 

正妻同様に暮らしてきた

紫の上の嘆きは計り知れず

次第に床に就く時間が

長くなっていきます。

 

 

病気治癒のため

かつて源氏と住んだ

二条院へと移りました。

一時危篤に陥りましたが蘇生

紫の上のご容体を憂慮して

源氏はしばらくの間二条院へ留まります。

 

 

 

池はいと涼しげにて

蓮(はちす)の花の咲きわたれるに

葉はいと青やかにて

露きらきらと玉のやうに見えわたるを

 

「かれ見たまへ。おのれひとりも涼しげなるかな。」

とのたまふに起き上がりて見出し給へるも

いとめづらしければ、

 

 

「かくて見たてまつるこそ夢の心ちすれ。

いみじく、わが身さえ限りとおぼゆるをりをりのありしはや」

と涙を浮けてのたまえば、

みづからもあはれに思して

 

 

「消えとまるほどや経べきたまさかに蓮の露のかかるばかりを」

とのたまう。

 

「契りおかむこの世ならでも蓮葉に玉いる露の心隔つな」

 

 

身を起こせるほどに回復した

紫の上は源氏と

歌を交わします。

 

紫の上は蓮に置く露に

自身の命の儚さを重ねて

歌を詠みます。

 

それに答えた源氏は

この世だけでなく極楽浄土でも

この蓮の露のように

同じ蓮の上にいましょう

お約束いたします。

お疑いなきように!

 

 

涼しげに揺れる蓮を

二人で眺めながら

一時を過ごすのです。

 

 

お互いに来し方を懐かしく思い

行く末を案じています。

その不安を

涼やかで清らかな情景と

蓮池から漂う香りとで

払拭してくれているのでは

 

そう思っております。

 

 

平安時代の「荷葉」を聞き

次第に

ご自分の中で温められた

「荷葉」が創れますように

そうなられたら私も嬉しいですキラキラ

 

薫物は

急がずゆっくりと

時代に合わなくとも

いつかきっと

ご自身の拠り所となるはずです。