晋の文公
春秋時代の名君。
この人の人生に興味を引かれたのがきっかけで春秋時代を好きになった。
春秋時代は周という落ち目の王朝を
臣下の国々が支えるという状態で成り立っていて、
周の後見として他国を従える「覇者」というポジションを争う時代だった。
雑に例えると日本の戦国時代に若干似ていて、
覇者=征夷大将軍と考えるとわかりやすい。
400年弱に及ぶこの時代の中で特に偉大な二人の覇者を斉桓晋文と呼ぶ。
その一人が晋文、つまり晋の文公である。
彼が生まれた頃の晋は他国を従える程の力は無く、
そして文公は晋の太子ですら無かった。
単なる中級国の次男(さらに下かも知れない)というのが
後の覇者、文公の幼少時の境遇だった。
文公は本名を重耳といい、
兄の申生、弟の夷吾と共に才能ある公子として期待されていた。
しかし父の献公は愚かな人物で、
寵愛する驪姫の息子である奚斉を跡継ぎにしようとする。
自分の息子を跡継ぎにしようと企む驪姫の策略によって
長男の太子申生は自殺させられ、
重耳と夷吾は身の危険を感じ、それぞれ別の隣国に亡命する。
重耳はその時43歳であり、平凡な公子として過ごして来た半生から一変して
波乱万丈な人生が始まるのである。
重耳が亡命生活を始めてから5年後に父献公が死去し、奚斉が後を継ぐ。
しかし元々献公のわがままで選ばれた後継者である為、
家臣からの支持を全く得られずに、クーデターによってあっさりと殺されてしまう。
そうなると当然次男である重耳に白羽の矢が立つのであるが、
政情不安を理由に帰国を拒否し、弟の夷吾が後を継ぐ事になる。
もしも夷吾が名君であったならこれで重耳の話は終わるところだが、
夷吾は父に輪をかけて愚かな君主だった。
夷吾の愚行に関しては面倒なので書かないが、
その一つが兄重耳の帰国を恐れて暗殺を目論むというものだ。
弟に刺客を送られた事を知った重耳はそれを避ける為放浪の旅に出る。
その旅は非常に長く続き、
この時代の主要国全てを回るという長大なものだった。
やがて夷吾の支配は崩壊し、重耳は長い旅の末に君主の座に着くのだが
それは亡命を始めてから19年後であり、重耳は62歳になっていた。
当時の人間なら余生を送っている年齢になってようやく運が向き始めたのだ。
晋の君主となった重耳は71歳で亡くなるまでのわずか9年間で
荒れた国内を治め、国力を高め、周王朝や他国のトラブルを収め、覇者の座に着いた。
常識では考えられない手腕である。
重耳は若い頃からカリスマ性を持っていたらしく、
彼の周りには有能な人材が集まってきたという。
共に長い亡命生活を送り重臣となった彼らは、
重耳が覇者になる為の大きな原動力になった事だろう。
中国の歴史においては能力よりも人徳に優れた者が成功する例が多く、
これもその一つである。
周王朝を拓いた武王や漢王朝の劉邦にもこの特徴が見受けられるし、
創作ではあるものの、
三国志演義の劉備や水滸伝の宋江などもわかりやすい例である。
この人の人生に興味を引かれたのがきっかけで春秋時代を好きになった。
春秋時代は周という落ち目の王朝を
臣下の国々が支えるという状態で成り立っていて、
周の後見として他国を従える「覇者」というポジションを争う時代だった。
雑に例えると日本の戦国時代に若干似ていて、
覇者=征夷大将軍と考えるとわかりやすい。
400年弱に及ぶこの時代の中で特に偉大な二人の覇者を斉桓晋文と呼ぶ。
その一人が晋文、つまり晋の文公である。
彼が生まれた頃の晋は他国を従える程の力は無く、
そして文公は晋の太子ですら無かった。
単なる中級国の次男(さらに下かも知れない)というのが
後の覇者、文公の幼少時の境遇だった。
文公は本名を重耳といい、
兄の申生、弟の夷吾と共に才能ある公子として期待されていた。
しかし父の献公は愚かな人物で、
寵愛する驪姫の息子である奚斉を跡継ぎにしようとする。
自分の息子を跡継ぎにしようと企む驪姫の策略によって
長男の太子申生は自殺させられ、
重耳と夷吾は身の危険を感じ、それぞれ別の隣国に亡命する。
重耳はその時43歳であり、平凡な公子として過ごして来た半生から一変して
波乱万丈な人生が始まるのである。
重耳が亡命生活を始めてから5年後に父献公が死去し、奚斉が後を継ぐ。
しかし元々献公のわがままで選ばれた後継者である為、
家臣からの支持を全く得られずに、クーデターによってあっさりと殺されてしまう。
そうなると当然次男である重耳に白羽の矢が立つのであるが、
政情不安を理由に帰国を拒否し、弟の夷吾が後を継ぐ事になる。
もしも夷吾が名君であったならこれで重耳の話は終わるところだが、
夷吾は父に輪をかけて愚かな君主だった。
夷吾の愚行に関しては面倒なので書かないが、
その一つが兄重耳の帰国を恐れて暗殺を目論むというものだ。
弟に刺客を送られた事を知った重耳はそれを避ける為放浪の旅に出る。
その旅は非常に長く続き、
この時代の主要国全てを回るという長大なものだった。
やがて夷吾の支配は崩壊し、重耳は長い旅の末に君主の座に着くのだが
それは亡命を始めてから19年後であり、重耳は62歳になっていた。
当時の人間なら余生を送っている年齢になってようやく運が向き始めたのだ。
晋の君主となった重耳は71歳で亡くなるまでのわずか9年間で
荒れた国内を治め、国力を高め、周王朝や他国のトラブルを収め、覇者の座に着いた。
常識では考えられない手腕である。
重耳は若い頃からカリスマ性を持っていたらしく、
彼の周りには有能な人材が集まってきたという。
共に長い亡命生活を送り重臣となった彼らは、
重耳が覇者になる為の大きな原動力になった事だろう。
中国の歴史においては能力よりも人徳に優れた者が成功する例が多く、
これもその一つである。
周王朝を拓いた武王や漢王朝の劉邦にもこの特徴が見受けられるし、
創作ではあるものの、
三国志演義の劉備や水滸伝の宋江などもわかりやすい例である。
西遊記
中野美代子訳「西遊記」を読んでいる。
以前より物語の大筋は知っていたが、ちゃんとした書籍を読むのは初めてだ。
読み始めて特に驚いたのが三蔵法師のヘタレっぷり。
若くして国中の僧侶の中から選ばれ、
徳と知識に優れた高僧として華々しく登場した三蔵は
いざ旅が始まると単なる駄々っ子に変貌する。
疲れたり腹が減るとすぐに不平を言い出し、暑さ寒さにも腹を立てる。
ピンチになる度に泣き出し、毎回悟空に面倒をかける始末である。
さらに警戒心も弱く、油断しては妖怪にさらわれるというパターンを何回も繰り返す。
それでいてほぼ一人で奔走する悟空よりも八戒を贔屓する傾向にあり、
悟空と八戒が揉めると常に八戒の味方をする。
正直悟空に同情してしまう。
ちなみに三人の弟子も割りと適当で、三蔵が生死不明になると
すぐに解散しようとする始末だ。
あまりにもチームワークの悪いこの一行。
読む側としてはなかなか微笑ましいが、
このメンバーを選んだ観音菩薩の気持ちがいまいちわからない。
以前より物語の大筋は知っていたが、ちゃんとした書籍を読むのは初めてだ。
読み始めて特に驚いたのが三蔵法師のヘタレっぷり。
若くして国中の僧侶の中から選ばれ、
徳と知識に優れた高僧として華々しく登場した三蔵は
いざ旅が始まると単なる駄々っ子に変貌する。
疲れたり腹が減るとすぐに不平を言い出し、暑さ寒さにも腹を立てる。
ピンチになる度に泣き出し、毎回悟空に面倒をかける始末である。
さらに警戒心も弱く、油断しては妖怪にさらわれるというパターンを何回も繰り返す。
それでいてほぼ一人で奔走する悟空よりも八戒を贔屓する傾向にあり、
悟空と八戒が揉めると常に八戒の味方をする。
正直悟空に同情してしまう。
ちなみに三人の弟子も割りと適当で、三蔵が生死不明になると
すぐに解散しようとする始末だ。
あまりにもチームワークの悪いこの一行。
読む側としてはなかなか微笑ましいが、
このメンバーを選んだ観音菩薩の気持ちがいまいちわからない。


