【復習】
(12/4)将軍になった女
わが子の阿野時元(森優作)を鎌倉殿にしたい実衣(宮澤エマ)は三善康信(小林隆)に鎌倉殿になるための条件を尋ねる。実衣は三浦義村(山本耕史)を執権にする条件で時元を鎌倉殿にするための協力の約束を彼から取りつけていたのだ。
しかし、それは災いの種(おのれの対抗者となりうる人物)を排除するための義時(小栗旬)と義村が仕掛けた罠であった。
かくして時元は謀反人として自害に追い込まれ、実衣は事件への関与を自供して囚われの身となった。わが子を失い、自暴自棄となった実衣はじぶんの首を刎ねろと政子(小池栄子)に迫る。
傷心の政子は民と触れ合いたいと、町に出て施餓鬼を行った。どうして、みんなが政子の顔を知ってるんだというツッコミはおいといて、一人の少女との出会いから政子はある決心をする。
そのころ、義時はのえ(菊地凛子)が息子の政村(新原泰佑)を北条の跡取りにすべく口出しするのに閉口していた。
一方、朝廷は実朝薨去の知らせに、弔問の使者を送るとともに難題も押しつけてきたが、義時はこれを断固として拒否すると主張する。しかし、いつまでも鎌倉殿が不在では幕政が立ち行かなくなるため、後鳥羽上皇(尾上松也)の息がかかった親王ではなく、扱いやすい摂関家の子弟を鎌倉殿に戴こうと義時はいうのだった。
義時はまるで『平家物語』に登場する平清盛のように「わが意志こそが鎌倉の意志である」と言い放ち、政子と泰時(坂口健太郎)を不安にさせる。
新たな鎌倉殿の下向を求めるため、北条時房(瀬戸康史)が上京し、久々に蹴鞠外交で上皇との旧交を温めた。その結果、亡き頼朝(大泉洋)の実妹の曾孫で「寅歳の正月寅の月の寅刻」に生まれた三寅(中村龍太郎)を慈円(山寺宏一)が推して、鎌倉殿とすることになる。
摂家将軍・三寅が鎌倉に下向してくると、義時の独裁を阻むべく、政子が三寅を尼将軍として後見することになった。
※政子と泰時がタッグを組んで、義時の野望を阻もうとしたのであれば、少しは救われる話になるんだけれど、現実はそんなに甘くはないよね……。尼将軍の権威が北条氏による鎌倉支配に利用されたと見るのが現実的なんだろうけど、まあ、ドラマなんだし、少しぐらいナイーヴな夢を見てもいいか。血も嫌というほど流れてるしね。
(12/11)ある朝敵、ある演説
自らの野心のために我が子の阿野時元を失った実衣は尼になって政子を補佐していた。
最高権力者に上りつめた義時は政務に追われながら、若かりし頃の純真だったじぶんを思い返していた、
そんな折、京都で源頼茂(井上ミョンジュ)が乱を起こし、内裏が焼け落ちる。そのことに激怒した後鳥羽上皇はいよいよ鎌倉を支配する義時への敵愾心を強めていた。
上皇は内裏の再建費用を御家人たちに負担せよと命じるが、義時はそんな命令は無視せよと主張し、長沼宗政(清水伸)ら御家人たちは上皇と執権との板挟みになる。
義時の妻・のえの兄・伊賀光季が京都守護に任じられ、父・二階堂行政(野仲イサオ)は喜ぶが、実子の政村を北条の跡取りにしたいのえは満足していない。
一方、執権と上皇との板挟みになって戸惑う御家人たちの空気を敏感に感じ取った三浦義村は実弟の胤義(岸田タツヤ)を上皇に取り入らせ、北条に取って代わる千載一遇の機会を窺う。
尻尾を振ってきた御家人がいることに気をよくした上皇は、義時の呪詛を敢えて大っぴらに行わせ、鎌倉に揺さぶりをかけるとともに、足利秀康(星智也)には兵を集めさせる。
鎌倉に下向した摂家将軍の三寅は政子にすっかり懐いていた。
政子の後見を得た三寅は無事に着袴の儀式も終える。
ついに上皇は秀康に命じて、京都守護の伊賀光季を襲撃させ、対鎌倉の狼煙とさせた。
承久三年(1221)五月十九日、光季からの飛脚が到着し、鎌倉は騒然となった。
義村のもとにも義時追討の院宣が届いていた。さらに実弟の胤義からも挙兵の催促が届く。しかし、義村と宗政はそれらを持参して、義時に報告する。
こうなったら、上皇と戦うしかない。泰時は決意を込めて、そう進言した。
しかし、義時はおのれを守るために官軍と戦って、鎌倉を巻き込むわけには行かない、と自らの命をも投げ出す覚悟を皆に述べる。
政子たちは御家人を御所に招集する。
「故右大将軍(頼朝[大泉洋])が関東を草創して以降、官位といい、俸祿といい、その恩は山岳よりも高く、溟渤(大きな海)よりも深い」で知られる演説で尼将軍政子は御家人たちを一つにまとめ上げたのである。
(12/18)報いの時
承久の乱は次回作の予告(番宣)と思しきシーンで幕を開けた。
軍議では泰時が先陣を務めることになる。
義時は泰時に「鎌倉の命運をお前に託す」と述べ、北条の覚悟を示すため、兵が集まる前に即刻出撃せよという。
泰時が小勢で出陣したことを知った三浦義村は「兵は集まっても、せいぜいが二千。背後からこれを襲って、泰時の首を手土産に上皇方に寝返ろう」と長沼宗政に語る。
しかし、十八騎で出発した泰時の軍は続々と集まってくる御家人たちでたちまち万余の大軍に膨れ上がっていた。
大軍の泰時軍は木曽川で足利秀康が率いる官軍をあっさり撃破する。
京都に逃げ帰った秀康と三浦胤義は後鳥羽上皇に拝謁すると、もはや劣勢を盛り返すには上皇自身が陣頭指揮を取るしかないと、まるで大阪夏の陣で秀頼を戦場に引きずり出そうとした真田幸村(信繁)のようなことをいう。武略に自信過剰気味の上皇は「俺に任せろ!」と逸るが、乳母だった藤原兼子(シルビア・グラブ)にたしなめられて諦める。
上皇は泰時とともに攻め上ってきた北条時房を引見すると、関ケ原の戦いの後の淀殿のような手のひら返しで、官軍に加わった側近たちを切り捨てた。
上皇は義時へのとりなしを時房に依頼するが、歴史上初めて官軍を破った義時の裁きは厳しいものであった。文覚(市川猿之助)とのコントのようなやり取りの末、上皇は隠岐に流される。
回想シーンなどもあって、これまでのオールキャスト総出演といった風情のなか、義時が病に倒れる。
一方、武家政権初の明文法(御成敗式目)制定に意欲を見せる泰時。
義時の病は妻ののえに毒を盛られたせいだとわかる。しかも、その背後には、親友だと思っていた義村の存在があったというのだ。それを本人たちの口から聞かされた義時。
しかし、そんな絶望的な現実に直面しても、義時は幼馴染の義村を許し、これからも泰時を支えてほしいとまで口にする。二人きりになってしまえば、義時は伊豆の片田舎の純朴な一青年に戻ってしまうのだ。この会話に「以て六尺の孤を託すべし(もってりくせきのこをたくすべし)」という曾子の言葉を思い出してしまった。二人にはまるで似合わないが……。
義時は政子の前で、彼女の息子・頼家(金子大地)に手を下してしまったことをポロッと漏らしてしまう。
元仁(1224)元年六月十三日、義時はもっとも信頼し、愛する姉の手で止めを刺されることになる。享年六十二。
※()内はキャスト。敬称略
さんざん主人公の義時に都合のいい解釈でストーリーが繰り広げられた後、伊賀の方(のえ)ではなく、政子に止めを刺されるというブラックなラストこそ三谷幸喜さんらしいといえば、いえるのだろうか。
もっとも、真実味に欠ける、いささか強引で無理筋のストーリー展開も多く、率直にいえば、感情移入するのが難しかった回も少なくない。
改めて嘘(フィクション)を活かすには、その他のリアリティが大切だと感じた。
予習復習はこれが最後にはなるが、当初は25日まで放送があると思いこんでいたこともあり、前作(1979大河『草燃える』)との比較なども含めて、これまでの総括記事を書いてみたいと思う(年内に間に合うかどうかは分からないが……)
■「通称&年齢(数え)」つき配役表(敬称略)
〇義時をめぐる人びと
★北条「相州」義時(59):小栗旬
のえ(-):菊地凛子 ※義時の後妻(伊賀氏)
北条「修理亮」泰時(39):坂口健太郎 ※義時の嫡男
初(-):福地桃子 ※泰時の妻
名超「次郎」朝時(36):西本たける ※義時の次男
「陸奥四郎」政村(17):新原泰佑 ※義時の四男
鶴丸→平「左衛門尉」盛綱:きづき ※泰時の従者(御内人)
トウ(-):山本千尋
北条「五郎」時房(47):瀬戸康史 ※義時の異母弟
実衣(-):宮澤エマ ※義時の実妹(阿波局)
阿野時元(-)森優作) ※全成と実衣の実子
○鎌倉殿をめぐる人びと
北条政子(65):小池栄子
千世(-):加藤小夏 ※実朝の正室
三寅(4):中村龍太郎 ※後の四代将軍九条頼経(兼実の曾孫)
〇三浦党の人びと
三浦「平六」義村(-):山本耕史
「駿河次郎」泰村(-):● ※義村の次男
三浦駒王丸(-):込江大牙 ※義村の三男
三浦「九郎」胤義(-):岸田タツヤ ※義村の実弟
〇御家人たち
長沼「五郎」宗政(54):清水伸
☆大江広元(74):栗原英雄 ※中原親能の弟か?
☆二階堂行政(-):野仲イサオ ※頼朝の從叔父
☆三善康信(82):小林隆 ※頼朝の乳母の甥
○宮廷の人びと
★後鳥羽上皇(42):尾上松也
土御門上皇(27):●
順徳上皇(25):●
仲恭天皇(4):●
藤原兼子(67):シルビア・グラブ ※後鳥羽上皇の乳母
慈円(68):山寺宏一
藤原秀康(-):星智也
○その他の人びと
源頼茂(-):井上ミョンジュ ※源頼政の孫
運慶(-):相島一之
※()内は承久の乱時(承久三年)の年齢
※「」内は通称等。●印はキャスト未定(または不明)
※★は義時とそのライバル(後半各パートのラスボス)になると思われる人物
※☆は13人の宿老(義時とそのライバルをのぞく)
※登場し(てい)ない人物も含まれています(期待値込)