サブキャラに命を吹き込む
アニメのベルばら。
原作では名前しか出てこないようなサブキャラに、命が吹き込まれている。
しかし、どれもコレも原作あってのこと。
そもそもの原作がなければサブキャラに命を吹き込むなんてこと、なかなか難しい。
でも、見事に命が吹き込まれ、すばらしいエピソードが描かれている。
ざっと思い出すだけでも


★ラソンヌ先生(原作にはいない、ジャルジェ家の主治医)
ちなみに初登場はオスカルが落馬した王妃を助けた回。
先生、この時少し若い。笑

その後はアンドレの左目を診るためにも往診している。

★アルマン(オスカルの肖像画を書いた画家。原作ではムッシュウと呼ばれていたが、風貌も性格も別人として描かれている。)

★ド・ギーシュ公爵(原作では名前のみの出演。アニメのキモさ、ハンパい。私、お気に入り。笑)

★ダグー大佐(原作では本当にサブキャラ。アニメでの粋な計らいと、奥さんの事を語りながらオスカルを気遣うエピソードで、紳士的なキャラとして登場)

★ニコルドオリバ(ニセ王妃を演じるためにジャンヌが連れてきた娼婦。アニメでは目の見えない設定になっている)
本当に、原作あってこそのキャラたちなのだけれど、それぞれが少しだけ見せるそれぞれの表情や言葉や事情。
それがあるかないかで、主軸のキャラたちの心境や状況に深みが出てくる。
キャラ演出の事で言うと、
ガラスの仮面で
マヤたちが凍てつく寒さを経験するために業務用冷凍庫に閉じこめられたり、
人形役をするために竹の強制器具を手足胴体にグルグル巻きにされてたり、
ヘレンケラーになりきるために目隠しをして、耳栓して、手づかみでもの食べてて、とんでもないことになっていたりする。
それも役者としての役作りのためには大切な事の一つなのだそうだけれど、
私の大好きな舞台演出家が言ったことがとても印象に残っている。
『役作りをする上で、その役の人柄に深みを持たせるには、そのキャラクターならば、きっとこんなエピソードがあるだろう。という脚本には書かれていない物語を考えてみること。そのアナザストーリーを自ら考えることで、演じる役自信が色々な経験を積み、脚本に書かれているそのワンシーンにも命が吹き込まれ、本物になる』と。
確かそんな風なことを言っていた。
(もう10年も前のことなので、うろ覚えですが~。)
聞いたときも
『ほーー!!!なるほど。』
と、感心したけど、こうやってベルばらのブログ書くようになってから、ベルばらのアナザーストーリーを書いている方のブログも読むようになり、改めてこの演出家の言っている意味が分かったような気がする。
まず、そもそも、描かれているオリジナルのキャラクターに魅力や個性がなければアナザーストーリーなんぞ思いつかない。
やっぱり、原作のキャラクターたちがすばらしいのだな!
という結論にはなるのだけれど。
原作にいないキャラクターがアニメで登場するのも、
こういうキャラの、こういうエピソードを盛り込んだ方が物語り全体に深みが増すのではないか
という、演出の1つなのではないのかしら。
そしてアニメではオルレアン公が結構悪代官ポジションで出演していたり、サンジュストがすごく面倒くさいタイプの過激な思想の持ち主で登場したり、アル意味大活躍。
実際のサンジュストって、死へのあこがれを持っているちょっと危険なタイプの人物だったようなので、もしかしたらアニメのほうが実際の性格には近いのかもしれない。
著書のオルガンも、下品で過激な内容だったのだそう。
サンジュストに思い入れがあったのかな。。。
彼はベルナールとロベスピエールと共に、ジャンヌの裁判あたりから登場し、原作よりも早めに活躍し出す。
ふう。
この文章もイントロダクションだけで終わってしまいそう。
『これについてはまた今度』
と、思っていて、大概忘れてそのまま書かない私のことなので、あまり期待出来ないけれど。
またゆっくり書こう!
覚えていれば!
笑
それにしても、
オールカラー版のアニメのベルばら本、とっても便利。
あのとき購入してよかったー!
と改めて実感。
原作では名前しか出てこないようなサブキャラに、命が吹き込まれている。
しかし、どれもコレも原作あってのこと。
そもそもの原作がなければサブキャラに命を吹き込むなんてこと、なかなか難しい。
でも、見事に命が吹き込まれ、すばらしいエピソードが描かれている。
ざっと思い出すだけでも


★ラソンヌ先生(原作にはいない、ジャルジェ家の主治医)
ちなみに初登場はオスカルが落馬した王妃を助けた回。
先生、この時少し若い。笑

その後はアンドレの左目を診るためにも往診している。

★アルマン(オスカルの肖像画を書いた画家。原作ではムッシュウと呼ばれていたが、風貌も性格も別人として描かれている。)

★ド・ギーシュ公爵(原作では名前のみの出演。アニメのキモさ、ハンパい。私、お気に入り。笑)

★ダグー大佐(原作では本当にサブキャラ。アニメでの粋な計らいと、奥さんの事を語りながらオスカルを気遣うエピソードで、紳士的なキャラとして登場)

★ニコルドオリバ(ニセ王妃を演じるためにジャンヌが連れてきた娼婦。アニメでは目の見えない設定になっている)
本当に、原作あってこそのキャラたちなのだけれど、それぞれが少しだけ見せるそれぞれの表情や言葉や事情。
それがあるかないかで、主軸のキャラたちの心境や状況に深みが出てくる。
キャラ演出の事で言うと、
ガラスの仮面で
マヤたちが凍てつく寒さを経験するために業務用冷凍庫に閉じこめられたり、
人形役をするために竹の強制器具を手足胴体にグルグル巻きにされてたり、
ヘレンケラーになりきるために目隠しをして、耳栓して、手づかみでもの食べてて、とんでもないことになっていたりする。
それも役者としての役作りのためには大切な事の一つなのだそうだけれど、
私の大好きな舞台演出家が言ったことがとても印象に残っている。
『役作りをする上で、その役の人柄に深みを持たせるには、そのキャラクターならば、きっとこんなエピソードがあるだろう。という脚本には書かれていない物語を考えてみること。そのアナザストーリーを自ら考えることで、演じる役自信が色々な経験を積み、脚本に書かれているそのワンシーンにも命が吹き込まれ、本物になる』と。
確かそんな風なことを言っていた。
(もう10年も前のことなので、うろ覚えですが~。)
聞いたときも
『ほーー!!!なるほど。』
と、感心したけど、こうやってベルばらのブログ書くようになってから、ベルばらのアナザーストーリーを書いている方のブログも読むようになり、改めてこの演出家の言っている意味が分かったような気がする。
まず、そもそも、描かれているオリジナルのキャラクターに魅力や個性がなければアナザーストーリーなんぞ思いつかない。
やっぱり、原作のキャラクターたちがすばらしいのだな!
という結論にはなるのだけれど。
原作にいないキャラクターがアニメで登場するのも、
こういうキャラの、こういうエピソードを盛り込んだ方が物語り全体に深みが増すのではないか
という、演出の1つなのではないのかしら。
そしてアニメではオルレアン公が結構悪代官ポジションで出演していたり、サンジュストがすごく面倒くさいタイプの過激な思想の持ち主で登場したり、アル意味大活躍。
実際のサンジュストって、死へのあこがれを持っているちょっと危険なタイプの人物だったようなので、もしかしたらアニメのほうが実際の性格には近いのかもしれない。
著書のオルガンも、下品で過激な内容だったのだそう。
サンジュストに思い入れがあったのかな。。。
彼はベルナールとロベスピエールと共に、ジャンヌの裁判あたりから登場し、原作よりも早めに活躍し出す。
ふう。
この文章もイントロダクションだけで終わってしまいそう。
『これについてはまた今度』
と、思っていて、大概忘れてそのまま書かない私のことなので、あまり期待出来ないけれど。
またゆっくり書こう!
覚えていれば!
笑
それにしても、
オールカラー版のアニメのベルばら本、とっても便利。
あのとき購入してよかったー!
と改めて実感。
ばあやっこオスカル
大好きなばあや。
メインキャラマリーアントワネットのことよりも、ばあやのことをかいてしまう。
めがねのまるいおばあちゃんだった、自分の祖母ににているからかも。
ひとつ、読み返しをして気が付いたことがありました。
と、いうか自然に読んでたからわたし全然気が付かなかったけど、ばあやが倒れてからオスカルってお家にいる時間はばあやのお部屋で過ごしていたのかも。
と、いうこと。

ばあやが倒れて間もなく、オスカルは肖像画を描かせるために画家を呼ぶ。
とても陽気な画家のおじちゃん。
アニメ版の画家はオスカルの体調が悪いことを察しており、『急がないと』と、言っている。
しかも、アニメ版の画家は陽気な性格ではなく、誠実な印象。
絵のモデルであるオスカルがだいぶ疲れていることを察すると、
『今日はこの辺で、、、』と、切り上げようとする。
オスカルは大丈夫だ、というけれど、
『わたしのほうも(疲れてしまった)』
と、オスカルが気を使わないように気遣う事のできる人。
原作の画家も、オスカルの顔色が良くないことを指摘するが

お嬢様にケチをつけるなんてーー!!!!
ムキー!
と、このありさま笑
喧嘩してる。笑
そう、オスカルは、ばあやの部屋で絵を描いてもらっている。

その他、ばあやのお部屋で読書するオスカル。
強いお酒を飲んでばかりのオスカルを心配してプリプリ怒った直後に倒れたばあや。
オスカル、そんなこともあってワインを飲み干したあとのおかわりをするのをやめている。
ばあやもそれに気が付き、
しなくても良い苦労をしているお嬢様が可哀想だと泣いている。
ばあやはオスカルが疲れとストレスを紛らわすためにお酒を飲み過ぎていたことをちゃんと理解している。


いつも心配性なばあやだけれど、
この心配が、オスカルへの最後の言葉になってしまった。
オスカルの、ばあやへの感謝の言葉。
『愛しているよばあや
いつまでも かぎりなく』
そして、もう一度パリから戻ってその言葉を聞かせて欲しいというばあやのお願いに『うんうん』
と、いつものように答えるオスカル。
『ばあやは心配性だね、大丈夫だよ、心配しなくても』
というようなオスカル。
ばあやに優しくお布団をかけてあげる。
でも、オスカルはそんなばあやとの約束を果たすことはできなかった。
ばあやが倒れた後に度々ばあやの部屋を訪れて、そこでのんびりしてるオスカルががわいい。
パパの部屋では絶対にやんないだろーな。
ふたりの関係が近いことを台詞なしに、状況だけでみせているシーン。
池田理代子の方も、
なんの説明もなしにオスカルをばあやの部屋にあそびに行かせている感じがいい。
『ばあやの様子を見てくる』
とか、オスカルに言わせることも、
ばあやが倒れた後、オスカルは度々はあやの部屋を訪れたのであった
とかナレーション入れることもない。
私が作家ならそーゆー説明的な余計な一言入れちゃうかもー!センスナイー笑!
その状況と、オスカルとばあやが自然すぎて全然気が付かなかった。
で、気が付いたときに
『オスカルめっちやばあやんとこ行ってるしー!!!かわいいー!』
ってなる。
私そうなった。笑
あんなに大きな油絵だもの、オスカルの顔の部分を描くだけでも画家は結構の回数ジャルジェ家を訪れているよね。
きっとそのたびばあやの部屋に行ってたのではないかな。
画家がばあやに花を持って訪ねてくるシーンがあったけれど、描かれていないシーンとして画家とばあやのメオト漫才的なやりとりがきっと沢山あったのだろうなー。
えっ?!
ムッシュウ、ばあやのこと好きなの???!
と、思ったけれど最近なんとなく納得。
オスカルきっかけで結構しゃべったりする機会があったわけね。
ばあやとオスカルがこんなに仲良しなのも、ばあやがアンドレのおばあちゃんだった、と言うことも関係しているよね。
アンドレと同じ年頃のジャルジェ家の末娘オスカル。
アンドレと一緒になってばあやに甘えていた事もたくさんあっただろうし、
子供の頃はアンドレがおばあちゃんの部屋に行くのに当たり前にくっついて行っていただろうから、
大人になってからもその延長線で遊びに行っていたのかな。
ジャルジェ家の人々は使用人と、雇い人の貴族という枠を越えて、まるで家族のように彼らを大切にしていたのかもしれない。
男の子が欲しくて欲しくてたまらなかったジャルジェパパ。
きっと、アンドレのことはオスカルと一緒に可愛がり、色々と面倒を見ていただろう。
だから、ばあやをいたわるのはオスカルにとっては当たり前の行為なのだな。
じーん。
メインキャラマリーアントワネットのことよりも、ばあやのことをかいてしまう。
めがねのまるいおばあちゃんだった、自分の祖母ににているからかも。
ひとつ、読み返しをして気が付いたことがありました。
と、いうか自然に読んでたからわたし全然気が付かなかったけど、ばあやが倒れてからオスカルってお家にいる時間はばあやのお部屋で過ごしていたのかも。
と、いうこと。

ばあやが倒れて間もなく、オスカルは肖像画を描かせるために画家を呼ぶ。
とても陽気な画家のおじちゃん。
アニメ版の画家はオスカルの体調が悪いことを察しており、『急がないと』と、言っている。
しかも、アニメ版の画家は陽気な性格ではなく、誠実な印象。
絵のモデルであるオスカルがだいぶ疲れていることを察すると、
『今日はこの辺で、、、』と、切り上げようとする。
オスカルは大丈夫だ、というけれど、
『わたしのほうも(疲れてしまった)』
と、オスカルが気を使わないように気遣う事のできる人。
原作の画家も、オスカルの顔色が良くないことを指摘するが

お嬢様にケチをつけるなんてーー!!!!
ムキー!
と、このありさま笑
喧嘩してる。笑
そう、オスカルは、ばあやの部屋で絵を描いてもらっている。

その他、ばあやのお部屋で読書するオスカル。
強いお酒を飲んでばかりのオスカルを心配してプリプリ怒った直後に倒れたばあや。
オスカル、そんなこともあってワインを飲み干したあとのおかわりをするのをやめている。
ばあやもそれに気が付き、
しなくても良い苦労をしているお嬢様が可哀想だと泣いている。
ばあやはオスカルが疲れとストレスを紛らわすためにお酒を飲み過ぎていたことをちゃんと理解している。


いつも心配性なばあやだけれど、
この心配が、オスカルへの最後の言葉になってしまった。
オスカルの、ばあやへの感謝の言葉。
『愛しているよばあや
いつまでも かぎりなく』
そして、もう一度パリから戻ってその言葉を聞かせて欲しいというばあやのお願いに『うんうん』
と、いつものように答えるオスカル。
『ばあやは心配性だね、大丈夫だよ、心配しなくても』
というようなオスカル。
ばあやに優しくお布団をかけてあげる。
でも、オスカルはそんなばあやとの約束を果たすことはできなかった。
ばあやが倒れた後に度々ばあやの部屋を訪れて、そこでのんびりしてるオスカルががわいい。
パパの部屋では絶対にやんないだろーな。
ふたりの関係が近いことを台詞なしに、状況だけでみせているシーン。
池田理代子の方も、
なんの説明もなしにオスカルをばあやの部屋にあそびに行かせている感じがいい。
『ばあやの様子を見てくる』
とか、オスカルに言わせることも、
ばあやが倒れた後、オスカルは度々はあやの部屋を訪れたのであった
とかナレーション入れることもない。
私が作家ならそーゆー説明的な余計な一言入れちゃうかもー!センスナイー笑!
その状況と、オスカルとばあやが自然すぎて全然気が付かなかった。
で、気が付いたときに
『オスカルめっちやばあやんとこ行ってるしー!!!かわいいー!』
ってなる。
私そうなった。笑
あんなに大きな油絵だもの、オスカルの顔の部分を描くだけでも画家は結構の回数ジャルジェ家を訪れているよね。
きっとそのたびばあやの部屋に行ってたのではないかな。
画家がばあやに花を持って訪ねてくるシーンがあったけれど、描かれていないシーンとして画家とばあやのメオト漫才的なやりとりがきっと沢山あったのだろうなー。
えっ?!
ムッシュウ、ばあやのこと好きなの???!
と、思ったけれど最近なんとなく納得。
オスカルきっかけで結構しゃべったりする機会があったわけね。
ばあやとオスカルがこんなに仲良しなのも、ばあやがアンドレのおばあちゃんだった、と言うことも関係しているよね。
アンドレと同じ年頃のジャルジェ家の末娘オスカル。
アンドレと一緒になってばあやに甘えていた事もたくさんあっただろうし、
子供の頃はアンドレがおばあちゃんの部屋に行くのに当たり前にくっついて行っていただろうから、
大人になってからもその延長線で遊びに行っていたのかな。
ジャルジェ家の人々は使用人と、雇い人の貴族という枠を越えて、まるで家族のように彼らを大切にしていたのかもしれない。
男の子が欲しくて欲しくてたまらなかったジャルジェパパ。
きっと、アンドレのことはオスカルと一緒に可愛がり、色々と面倒を見ていただろう。
だから、ばあやをいたわるのはオスカルにとっては当たり前の行為なのだな。
じーん。
