バスティーユ
丁度最近、7/14付近のベルばらネタばかりを書いていたので
革命ついでにバスティーユ攻撃について思った事を少し。
(o^^o)


この原作に
『バスティーユ牢獄を守備していたのはド・ローネー候指揮下の114名の兵士だけであった』
とあります。
Wikipediaによると
攻め込んだ群衆側には98人の死者、73人の負傷者が出た。対する守備隊側は、敗北後に虐殺された者を除くと、死者1名、負傷者3名であった。
のだそうです。
この戦いで、ド・ローネー候と114名の兵士の内、死亡したのが1名、負傷者3名。
だったのですね。
それに対して民衆側は98名もの死亡者が出ている。
オスカルはこの1/98だったのかな、
なんて思うと
オスカルの、そして大勢の市民の死と引き替えにして得た
バスティーユに上がる白旗を
誉れとして良いのだろうか?
と、思ってしまいました。
市民側にはこんなにも多くの犠牲者が出たのに
相手側の死者はたったの1名。
1人であれ、100人であれ、
戦争や暴動なんかで人が命を落とすことがあってはならないのだけれど
犠牲者の数のあまりの違いに
少し悲しい気分になってしまいました。
このバスティーユ陥落によってフランスの未来が大きく変わることにはなるのですが
結果勝った、と言っても
こんなに沢山の命を犠牲にして得たものを
『勝ち』といえるのだろうか。
そう、思ったのでした。
この、バスティーユには
『サディスト』という言葉の語源にもなったマルキドサド侯爵が収容されていたというのも大変興味深いです。
別件でサドの事を調べた時に、1789年7月2日にバスティーユの中でサドが暴言を吐いたのだ、という記述を読み、
えっ!まさか7/14のバスティーユ攻撃の際にサドはバスティーユの中にいたの!???
と、思って興奮して調べてみると
なんとバスティーユ陥落の10日ほど前に精神病院に移されていました。
笑
残念!
何というタイミング!!
笑いました。
(o^^o)
バスティーユ攻撃での犠牲者
死者98名、
負傷者73名
と聞いたときに
『以外に犠牲者少ないな』
なんて思いました。正直。
しかし、
この98という数字の中にオスカルが、
そして73という数字の中にアランがいた。
そう思うと
急に数字に重みを感じました。
このバスティーユの戦いの前に民衆はアンバリッドに向かい武器を手に入れます。

アニメで『アンバリッド』と呼ばれている場所は
原作では『廃兵院』と記載されています。
アンバリッド=廃兵院
同じ意味ですが、
わたしはアンバリッドの言葉の響きがとても好きです。(o^^o)
アンバリッドとバスティーユとの位置関係
は原作に手書き地図で書かれています。
嬉しいおまけ。

この地図の載っているページに、パリに集まってきた軍隊の事が書いてあります。
原作では、
会話の流れからして
この人がドイツのランベスク公っぽい。。。という人が居ても


実際にその名前を誰かに呼ばれたり
自己紹介するシーンがないので
この人がランベスク公。。。かな?
たぶん。
と、感で察するしかないキャラが
アニメだと『私はランベスクだー!』
と名乗ってくれていたりします。

やっぱり、この人ランベスクか!
と、クイズに正解した気分☆
(o^^o)
こう言う感じ、アニメと原作をチャンポンにして見る面白さの1つだな、と思っています。
こう言うの好きです。
このパターンで1番感激したのが
ドギーシュ公爵

私はアニメから先に見ているのでドギーシュ公爵は本当に1話しか出てないんだっけ??!!
と、言うくらい、1度見たら忘れられないキャラとなっていますが、
原作には名前しか出てこないのですよね!!!
こんなキャラの濃い
ロリコンを登場させてくれて有難う!
と言いたいですが

私はドギーシュ公爵のせいで
子供の頃オートミールの箱が怖くてたまりませんでした。

このおじさんに侯爵と共通する何かを感じたのだと思います。
笑
そして、原作には書かれていませんが
アニメでは公爵の年齢が43歳に設定されていたことにもビックリ。
えっ?
ステッキ持って
顔色悪くて肝臓悪そうな
この人、まだ43歳なの??!!!
しかも喋り方が最高にコワイ!
これは大人になってからビックリした事の1つです。
(o^^o)
43歳の公爵と11歳のシャルロット
という犯罪チックな組み合せの縁談を喜ぶおじさんと、快諾する母も最高に怖くてビックリしますが
見た目の割に
公爵の年齢が若くて、まずそこにビックリです。
(o^^o)
歳の差カップルと言えば
加藤茶夫妻は45歳差カップルとのことなので、このドギーシュ×シャルロットを上回る年齢差婚だったのですね。

奥さんが11歳の時に加藤茶は56歳?
足し算間違えたかな?と、一瞬思ってしまいましたが、合っていました。
親子以上の歳の差カップルですが
このお二人は幸せそうなので
なによりです。
ドギーシュ公爵がお気に入りすぎてバスティーユからドギーシュの話題にナチュラルシフトしてしまいました。
バスティーユから、本日の着地点は加藤茶。
笑
革命ついでにバスティーユ攻撃について思った事を少し。
(o^^o)


この原作に
『バスティーユ牢獄を守備していたのはド・ローネー候指揮下の114名の兵士だけであった』
とあります。
Wikipediaによると
攻め込んだ群衆側には98人の死者、73人の負傷者が出た。対する守備隊側は、敗北後に虐殺された者を除くと、死者1名、負傷者3名であった。
のだそうです。
この戦いで、ド・ローネー候と114名の兵士の内、死亡したのが1名、負傷者3名。
だったのですね。
それに対して民衆側は98名もの死亡者が出ている。
オスカルはこの1/98だったのかな、
なんて思うと
オスカルの、そして大勢の市民の死と引き替えにして得た
バスティーユに上がる白旗を
誉れとして良いのだろうか?
と、思ってしまいました。
市民側にはこんなにも多くの犠牲者が出たのに
相手側の死者はたったの1名。
1人であれ、100人であれ、
戦争や暴動なんかで人が命を落とすことがあってはならないのだけれど
犠牲者の数のあまりの違いに
少し悲しい気分になってしまいました。
このバスティーユ陥落によってフランスの未来が大きく変わることにはなるのですが
結果勝った、と言っても
こんなに沢山の命を犠牲にして得たものを
『勝ち』といえるのだろうか。
そう、思ったのでした。
この、バスティーユには
『サディスト』という言葉の語源にもなったマルキドサド侯爵が収容されていたというのも大変興味深いです。
別件でサドの事を調べた時に、1789年7月2日にバスティーユの中でサドが暴言を吐いたのだ、という記述を読み、
えっ!まさか7/14のバスティーユ攻撃の際にサドはバスティーユの中にいたの!???
と、思って興奮して調べてみると
なんとバスティーユ陥落の10日ほど前に精神病院に移されていました。
笑
残念!
何というタイミング!!
笑いました。
(o^^o)
バスティーユ攻撃での犠牲者
死者98名、
負傷者73名
と聞いたときに
『以外に犠牲者少ないな』
なんて思いました。正直。
しかし、
この98という数字の中にオスカルが、
そして73という数字の中にアランがいた。
そう思うと
急に数字に重みを感じました。
このバスティーユの戦いの前に民衆はアンバリッドに向かい武器を手に入れます。

アニメで『アンバリッド』と呼ばれている場所は
原作では『廃兵院』と記載されています。
アンバリッド=廃兵院
同じ意味ですが、
わたしはアンバリッドの言葉の響きがとても好きです。(o^^o)
アンバリッドとバスティーユとの位置関係
は原作に手書き地図で書かれています。
嬉しいおまけ。

この地図の載っているページに、パリに集まってきた軍隊の事が書いてあります。
原作では、
会話の流れからして
この人がドイツのランベスク公っぽい。。。という人が居ても


実際にその名前を誰かに呼ばれたり
自己紹介するシーンがないので
この人がランベスク公。。。かな?
たぶん。
と、感で察するしかないキャラが
アニメだと『私はランベスクだー!』
と名乗ってくれていたりします。

やっぱり、この人ランベスクか!
と、クイズに正解した気分☆
(o^^o)
こう言う感じ、アニメと原作をチャンポンにして見る面白さの1つだな、と思っています。
こう言うの好きです。
このパターンで1番感激したのが
ドギーシュ公爵

私はアニメから先に見ているのでドギーシュ公爵は本当に1話しか出てないんだっけ??!!
と、言うくらい、1度見たら忘れられないキャラとなっていますが、
原作には名前しか出てこないのですよね!!!
こんなキャラの濃い
ロリコンを登場させてくれて有難う!
と言いたいですが

私はドギーシュ公爵のせいで
子供の頃オートミールの箱が怖くてたまりませんでした。

このおじさんに侯爵と共通する何かを感じたのだと思います。
笑
そして、原作には書かれていませんが
アニメでは公爵の年齢が43歳に設定されていたことにもビックリ。
えっ?
ステッキ持って
顔色悪くて肝臓悪そうな
この人、まだ43歳なの??!!!
しかも喋り方が最高にコワイ!
これは大人になってからビックリした事の1つです。
(o^^o)
43歳の公爵と11歳のシャルロット
という犯罪チックな組み合せの縁談を喜ぶおじさんと、快諾する母も最高に怖くてビックリしますが
見た目の割に
公爵の年齢が若くて、まずそこにビックリです。
(o^^o)
歳の差カップルと言えば
加藤茶夫妻は45歳差カップルとのことなので、このドギーシュ×シャルロットを上回る年齢差婚だったのですね。

奥さんが11歳の時に加藤茶は56歳?
足し算間違えたかな?と、一瞬思ってしまいましたが、合っていました。
親子以上の歳の差カップルですが
このお二人は幸せそうなので
なによりです。
ドギーシュ公爵がお気に入りすぎてバスティーユからドギーシュの話題にナチュラルシフトしてしまいました。
バスティーユから、本日の着地点は加藤茶。
笑
オスカルはいつ、民衆側に付く決心をしたのか
再び、最近ベルばらのアニメ本をじっくり見ています。
昨日に引き続き、という感じです(o^^o)
本当に編集する人によって全然違う表現になる
『編集力』・『演出力』の偉大さに
ため息つきながら読んでます。
昨日読んでいたのは、アニメの38話かな。
オスカルがパリに出動した際、
胸に付けていた階級章を捨てるシーンについてを書いたのですが、
それをきっかけに再びアニメと原作のオスカルのことを思っていました。
アニメ37話くらいから、
オスカルは自分の背負っていた宿命を
一つ一つ手放してゆきます。
王家に仕える大貴族ジャルジェ家の跡取りであるということ。
近衛連隊長として生きた過去、
衛兵隊B中隊長として生きることを選んだ日々
いろんな肩書きを持っていたオスカルが、
それらを全て潔く捨て去って
最後に唯一持っていた肩書は
『アンドレ・グランディエの妻』
これだけでした。
アニメのオスカル、そして衛兵隊B中隊一同は1789年7月13日早朝、全員衛兵隊を除隊します。
しかしアランは、ラサールは、他の隊員達もオスカルを『隊長』と呼び、
革命に身を投じる同志としてチュイルリー広場に向かいます。
オスカルが無言で手を高く上げると
衛兵隊の男達は一斉に銃を構える。
阿吽の呼吸で意思疎通を図る
この素晴らしいチームワークに胸が高なります。


オスカルのセリフ
『元・衛兵隊!全員騎乗!!!!』
これ、格好良くてとても好きです。
格好良すぎる!!!
一方原作オスカルは衛兵隊を除隊しません。
軍人として、フランスを護る武官として
市民の側に付きます。
オスカルは以前にも言っていました。

軍隊とは
国民を守るものであって
国民に銃をむけるためのものではございません
その信念に基づいて
軍人として革命に立ち向かいました。
昨日熱弁した階級章を外すオスカルのシーン。


原作オスカルは、衛兵隊の兵士達に向かって
称号と財産の放棄を宣言。
そして階級章を外し
『私は貴族でも、フランス国王に支配される軍人でもない、一人の自由な市民として、民衆と友に戦う!君たちはどうする?!』
と、衛兵隊の仲間に呼び掛けます。
原作オスカルは、パリに出動し
暴動が発生した後に『市民として戦う』つもりがあることを打ち明けます。
もちろん、パリ出動前から
暴動があった際には
そうしようと
思っていたという事がうかがえるシーンがあります。


一方
アニメオスカルはジャルジェ家を出ていくときに父への手紙をばあやに託します。
きっとアニメオスカルは
既にこの時に全ての決心がついていたのでしょう。
もう、2度とこの家には帰ることがない、という覚悟があったのだと思います。
しかし原作オスカルは、
ギリギリまで色々な作戦を練っていたのではないかと思います。
病気のばあやと交わした約束
フェルゼンとの恋に苦しむ、慕い使えた王妃
そして生涯の友、フェルゼン
オスカルには簡単に捨てられるはずのない大切な人達がいて、
その人達との縁を切ることなく
戦える最善の方法を見つけようと
一人悩んでいたのではないかと
そう思います。
当たり前です。
正しいと思った道に進む為とは言っても
中々潔く大切な人たちとの関係を断ち切ることは簡単ではありません。
暴動発生の知らせを受け、
考えていた最後の手段をとった
それが自分の築いてきた全てを断ち切り
革命に身を投じるという道だった
のでしょう。
華々しく、この革命に『一市民』として参加すると宣言した後、
オスカルは自分を支えてくれていた全ての人に一人静に別れを告げます。


それに対してアニメオスカルが潔く
7月12日の夜には自分の『取るべき道』を決めることが出来たのには、幾つかのきっかけがあったと思います。
まず、自分の命の期限がはっきり分かっていたと言うこと。
この前日にオスカルはラソンヌ先生のもとを訪れ、
結核である事
あと長くて半年の命である事
を知ることとなります。
その時のオスカルのセリフ。
『いずれその日が来るならば、それまで精一杯に生きたいのです。自由に、そしてあるがままの心で』
と。
二つ目のきっかけ。
ばあやが寝たきりにならなかったこと。
乳母とは言え、父よりも母よりもオスカルを想っていたのがやはりこのマロングラッセだったと思います。
弱って小さくなったばあやを置いて家を出た原作オスカルは後ろ髪を引かれる思いだったのではないでしょうか。
幸にもアニメのばあやは寝込むことはなく、最後の出演シーンはオスカルの手紙を読むというお役目を担っていました。
そして最後に、王妃と自分の進む道が完全に平行線なのだと知ったこと。
『オスカル、わたくしを守ってくれますね』
『わたくしは、近衛を辞めた身でございます』
『ご自分の国の民に銃を向けてはなりません』
『それは出来ません』
あんなにも守り守ってきた2人の仲が終わった、というシーン。
原作にはないオリジナルのストーリーですが
本当に切なくて、悲しくて。
でも何故か美しくて、とても好きなシーンです。
これら、原作にはないオリジナルエピソードによってオスカルの気持ちに勢いがついた、と私は想像しました。
オスカルはアンドレと結ばれたその直ぐ後に、衛兵隊宿舎でこれからの事を坦々と語ります。
原作オスカルが
華やかに、そして溢れる想いを謳うように『これから取るべき道』について語ったのとは正反対に
薄暗い宿舎で静かに、冷静な口調で語りました。
民衆の中には諸君の親や兄弟がいることと思う。
たとえ私が発砲を命じても、君たちは引き金をひかないだろう。
それは当然だと思う。
私の取るべき道を述べる、全く個人的にだ。
私の愛する人、私の信ずる人が民衆と共に戦うというなら私は戦う。
わたしはアンドレグランディエの妻となった。
私は夫の信ずる道をともに歩く妻となりたい。
アンドレと夫婦になったことをここで告げたオスカル。
原作オスカルが衛兵隊員たちに言うセリフ
『女伯爵の称号とあたえられた伯爵領のすべてを捨てよう』
と
アニメオスカルの
『わたしはアンドレグランディエの妻となった』
には同じ価値があると私は思っています。
そして、
『女伯爵の称号とあたえられた伯爵領のすべてを捨てよう』
の説明がなくても
『アンドレグランディエの妻となった』
のセリフと
『名はオスカル・フランソワ、しかし階級と称号はない』
のセリフでオスカルが貴族として持っていた全ての装飾品を既に手放したことが分かります。
『この階級章は、もういらないな』
と、胸から階級章を外す姿はアランと数人の兵士しか見ていないくらい、地味にひっそりと外しています。
階級章を外すオスカル
は、大変印象的なシーンですが
アニメと原作ではシチュエーションがかなり違うのがまたまた興味深いです。
オスカルが、どのタイミングで民衆側に付くことを衛兵隊員達に告げるのか?
で、このシーンの持つ意味が変わってくる、
そして民衆側に付く『きっかけ』はそれより前の様々なオスカルを取り巻く環境によって変わってくるのかもしれないな~
という事を考えていたら
なんだかまどろっこしい長い記事になってしまいました。
いつもそうですが、
着地点にしたかったところに
上手くたどり着けない私のブログ。
次回こそは目標地点に降りてこられるように、再チャレンジします。
(o^^o)
☆☆☆☆
『夫に従う』
『アンドレ、命じてくれ』
のアニメオスカルのセリフは賛否両論ありますが、
アニメを見てから原作を読んだ私にとっては、実はそんなに違和感がないのですよね。
(^^ゞ
リーダーシップバリバリのアクティブな原作オスカルは
アンドレに命じることはあっても
命じられることなどなかったでしょうから
『オスカルに限ってこのセリフはないよ~』
と、なったでしょうね。
ちょっとこの辺は私はマヒしているので
『コレを違和感に思わないワケ』が何なのかを突き止めたいと思っているところです。
たしかに。
思い返すとオスカルがアンドレの命じたことを聞いたのは『水を汲んできた』事くらいしか思い出せない。。。。
むううう。。。。
笑
昨日に引き続き、という感じです(o^^o)
本当に編集する人によって全然違う表現になる
『編集力』・『演出力』の偉大さに
ため息つきながら読んでます。
昨日読んでいたのは、アニメの38話かな。
オスカルがパリに出動した際、
胸に付けていた階級章を捨てるシーンについてを書いたのですが、
それをきっかけに再びアニメと原作のオスカルのことを思っていました。
アニメ37話くらいから、
オスカルは自分の背負っていた宿命を
一つ一つ手放してゆきます。
王家に仕える大貴族ジャルジェ家の跡取りであるということ。
近衛連隊長として生きた過去、
衛兵隊B中隊長として生きることを選んだ日々
いろんな肩書きを持っていたオスカルが、
それらを全て潔く捨て去って
最後に唯一持っていた肩書は
『アンドレ・グランディエの妻』
これだけでした。
アニメのオスカル、そして衛兵隊B中隊一同は1789年7月13日早朝、全員衛兵隊を除隊します。
しかしアランは、ラサールは、他の隊員達もオスカルを『隊長』と呼び、
革命に身を投じる同志としてチュイルリー広場に向かいます。
オスカルが無言で手を高く上げると
衛兵隊の男達は一斉に銃を構える。
阿吽の呼吸で意思疎通を図る
この素晴らしいチームワークに胸が高なります。


オスカルのセリフ
『元・衛兵隊!全員騎乗!!!!』
これ、格好良くてとても好きです。
格好良すぎる!!!
一方原作オスカルは衛兵隊を除隊しません。
軍人として、フランスを護る武官として
市民の側に付きます。
オスカルは以前にも言っていました。

軍隊とは
国民を守るものであって
国民に銃をむけるためのものではございません
その信念に基づいて
軍人として革命に立ち向かいました。
昨日熱弁した階級章を外すオスカルのシーン。


原作オスカルは、衛兵隊の兵士達に向かって
称号と財産の放棄を宣言。
そして階級章を外し
『私は貴族でも、フランス国王に支配される軍人でもない、一人の自由な市民として、民衆と友に戦う!君たちはどうする?!』
と、衛兵隊の仲間に呼び掛けます。
原作オスカルは、パリに出動し
暴動が発生した後に『市民として戦う』つもりがあることを打ち明けます。
もちろん、パリ出動前から
暴動があった際には
そうしようと
思っていたという事がうかがえるシーンがあります。


一方
アニメオスカルはジャルジェ家を出ていくときに父への手紙をばあやに託します。
きっとアニメオスカルは
既にこの時に全ての決心がついていたのでしょう。
もう、2度とこの家には帰ることがない、という覚悟があったのだと思います。
しかし原作オスカルは、
ギリギリまで色々な作戦を練っていたのではないかと思います。
病気のばあやと交わした約束
フェルゼンとの恋に苦しむ、慕い使えた王妃
そして生涯の友、フェルゼン
オスカルには簡単に捨てられるはずのない大切な人達がいて、
その人達との縁を切ることなく
戦える最善の方法を見つけようと
一人悩んでいたのではないかと
そう思います。
当たり前です。
正しいと思った道に進む為とは言っても
中々潔く大切な人たちとの関係を断ち切ることは簡単ではありません。
暴動発生の知らせを受け、
考えていた最後の手段をとった
それが自分の築いてきた全てを断ち切り
革命に身を投じるという道だった
のでしょう。
華々しく、この革命に『一市民』として参加すると宣言した後、
オスカルは自分を支えてくれていた全ての人に一人静に別れを告げます。


それに対してアニメオスカルが潔く
7月12日の夜には自分の『取るべき道』を決めることが出来たのには、幾つかのきっかけがあったと思います。
まず、自分の命の期限がはっきり分かっていたと言うこと。
この前日にオスカルはラソンヌ先生のもとを訪れ、
結核である事
あと長くて半年の命である事
を知ることとなります。
その時のオスカルのセリフ。
『いずれその日が来るならば、それまで精一杯に生きたいのです。自由に、そしてあるがままの心で』
と。
二つ目のきっかけ。
ばあやが寝たきりにならなかったこと。
乳母とは言え、父よりも母よりもオスカルを想っていたのがやはりこのマロングラッセだったと思います。
弱って小さくなったばあやを置いて家を出た原作オスカルは後ろ髪を引かれる思いだったのではないでしょうか。
幸にもアニメのばあやは寝込むことはなく、最後の出演シーンはオスカルの手紙を読むというお役目を担っていました。
そして最後に、王妃と自分の進む道が完全に平行線なのだと知ったこと。
『オスカル、わたくしを守ってくれますね』
『わたくしは、近衛を辞めた身でございます』
『ご自分の国の民に銃を向けてはなりません』
『それは出来ません』
あんなにも守り守ってきた2人の仲が終わった、というシーン。
原作にはないオリジナルのストーリーですが
本当に切なくて、悲しくて。
でも何故か美しくて、とても好きなシーンです。
これら、原作にはないオリジナルエピソードによってオスカルの気持ちに勢いがついた、と私は想像しました。
オスカルはアンドレと結ばれたその直ぐ後に、衛兵隊宿舎でこれからの事を坦々と語ります。
原作オスカルが
華やかに、そして溢れる想いを謳うように『これから取るべき道』について語ったのとは正反対に
薄暗い宿舎で静かに、冷静な口調で語りました。
民衆の中には諸君の親や兄弟がいることと思う。
たとえ私が発砲を命じても、君たちは引き金をひかないだろう。
それは当然だと思う。
私の取るべき道を述べる、全く個人的にだ。
私の愛する人、私の信ずる人が民衆と共に戦うというなら私は戦う。
わたしはアンドレグランディエの妻となった。
私は夫の信ずる道をともに歩く妻となりたい。
アンドレと夫婦になったことをここで告げたオスカル。
原作オスカルが衛兵隊員たちに言うセリフ
『女伯爵の称号とあたえられた伯爵領のすべてを捨てよう』
と
アニメオスカルの
『わたしはアンドレグランディエの妻となった』
には同じ価値があると私は思っています。
そして、
『女伯爵の称号とあたえられた伯爵領のすべてを捨てよう』
の説明がなくても
『アンドレグランディエの妻となった』
のセリフと
『名はオスカル・フランソワ、しかし階級と称号はない』
のセリフでオスカルが貴族として持っていた全ての装飾品を既に手放したことが分かります。
『この階級章は、もういらないな』
と、胸から階級章を外す姿はアランと数人の兵士しか見ていないくらい、地味にひっそりと外しています。
階級章を外すオスカル
は、大変印象的なシーンですが
アニメと原作ではシチュエーションがかなり違うのがまたまた興味深いです。
オスカルが、どのタイミングで民衆側に付くことを衛兵隊員達に告げるのか?
で、このシーンの持つ意味が変わってくる、
そして民衆側に付く『きっかけ』はそれより前の様々なオスカルを取り巻く環境によって変わってくるのかもしれないな~
という事を考えていたら
なんだかまどろっこしい長い記事になってしまいました。
いつもそうですが、
着地点にしたかったところに
上手くたどり着けない私のブログ。
次回こそは目標地点に降りてこられるように、再チャレンジします。
(o^^o)
☆☆☆☆
『夫に従う』
『アンドレ、命じてくれ』
のアニメオスカルのセリフは賛否両論ありますが、
アニメを見てから原作を読んだ私にとっては、実はそんなに違和感がないのですよね。
(^^ゞ
リーダーシップバリバリのアクティブな原作オスカルは
アンドレに命じることはあっても
命じられることなどなかったでしょうから
『オスカルに限ってこのセリフはないよ~』
と、なったでしょうね。
ちょっとこの辺は私はマヒしているので
『コレを違和感に思わないワケ』が何なのかを突き止めたいと思っているところです。
たしかに。
思い返すとオスカルがアンドレの命じたことを聞いたのは『水を汲んできた』事くらいしか思い出せない。。。。
むううう。。。。
笑
アニメ本の演出力
ううむ
…
誰か、誰かが唸っています。

ううむ
…

唸っていたのは国王陛下でした。
このフォントのゆがみ具合から
陛下の苦悩が充分にうかがえます。
またまた(まだまだ)
ベルばらアニメ本のフォント、オノマトペが気になっています。
この国王陛下の『ううむ』は、
集英社版のアニメ本です。
中央公論新社版のベルばらアニメ本も持っていますが、集英社版と比較しながら読むと更に面白く感じます
(o^^o)
中央公論新社版はオノマトペのチョイスが特に面白いのですが
集英社版は、そのフォントが独特です。

銃声の『ズダーン』
何て不吉なフォント。
集英社版の効果音には文字の幅が均等ではないこの手のフォントが多く使われています。


この不吉フォント以外のパターンもありますが
表現がちょっと個性的

ドアを開ける音が
『ガチャ』
ではなく
『ガチャリ』
気に入っています。
(o^^o)
そして、またもや編集者によって場面のニュアンスが変わってくるなーという表現がありました。
効果音のチョイス1つで、同じシーンでも印象がだいぶ変わります。
7月13日にオスカル率いる元衛兵隊B中隊がパリの街にやってきます。
地位と身分を棄て
『オスカル・フランソワ』
とだけ名乗るオスカルは階級章をその胸から外します。
とても好きなシーンです。
オスカルが階級章を棄てる、その音。
集英社版は

『ポトッ』
一方中央公論新社版

『カーン』
そして画もとても動きのあるコマをチョイスしています。
上から投げ捨てて地面に跳ね返ったその音が
『カーン』
だったという事が分かります。
このシーンは
階級章を落としてしまった、かのような表現の
『ポトッ』
ではなく
階級章を棄てた
『カーン』
という音をチョイスする方が好みです。
自分の名を『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』
ではなく
『オスカル・フランソワ』と名乗ったこと、
地位や名誉、家柄などは
もはや私にはない
そんなオスカルを表現するような効果音が良い。
なので、この胸に付け続けた階級章が奏でる音は
なるべく空っぽな音(意味の無い、中身の無い)が良い
と、そう思います。
オスカルにとって階級章、すなわち
地位や名誉は無意味なものだ、
という事が音でも表現されているといいなと思うので
やっぱり私は中央公論新社版の
『カーン』
贔屓です(o^^o)
ポトッ
だと、なんだか『落ちちゃった』
的なニュアンスになってしまい、
インパクトのあるシーンなのにもったいなー、
なんて思います。
こんな風に出版社の違う2つのアニメ本を見比べては
『演出のチカラ』
の偉大さを毎回感じています。
洋書や洋画は
翻訳者が違うだけで
そのセリフの持つパワーが変わってくる。
これも演出力だと思います。
ミュージカルもそう。
同じ作品でもカンパニー(演出家)が違うだけで作品の印象が全然違う。
アニメベルサイユのばらも、
長浜監督が全編通して監督をしていたらまた全く違ったストーリーになっていただろうし。
おもしろいけど
責任重大。
因みに、効果音のチョイスを残念呼ばわりしてしまった集英社版のアニメ本ですが、
うれしいおまけがついています。

表紙に声の出演者というページがあり
アニメベルサイユのばらを大きく支えた声優の皆さんのお写真が載っています。
このさり気ない大サービス、
大興奮しました(o^^o)
アニメ本はお気に入りなので、
まだ語りたいことたくさんです。
最後に『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーン。
おお、どうして貴方はロミオなの~?!
という有名なセリフの一連を
3名の翻訳者が訳したものをそれぞれご紹介します。
翻訳者の言葉のチョイスで全く違う印象になるロミジュリ。
これも『翻訳』という作業をするのと同時に
言葉のチョイスによって原作の世界観が色づけされてしまいます。
『翻訳』が所謂『演出』の作業に繋がってゆくのが面白いな、と思いながら見ていました(o^^o)
まずは坪内逍遥訳
(明治時代の翻訳なのでどうしても私達からすると言葉が難しいです(o^^o))
坪内逍遥訳↓
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故なぜ卿おまへはロミオぢゃ! 父御てゝごをも、自身じしんの名なをも棄すてゝしまや。それが否いやならば、せめても予わしの戀人こひゞとぢゃと誓言せいごんして下くだされ。すれば、予わしゃ最早もうカピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞きかうか? すぐ物ものを言いはうか?
ヂュリ 名前なまへだけが予わしの敵かたきぢゃ。モンタギューでなうても立派りっぱな卿おまへ。モンタギューが何なんぢゃ! 手てでも、足あしでも、腕かひなでも、面かほでも無ない、人ひとの身みに附ついた物ものではない。おゝ、何なにか他ほかの名前なまへにしや。名なが何なんぢゃ? 薔薇ばらの花はなは、他ほかの名なで呼よんでも、同おなじやうに善よい香かがする。ロミオとても其通そのとほり、ロミオでなうても、名なは棄すてゝも、其その持前もちまへのいみじい、貴たふとい徳とくは殘のこらう。……ロミオどの、おのが有ものでもない名なを棄すてゝ、其代そのかはりに、予わしの身みをも、心こゝろをも取とって下くだされ。
ロミオ (前へ進みて)おゝ、取とりませう。言葉ことばを其儘そのまゝ。一言ひとこと、戀人こひゞとぢゃと言いうて下くだされ、直すぐにも洗禮せんれいを受うけませう。今日けふからは最早もうロミオで無ない。
これが中野好夫氏の訳になると、ぐっと分かりやすくなります↓
ジュリエット「ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜあなたは、ロミオ様でいらっしゃいますの? お父様と縁を切り、家名をお捨てになって! もしもそれがお嫌なら、せめてわたくしを愛すると、お誓いになって下さいまし。そうすれば、わたくしもこの場限りでキャピュレットの名を捨ててみせますわ」
ロミオ「 黙って、もっと聞いていようか、それとも声を掛けたものか?」
ジュリエット「わたくしにとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でいらっしゃらなくても、あなたはあなたのままよ。モンタギュー ――それが、どうしたというの? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもないわ。ああ、何か他の名前をお付けになって。名前にどんな意味があるというの? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはずよ。ロミオ様だって同じこと。ロミオ様という名前でなくなっても、あの神のごときお姿はそのままでいらっしゃるに決まっているわ。ロミオ様、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、その名前の代わりに、このわたくしのすべてをお受け取りになって頂きたいの」
ロミオ「お言葉通りに頂戴いたしましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、ロミオではなくなります」
そして小田島雄志氏訳だと、よく私達が知っている言い回しになります↓
おお、ロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオ?
お父様と縁を切り、ロミオというお名前をおすてになって。
それがだめなら私を愛すると誓言して、
そうすれば私もキャピュレットの名前をすてます。
同じ作品だけど印象が違って面白い。
(o^^o)
しみじみ☆
…
誰か、誰かが唸っています。

ううむ
…

唸っていたのは国王陛下でした。
このフォントのゆがみ具合から
陛下の苦悩が充分にうかがえます。
またまた(まだまだ)
ベルばらアニメ本のフォント、オノマトペが気になっています。
この国王陛下の『ううむ』は、
集英社版のアニメ本です。
中央公論新社版のベルばらアニメ本も持っていますが、集英社版と比較しながら読むと更に面白く感じます
(o^^o)
中央公論新社版はオノマトペのチョイスが特に面白いのですが
集英社版は、そのフォントが独特です。

銃声の『ズダーン』
何て不吉なフォント。
集英社版の効果音には文字の幅が均等ではないこの手のフォントが多く使われています。


この不吉フォント以外のパターンもありますが
表現がちょっと個性的

ドアを開ける音が
『ガチャ』
ではなく
『ガチャリ』
気に入っています。
(o^^o)
そして、またもや編集者によって場面のニュアンスが変わってくるなーという表現がありました。
効果音のチョイス1つで、同じシーンでも印象がだいぶ変わります。
7月13日にオスカル率いる元衛兵隊B中隊がパリの街にやってきます。
地位と身分を棄て
『オスカル・フランソワ』
とだけ名乗るオスカルは階級章をその胸から外します。
とても好きなシーンです。
オスカルが階級章を棄てる、その音。
集英社版は

『ポトッ』
一方中央公論新社版

『カーン』
そして画もとても動きのあるコマをチョイスしています。
上から投げ捨てて地面に跳ね返ったその音が
『カーン』
だったという事が分かります。
このシーンは
階級章を落としてしまった、かのような表現の
『ポトッ』
ではなく
階級章を棄てた
『カーン』
という音をチョイスする方が好みです。
自分の名を『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』
ではなく
『オスカル・フランソワ』と名乗ったこと、
地位や名誉、家柄などは
もはや私にはない
そんなオスカルを表現するような効果音が良い。
なので、この胸に付け続けた階級章が奏でる音は
なるべく空っぽな音(意味の無い、中身の無い)が良い
と、そう思います。
オスカルにとって階級章、すなわち
地位や名誉は無意味なものだ、
という事が音でも表現されているといいなと思うので
やっぱり私は中央公論新社版の
『カーン』
贔屓です(o^^o)
ポトッ
だと、なんだか『落ちちゃった』
的なニュアンスになってしまい、
インパクトのあるシーンなのにもったいなー、
なんて思います。
こんな風に出版社の違う2つのアニメ本を見比べては
『演出のチカラ』
の偉大さを毎回感じています。
洋書や洋画は
翻訳者が違うだけで
そのセリフの持つパワーが変わってくる。
これも演出力だと思います。
ミュージカルもそう。
同じ作品でもカンパニー(演出家)が違うだけで作品の印象が全然違う。
アニメベルサイユのばらも、
長浜監督が全編通して監督をしていたらまた全く違ったストーリーになっていただろうし。
おもしろいけど
責任重大。
因みに、効果音のチョイスを残念呼ばわりしてしまった集英社版のアニメ本ですが、
うれしいおまけがついています。

表紙に声の出演者というページがあり
アニメベルサイユのばらを大きく支えた声優の皆さんのお写真が載っています。
このさり気ない大サービス、
大興奮しました(o^^o)
アニメ本はお気に入りなので、
まだ語りたいことたくさんです。
最後に『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーン。
おお、どうして貴方はロミオなの~?!
という有名なセリフの一連を
3名の翻訳者が訳したものをそれぞれご紹介します。
翻訳者の言葉のチョイスで全く違う印象になるロミジュリ。
これも『翻訳』という作業をするのと同時に
言葉のチョイスによって原作の世界観が色づけされてしまいます。
『翻訳』が所謂『演出』の作業に繋がってゆくのが面白いな、と思いながら見ていました(o^^o)
まずは坪内逍遥訳
(明治時代の翻訳なのでどうしても私達からすると言葉が難しいです(o^^o))
坪内逍遥訳↓
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故なぜ卿おまへはロミオぢゃ! 父御てゝごをも、自身じしんの名なをも棄すてゝしまや。それが否いやならば、せめても予わしの戀人こひゞとぢゃと誓言せいごんして下くだされ。すれば、予わしゃ最早もうカピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞きかうか? すぐ物ものを言いはうか?
ヂュリ 名前なまへだけが予わしの敵かたきぢゃ。モンタギューでなうても立派りっぱな卿おまへ。モンタギューが何なんぢゃ! 手てでも、足あしでも、腕かひなでも、面かほでも無ない、人ひとの身みに附ついた物ものではない。おゝ、何なにか他ほかの名前なまへにしや。名なが何なんぢゃ? 薔薇ばらの花はなは、他ほかの名なで呼よんでも、同おなじやうに善よい香かがする。ロミオとても其通そのとほり、ロミオでなうても、名なは棄すてゝも、其その持前もちまへのいみじい、貴たふとい徳とくは殘のこらう。……ロミオどの、おのが有ものでもない名なを棄すてゝ、其代そのかはりに、予わしの身みをも、心こゝろをも取とって下くだされ。
ロミオ (前へ進みて)おゝ、取とりませう。言葉ことばを其儘そのまゝ。一言ひとこと、戀人こひゞとぢゃと言いうて下くだされ、直すぐにも洗禮せんれいを受うけませう。今日けふからは最早もうロミオで無ない。
これが中野好夫氏の訳になると、ぐっと分かりやすくなります↓
ジュリエット「ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜあなたは、ロミオ様でいらっしゃいますの? お父様と縁を切り、家名をお捨てになって! もしもそれがお嫌なら、せめてわたくしを愛すると、お誓いになって下さいまし。そうすれば、わたくしもこの場限りでキャピュレットの名を捨ててみせますわ」
ロミオ「 黙って、もっと聞いていようか、それとも声を掛けたものか?」
ジュリエット「わたくしにとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でいらっしゃらなくても、あなたはあなたのままよ。モンタギュー ――それが、どうしたというの? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもないわ。ああ、何か他の名前をお付けになって。名前にどんな意味があるというの? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはずよ。ロミオ様だって同じこと。ロミオ様という名前でなくなっても、あの神のごときお姿はそのままでいらっしゃるに決まっているわ。ロミオ様、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、その名前の代わりに、このわたくしのすべてをお受け取りになって頂きたいの」
ロミオ「お言葉通りに頂戴いたしましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、ロミオではなくなります」
そして小田島雄志氏訳だと、よく私達が知っている言い回しになります↓
おお、ロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオ?
お父様と縁を切り、ロミオというお名前をおすてになって。
それがだめなら私を愛すると誓言して、
そうすれば私もキャピュレットの名前をすてます。
同じ作品だけど印象が違って面白い。
(o^^o)
しみじみ☆