先日、母の三回忌法要を無事に終えました。
2021年の夏に急激に体重が落ち、父も私ももしかすると寝たきりになってしまうのかなと覚悟はしていましたが、そんな自分の姿を家族に見せたくなかったのか、ある朝突然に、たった一人でひっそりと旅立ってしまいました。
母が亡くなる5ヶ月前に、母の大好きな大阪の実兄(私からすると伯父)も同じように療養中、突然に亡くなり、その影響もあったように感じています。
何より、父のショックが大きく、一人にしておける状態ではなかったので、そこから私の二拠点生活が始まり、時には犬たちを車に乗せ、旦那さんとフェリーで北海道に来たこともありました。
伯父の法要に母の法要、父のケアと旦那さんや犬たちとの生活…関東の自宅×北海道の実家×大阪への移動を繰り返す2年間。
この春までは私も仕事をしていたのでまぁまぁハードな生活に、良性発作性頭位めまい症になったり、めめも進行してしまったり。
そんな中、父は安定剤がないと眠れなくなったり、前立腺肥大のオペ後に前立腺癌が見つかったりと、こうやって綴ってみると結構エグい 笑
母の一周忌法要が終わる頃から、父の施設入所の話が本格的になり、昨年の12月に父は施設に転居。
この引っ越しももちろん私が全て仕切らなければだったので、コロナやインフルをいただかないように、とにかく気を付けていたことを思い出します。
そして、施設のクーリングオフ期間終了の2月頭から実家売却に向けた内覧がスタート。
ランニングコストは発生するけれど、少しでも長く実家で過ごせるよう、秋くらいに決まるといいなぁ…なんて思っていたら、初内覧で申し込みがあり、あっという間に決まってしまいました。
そこから実家で一人、動産整理の日々。
写真や動画に収めながら、母との思い出の品々とさよならすることはなかなかしんどく、旦那さんにビデオ通話で泣きついたこともありました(半世紀生きてますが😅)。
でも、あのまま腰の悪い父が実家で一人、生活していたら、きっと鬱になると思いました。
住み慣れた街や友人たちから離れて関東に来ることは父も嫌だとハッキリ言っていて、何なら施設も自分であちこち見学に行き、母が元気だった頃に二人で入居を考えていた所に最終的に決めたのも父です。
施設といっても、どちらかと言うと元気な高齢者が集う自由度の高い場所なので、最近の父は本当に明るくなったと感じています。
実家の引き渡しは月末。
それまで私は一人、実家に残り、毎日父とランチをしたり、実家の片付けをしたり。
自由に過ごすことを勧めてくれた旦那さんには感謝しかありません。
なんとなく、老人ホームの生活にすっかり慣れた父の居室から帰って来て、私だけが過去にしがみついているのかもなと、ふと感じました。
本当は実家売却が無事に完了してから綴ろうかと思っていたのですが、最後の実家ライフをここに残したいと気持ちの方向転換。
まだまだ綴りたいことは山のようにあるけれど、今夜はこの辺りで終わりたいと思います。
いいね!が押しづらい内容かもしれませんが、父も母もそれぞれに頑張りました(頑張っています)。
お疲れ様!頑張ったね!お父さん、これからもお元気で!などなど 笑、いろんな気持ちを込めて、いいね!していただけるときっと母も喜びます。
母は病気でとても辛い思いをしたし、家族でたくさん衝突もしたけれど
産んでくれてありがとう
生まれて来てくれてありがとう
としっかり伝えられたのは、母や私の病気があったからなのかもしれません。
時間は有限、明日が必ずあるとは限らない。
だからこそ、今この瞬間を大切に。
この記事に辿り着いたみなさんも、是非、大切な人に言葉で想いを伝えて差し上げてくださいね。
「こんなにお花がたくさんの祭壇は久し振りに見ました」と斎場の女性に言っていただいたお花盛り盛りのお母様。
またゆっくりと綴っていきます。
長文をお読みくださりありがとうございました。