アニメ本の演出力
ううむ
…
誰か、誰かが唸っています。

ううむ
…

唸っていたのは国王陛下でした。
このフォントのゆがみ具合から
陛下の苦悩が充分にうかがえます。
またまた(まだまだ)
ベルばらアニメ本のフォント、オノマトペが気になっています。
この国王陛下の『ううむ』は、
集英社版のアニメ本です。
中央公論新社版のベルばらアニメ本も持っていますが、集英社版と比較しながら読むと更に面白く感じます
(o^^o)
中央公論新社版はオノマトペのチョイスが特に面白いのですが
集英社版は、そのフォントが独特です。

銃声の『ズダーン』
何て不吉なフォント。
集英社版の効果音には文字の幅が均等ではないこの手のフォントが多く使われています。


この不吉フォント以外のパターンもありますが
表現がちょっと個性的

ドアを開ける音が
『ガチャ』
ではなく
『ガチャリ』
気に入っています。
(o^^o)
そして、またもや編集者によって場面のニュアンスが変わってくるなーという表現がありました。
効果音のチョイス1つで、同じシーンでも印象がだいぶ変わります。
7月13日にオスカル率いる元衛兵隊B中隊がパリの街にやってきます。
地位と身分を棄て
『オスカル・フランソワ』
とだけ名乗るオスカルは階級章をその胸から外します。
とても好きなシーンです。
オスカルが階級章を棄てる、その音。
集英社版は

『ポトッ』
一方中央公論新社版

『カーン』
そして画もとても動きのあるコマをチョイスしています。
上から投げ捨てて地面に跳ね返ったその音が
『カーン』
だったという事が分かります。
このシーンは
階級章を落としてしまった、かのような表現の
『ポトッ』
ではなく
階級章を棄てた
『カーン』
という音をチョイスする方が好みです。
自分の名を『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』
ではなく
『オスカル・フランソワ』と名乗ったこと、
地位や名誉、家柄などは
もはや私にはない
そんなオスカルを表現するような効果音が良い。
なので、この胸に付け続けた階級章が奏でる音は
なるべく空っぽな音(意味の無い、中身の無い)が良い
と、そう思います。
オスカルにとって階級章、すなわち
地位や名誉は無意味なものだ、
という事が音でも表現されているといいなと思うので
やっぱり私は中央公論新社版の
『カーン』
贔屓です(o^^o)
ポトッ
だと、なんだか『落ちちゃった』
的なニュアンスになってしまい、
インパクトのあるシーンなのにもったいなー、
なんて思います。
こんな風に出版社の違う2つのアニメ本を見比べては
『演出のチカラ』
の偉大さを毎回感じています。
洋書や洋画は
翻訳者が違うだけで
そのセリフの持つパワーが変わってくる。
これも演出力だと思います。
ミュージカルもそう。
同じ作品でもカンパニー(演出家)が違うだけで作品の印象が全然違う。
アニメベルサイユのばらも、
長浜監督が全編通して監督をしていたらまた全く違ったストーリーになっていただろうし。
おもしろいけど
責任重大。
因みに、効果音のチョイスを残念呼ばわりしてしまった集英社版のアニメ本ですが、
うれしいおまけがついています。

表紙に声の出演者というページがあり
アニメベルサイユのばらを大きく支えた声優の皆さんのお写真が載っています。
このさり気ない大サービス、
大興奮しました(o^^o)
アニメ本はお気に入りなので、
まだ語りたいことたくさんです。
最後に『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーン。
おお、どうして貴方はロミオなの~?!
という有名なセリフの一連を
3名の翻訳者が訳したものをそれぞれご紹介します。
翻訳者の言葉のチョイスで全く違う印象になるロミジュリ。
これも『翻訳』という作業をするのと同時に
言葉のチョイスによって原作の世界観が色づけされてしまいます。
『翻訳』が所謂『演出』の作業に繋がってゆくのが面白いな、と思いながら見ていました(o^^o)
まずは坪内逍遥訳
(明治時代の翻訳なのでどうしても私達からすると言葉が難しいです(o^^o))
坪内逍遥訳↓
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故なぜ卿おまへはロミオぢゃ! 父御てゝごをも、自身じしんの名なをも棄すてゝしまや。それが否いやならば、せめても予わしの戀人こひゞとぢゃと誓言せいごんして下くだされ。すれば、予わしゃ最早もうカピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞きかうか? すぐ物ものを言いはうか?
ヂュリ 名前なまへだけが予わしの敵かたきぢゃ。モンタギューでなうても立派りっぱな卿おまへ。モンタギューが何なんぢゃ! 手てでも、足あしでも、腕かひなでも、面かほでも無ない、人ひとの身みに附ついた物ものではない。おゝ、何なにか他ほかの名前なまへにしや。名なが何なんぢゃ? 薔薇ばらの花はなは、他ほかの名なで呼よんでも、同おなじやうに善よい香かがする。ロミオとても其通そのとほり、ロミオでなうても、名なは棄すてゝも、其その持前もちまへのいみじい、貴たふとい徳とくは殘のこらう。……ロミオどの、おのが有ものでもない名なを棄すてゝ、其代そのかはりに、予わしの身みをも、心こゝろをも取とって下くだされ。
ロミオ (前へ進みて)おゝ、取とりませう。言葉ことばを其儘そのまゝ。一言ひとこと、戀人こひゞとぢゃと言いうて下くだされ、直すぐにも洗禮せんれいを受うけませう。今日けふからは最早もうロミオで無ない。
これが中野好夫氏の訳になると、ぐっと分かりやすくなります↓
ジュリエット「ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜあなたは、ロミオ様でいらっしゃいますの? お父様と縁を切り、家名をお捨てになって! もしもそれがお嫌なら、せめてわたくしを愛すると、お誓いになって下さいまし。そうすれば、わたくしもこの場限りでキャピュレットの名を捨ててみせますわ」
ロミオ「 黙って、もっと聞いていようか、それとも声を掛けたものか?」
ジュリエット「わたくしにとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でいらっしゃらなくても、あなたはあなたのままよ。モンタギュー ――それが、どうしたというの? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもないわ。ああ、何か他の名前をお付けになって。名前にどんな意味があるというの? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはずよ。ロミオ様だって同じこと。ロミオ様という名前でなくなっても、あの神のごときお姿はそのままでいらっしゃるに決まっているわ。ロミオ様、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、その名前の代わりに、このわたくしのすべてをお受け取りになって頂きたいの」
ロミオ「お言葉通りに頂戴いたしましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、ロミオではなくなります」
そして小田島雄志氏訳だと、よく私達が知っている言い回しになります↓
おお、ロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオ?
お父様と縁を切り、ロミオというお名前をおすてになって。
それがだめなら私を愛すると誓言して、
そうすれば私もキャピュレットの名前をすてます。
同じ作品だけど印象が違って面白い。
(o^^o)
しみじみ☆
…
誰か、誰かが唸っています。

ううむ
…

唸っていたのは国王陛下でした。
このフォントのゆがみ具合から
陛下の苦悩が充分にうかがえます。
またまた(まだまだ)
ベルばらアニメ本のフォント、オノマトペが気になっています。
この国王陛下の『ううむ』は、
集英社版のアニメ本です。
中央公論新社版のベルばらアニメ本も持っていますが、集英社版と比較しながら読むと更に面白く感じます
(o^^o)
中央公論新社版はオノマトペのチョイスが特に面白いのですが
集英社版は、そのフォントが独特です。

銃声の『ズダーン』
何て不吉なフォント。
集英社版の効果音には文字の幅が均等ではないこの手のフォントが多く使われています。


この不吉フォント以外のパターンもありますが
表現がちょっと個性的

ドアを開ける音が
『ガチャ』
ではなく
『ガチャリ』
気に入っています。
(o^^o)
そして、またもや編集者によって場面のニュアンスが変わってくるなーという表現がありました。
効果音のチョイス1つで、同じシーンでも印象がだいぶ変わります。
7月13日にオスカル率いる元衛兵隊B中隊がパリの街にやってきます。
地位と身分を棄て
『オスカル・フランソワ』
とだけ名乗るオスカルは階級章をその胸から外します。
とても好きなシーンです。
オスカルが階級章を棄てる、その音。
集英社版は

『ポトッ』
一方中央公論新社版

『カーン』
そして画もとても動きのあるコマをチョイスしています。
上から投げ捨てて地面に跳ね返ったその音が
『カーン』
だったという事が分かります。
このシーンは
階級章を落としてしまった、かのような表現の
『ポトッ』
ではなく
階級章を棄てた
『カーン』
という音をチョイスする方が好みです。
自分の名を『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』
ではなく
『オスカル・フランソワ』と名乗ったこと、
地位や名誉、家柄などは
もはや私にはない
そんなオスカルを表現するような効果音が良い。
なので、この胸に付け続けた階級章が奏でる音は
なるべく空っぽな音(意味の無い、中身の無い)が良い
と、そう思います。
オスカルにとって階級章、すなわち
地位や名誉は無意味なものだ、
という事が音でも表現されているといいなと思うので
やっぱり私は中央公論新社版の
『カーン』
贔屓です(o^^o)
ポトッ
だと、なんだか『落ちちゃった』
的なニュアンスになってしまい、
インパクトのあるシーンなのにもったいなー、
なんて思います。
こんな風に出版社の違う2つのアニメ本を見比べては
『演出のチカラ』
の偉大さを毎回感じています。
洋書や洋画は
翻訳者が違うだけで
そのセリフの持つパワーが変わってくる。
これも演出力だと思います。
ミュージカルもそう。
同じ作品でもカンパニー(演出家)が違うだけで作品の印象が全然違う。
アニメベルサイユのばらも、
長浜監督が全編通して監督をしていたらまた全く違ったストーリーになっていただろうし。
おもしろいけど
責任重大。
因みに、効果音のチョイスを残念呼ばわりしてしまった集英社版のアニメ本ですが、
うれしいおまけがついています。

表紙に声の出演者というページがあり
アニメベルサイユのばらを大きく支えた声優の皆さんのお写真が載っています。
このさり気ない大サービス、
大興奮しました(o^^o)
アニメ本はお気に入りなので、
まだ語りたいことたくさんです。
最後に『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーン。
おお、どうして貴方はロミオなの~?!
という有名なセリフの一連を
3名の翻訳者が訳したものをそれぞれご紹介します。
翻訳者の言葉のチョイスで全く違う印象になるロミジュリ。
これも『翻訳』という作業をするのと同時に
言葉のチョイスによって原作の世界観が色づけされてしまいます。
『翻訳』が所謂『演出』の作業に繋がってゆくのが面白いな、と思いながら見ていました(o^^o)
まずは坪内逍遥訳
(明治時代の翻訳なのでどうしても私達からすると言葉が難しいです(o^^o))
坪内逍遥訳↓
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故なぜ卿おまへはロミオぢゃ! 父御てゝごをも、自身じしんの名なをも棄すてゝしまや。それが否いやならば、せめても予わしの戀人こひゞとぢゃと誓言せいごんして下くだされ。すれば、予わしゃ最早もうカピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞きかうか? すぐ物ものを言いはうか?
ヂュリ 名前なまへだけが予わしの敵かたきぢゃ。モンタギューでなうても立派りっぱな卿おまへ。モンタギューが何なんぢゃ! 手てでも、足あしでも、腕かひなでも、面かほでも無ない、人ひとの身みに附ついた物ものではない。おゝ、何なにか他ほかの名前なまへにしや。名なが何なんぢゃ? 薔薇ばらの花はなは、他ほかの名なで呼よんでも、同おなじやうに善よい香かがする。ロミオとても其通そのとほり、ロミオでなうても、名なは棄すてゝも、其その持前もちまへのいみじい、貴たふとい徳とくは殘のこらう。……ロミオどの、おのが有ものでもない名なを棄すてゝ、其代そのかはりに、予わしの身みをも、心こゝろをも取とって下くだされ。
ロミオ (前へ進みて)おゝ、取とりませう。言葉ことばを其儘そのまゝ。一言ひとこと、戀人こひゞとぢゃと言いうて下くだされ、直すぐにも洗禮せんれいを受うけませう。今日けふからは最早もうロミオで無ない。
これが中野好夫氏の訳になると、ぐっと分かりやすくなります↓
ジュリエット「ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜあなたは、ロミオ様でいらっしゃいますの? お父様と縁を切り、家名をお捨てになって! もしもそれがお嫌なら、せめてわたくしを愛すると、お誓いになって下さいまし。そうすれば、わたくしもこの場限りでキャピュレットの名を捨ててみせますわ」
ロミオ「 黙って、もっと聞いていようか、それとも声を掛けたものか?」
ジュリエット「わたくしにとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でいらっしゃらなくても、あなたはあなたのままよ。モンタギュー ――それが、どうしたというの? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもないわ。ああ、何か他の名前をお付けになって。名前にどんな意味があるというの? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはずよ。ロミオ様だって同じこと。ロミオ様という名前でなくなっても、あの神のごときお姿はそのままでいらっしゃるに決まっているわ。ロミオ様、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、その名前の代わりに、このわたくしのすべてをお受け取りになって頂きたいの」
ロミオ「お言葉通りに頂戴いたしましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、ロミオではなくなります」
そして小田島雄志氏訳だと、よく私達が知っている言い回しになります↓
おお、ロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオ?
お父様と縁を切り、ロミオというお名前をおすてになって。
それがだめなら私を愛すると誓言して、
そうすれば私もキャピュレットの名前をすてます。
同じ作品だけど印象が違って面白い。
(o^^o)
しみじみ☆