渡辺謙さんの『御家人斬九郎』が好きだ。
原作者の柴田錬三郎さんは「明るい眠狂四郎」をモチーフに、主人公の松平残九郎家正(通称:斬九郎)というキャラを造形したという。 しかし、原作は文庫一冊分しかなく、すぐにネタは尽き、そのためにテレビ独自のエピソードが多数つくられることになったようだ(ウィキペディア参照)
それがかえって幸運だったのかもしれない。渡辺謙さん他のキャストの魅力と、制作陣の愛情と遊び心に溢れる作品づくりの姿勢とがあいまって、テレビ版はより魅力的なシリーズへと仕上がっていった。
※なお、以下の文章にはタイトル作品のネタバレを含んでおりますので、ご注意ください。
例えば、蔦吉だ。原作では、彼女は「おつた」という、斬九郎の情婦であるに過ぎないが、若村麻由美さんという女優と、テレビ独自の設定を得て、数多ある時代劇の主人公たちにも引けを取らない、存在感のある、魅力的なキャラに生まれ変わっている。若村さん主演の『夜桜お染』にしても、蔦吉のイメージなくしては生まれえなかった企画ではないだろうか。
益岡徹さんが演じる「雷おこし」こと西尾伝三郎もそうだ。もし彼が原作のように、斬九郎にも匹敵するほどの、剣の達人であったなら、タイトルの「三十六人斬り」を始めとして、幾つかのエピソードは生まれなかっただろうし、益岡徹さんという役者がいなければ、「雷おこし」という、いかにも人間臭くて、まじめなくせにものわかりがよく、それがゆえにつねに葛藤を抱える、そんな愛すべきキャラも完成しなかったに違いない。
ともかくも、「明るい眠狂四郎」は、テレビ化を経て「思いきり現代的で、テレビ的で、わかりやすい、御家人斬九郎」へと変貌したのである。
「痛快娯楽時代劇」と銘打った番組はいくつもあれど、力技で強引に幕を引いて、もやもやしたまま終わるものも少なくない気がする。とりわけ、一昔前の時代劇には勧善懲悪で派手な大立ち回りがありさえすれば、痛快娯楽時代劇でとおってしまう空気があったように思う。
ハチャメチャな設定やストーリーであっても、理屈抜きに楽しめて、痛快で、最後にはほんの少しでも幸せな気持ちになれる作品こそが「痛快娯楽時代劇」と呼ばれるにふさわしいと思うのだ。そして、それはまさしく『御家人斬九郎』のことだといいたい(ただし、最終(第五)シーズンの最終回だけは除く)
そして、斬九郎と、岸田今日子さん演じる母・麻佐女とのかけあいが何といっても楽しい。時に名探偵、時に名軍師となり、時に食道楽、時に鼓の名手として、都度その表情を変え、時に視聴者を癒すコメディ・リリーフ(くそババア)にもなる。そんな八面六臂の活躍を見せる麻佐女様がじつによく、絶妙なスパイスをこの番組に加えている。
ずいぶんと前置きが長くなってしまった。
さて、タイトルの「三十六人斬り」(第三シリーズ、第四話)だ。テレビ版『御家人斬九郎』の中でも、もっとも「らしい」回の一つだと思うし、一番好きなエピソードだ。再放送があれば、録画して、繰り返し見てしまうこともある。馬鹿みたいだ。
蛇の目小路を暴力と恐怖で支配する赤札一家。そのボスが本田博太郎さんの演じる赤札久五郎だ。本田さん独特の血走った目とエキセントリックな言動が町奉行所の役人すらも震え上がらせ、恐怖で人々を縛り上げている感じをよく出している、
赤札一家の悪事の証人になるという、傘屋の弥兵衛を蛇の目小路へ迎えにいった伝三郎と岡っ引きの佐次。しかし、二人は久五郎たちに叩きのめされ、気を失っている間に証人の弥兵衛をさらわれてしまう。その失態を奉行に叱責され、瓦版には「与力の赤っ恥」と書き立てられ、伝三郎は夢にまでみてうなされる始末。
伝三郎の窮状を知った蔦吉は伝三郎を助けるように、斬九郎へ働きかけたり、町(蛇の目小路)の連中に発破をかけたり、あれこれと手を尽くす。根元りつ子さんが演じるお力は、金貸しの癖に慈母のような心根をもつ姐さんだ。できることをせずに、大切な人を失う心情を斬九郎に切々と語り、後で悔いが残らないよう、伝三郎に力を貸すことをすすめる。二人とも情が厚く、お節介焼きなのだ。
久五郎たちはある夜、伝三郎の組屋敷にまで上がり込んで、伝三郎とるいの夫妻を脅しにかかる。顔は青ざめ、声を震わせながらも、脅しには屈しないという伝三郎だったが、彼が恐怖で縮み上がっていたことはるいの目にもはっきりと映っていた。
唐沢潤さん演じる、るいは日ごろ、夫の伝三郎が、職ももたずにぶらぶらしている、幼馴染の斬九郎とつきあうことを忌々しく思ってはいたが、夫の危地に恥を忍んで斬九郎のもとを訪れ、久五郎を殺してくれと頭を下げる。「わたくしの態度が気に入らないのであれば改めます。あの人を死なせたくはないのです」。ふだんは夫を尻に敷き、誰に対しても遠慮なく物を言うタイプのるいだけに、余計に伝三郎を思いやる心情が思われて、強く沁み入る場面である。しかし、斬九郎は、伝三郎のプライドを慮ってこれを断るのだった。
死んだ旦那の遺産で悠々自適のお力は、半分道楽で金貸しをやっているようなところがあって、久五郎のビジネスにとっては何かと目障りな存在だ。斬九郎はそのお力のもとで、母・麻佐女の遊興費を稼ぐためにアルバイトをしていた。
久五郎の差し金でお力の命を狙った丈吉が捕らえられ、命の保証をしてもらえるならば、赤札一家の悪事の証人になるという。蛇の目小路に丈吉の身柄を引き取りに行く伝三郎と佐次、下っ引きの梅吉の三人。蛇の目小路の連中がたまり場にしている居酒屋。そこに、丈吉は隠れていた。居酒屋のまわりを十人ほどで取り囲み、久五郎たちが「丈吉を出せ」と怒鳴り散らしている。
居酒屋に屯していた連中は、久五郎を恐れて、丈吉を差し出そうとする。それを押し止め、伝三郎が一人赤札一家に立ち向かおうとする。「勝てっこねえよ」。止める佐次。「開けろ。負け犬にはなりたくないのだ」。決然と言い放つ伝三郎ではあったが、手足は震えている。
恐る恐る外へ出た伝三郎に、赤札一家が襲い掛かる。あわやと思われた瞬間、倒れたのは赤札一家の大男であった。人知れず現れた斬九郎に、久五郎の子分たちが次々と斬りかかっては返り討ちにされ、残った久五郎も信じられないといった顔で斬九郎を見ている。「狼の裁きはもういいだろ」。そういった斬九郎は一刀のもとに久五郎を斬り伏せた。呆然とそれを見ていた伝三郎が何かをいいかけた時、斬九郎は顔を近づけ、「何もいうな」と小声で制して、「伝三郎、おめえはやっぱり男の中の男だ」。そう言うと、斬九郎は伝三郎の肩をポンと叩いて、夜の闇に消えた。
後日、伝三郎の手柄を祝うために集まった斬九郎や蔦吉たちの前で、るいが夫の活躍を報じる瓦版を誇らしげに読み上げていた。瓦版には鍵屋の辻になぞらえたものか、「与力の三十六人斬り」の見出しが派手に躍っていた。