むかしのはなし -61ページ目

池亭と方丈

鴨長明が方丈記を書く際に手本にしたとされる慶滋保胤の「池亭記」。

平安中期に書かれたもので、方丈記と同じく隠棲文学と呼ばれるものだ。

読んでみると確かに方丈記と似ている。
世の流れや京の現況に始まり、
自分の状況説明やタイトルになる住居の話になる構成は
完全に方丈記と一致する。

ただ決定的に違うのはその住居の規模である。
長明がわずか方丈(約3m四方)の住いしか得られなかったのに対し、
保胤の池亭は貧しいながらも広大で、
敷地内に名前の通り美しい池を持ち
様々な樹木や小山、さらには書庫までも設置してある。

長明もおそらくはこのような庭園に住みたいと願っていただろうが
現実はご存知の通りである。

侘び住まいの良さもあるのだろうが、
彼の「みじかき」運に同情せざるを得ないところもある。

臥薪嘗胆

中国は春秋時代の故事。

呉と越という二国の戦いにおいて生まれた言葉。
臥薪は薪の上に寝るという意味で
嘗胆は胆を舐めるという意味である。

紀元前496年に呉と越の間に戦いがあり
敗北した呉王は敗走中に受けた傷が元で死んでしまう。

死の際に呉王は息子の夫差(ふさ)を呼んでこう言った。
「越王が父を殺した事を忘れるなよ」
夫差は越王への復讐を誓い、王座に付いた。

夫差は宮殿に立たせた番兵に父の言葉を覚えさせ
自分が宮殿に出入りする度に、その言葉を投げかける事を命じた。

さらに寝所に薪を並べ、その上で寝起きするという生活を続けた。
これが「臥薪」で
毎晩横になる度に、その痛みから復讐心を思い出すという意図から生まれたものだ。

その執念が実り、3年後に夫差は越に勝利する。
しかし国宝や美女を差し出され気分を良くした夫差は
越王を殺さずに許してしまう。

越王勾践(こうせん)は命を許されたものの、呉の属国と成り果て
勾践自身も夫差に奴隷のように使われた。

勾践は夫差に忠実に仕え、やがて夫差の信頼を得るに至るが
内心では呉への復讐に燃えていた。

勾践の寝所には動物(熊らしい)の胆が吊り下げられ
勾践は毎晩その胆を舐めてから眠りについた。
その苦味が敗戦の悔しさを連想させ、復讐心を忘れないというシステムであり
「嘗胆」がこれである。

越への警戒を解いた夫差は、中国の覇権を得るべく
他国との戦争と外交に集中し始める。
越はそれを支援すると見せかけて、秘密裏に戦力を高めていた。

そして紀元前482年
越王勾践は約10年間に及ぶ服属を突然解消し、呉へ攻撃を仕掛けた。

警戒を怠っていた呉王夫差はあっという間に敗北し、囚われの身となった。
勾践は、復讐を忘れなかった自らの10年を教訓にし、夫差を処刑した。


この「臥薪嘗胆」という言葉が表すのは復讐心の強さというよりも
そうまでしないと人の怒りは醒めてしまうという事だろう。

ちなみに夫差の臣下に伍子胥(ごししょ)という男がいた。
彼は楚という国の名家であったが、楚の平王に父と兄を殺され単身で呉に亡命し
他国出身でありながら宰相にまで出世し、やがて楚の都を攻め落とす。

復讐を果たすまでに16年かかり、その間に平王は病死していたが
墓を暴き、死体を鞭で300回打ったという。
これは「死体に鞭打つ」という言葉の元になった。

彼はまさに中国を代表する復讐鬼であり
薪に寝るだとか胆を嘗めるだとか回りくどい事もせず
16年間も復讐心を忘れなかったという執念の持ち主である。

「臥薪嘗胆」という言葉は、その彼のエピソードと比較されることが多く
その為、説得力に欠ける言葉になってしまっている。

方丈記/鴨長明

鎌倉時代初期の随筆。



本作の内容は大きく二つに分けられ、


前半は平安時代末期に起きた四大災害(火災、竜巻、飢饉、地震)の記録、


後半は半生の回顧と、山中での隠遁生活が述べられる。




災害に対する人間の無力さや、


父の死をきっかけに出世への道を閉ざされた自分の人生など


全編を通して無常観が見られ、暗い雰囲気で語られる作品だが


終の住居となる方丈(約3m四方の庵)についての解説や


自然の中での自由な暮らしに関する記述は、


生き生きとしていて、どこか自慢気でもある。



文末では、自由を満喫する自分の心情に対しても、


信仰に反すると批判しつつ唐突に完結する。




諸行無常のムードが全編に漂っていて、うっとうしい作品ではあるが


隠遁生活のくだりは、長明の楽しそうな暮らしが想像できて、とても面白い。



方丈記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)/著者不明

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