次は道の駅ではないのですが、
平和祈念公園 にやってきました。
私は沖縄には過去何回か訪れていますが、平和祈念公園に来るのは実は初めてなのです。
沖縄は第二次世界大戦の最後の激戦地になった場所で、兵士、民間合わせて20数万人が犠牲となっています。
ここ糸満市だけでも、当時の住民の4割弱の方がお亡くなりになったのだそうです。
案内に従って駐車場に車を停めると、まず最初に目に付くのがこの天を衝く真っ白い塔です。
これは “沖縄平和祈念堂” といいますが、この堂の中には沖縄出身の芸術家である “山田真山画伯” が18年の歳月をかけて制作した高さ12m、幅約8mの琉球漆工芸の坐像が安置されています。
この山田画伯ご自身も、沖縄戦で子供さんを亡くされているのだそうです。
これが記念堂の配置図です。
この平和祈念公園自体は、全部で39.85haという広大な広さがありますが、その中心部分だけ、その配置図をご覧頂きましょう。
この配置図の左下のところに先ほどの “沖縄平和祈念堂” があるのですが、その道を挟んだ右手にエントランス広場があり、そこにはシンボルとなる時計塔があります。
その時計塔の先にあるのが、テレビなどでよく出てくる、“式典広場” です。
そして目を配置図の上方に移すと、このような不思議な建物群が建っています。
これが実は “沖縄県平和祈念資料館” で、たくさんの屋根がありますが、中身は一つの建物です。
この資料館には悲惨な沖縄戦の歴史と教訓を後世に伝えるための様々な資料が展示されており、この日は修学旅行生らしいたくさんの学生たちで溢れていました。
私たちは、この資料館にある展望室に上がってみました。
この見事なまでに美しい絶景の海岸線で、かつて悲惨な戦いがあり、多くの方が亡くなられたことを考えると不思議な気がします。
真下にある公園には、ご覧のような砲弾なども展示されています。
そしてそれより少し先に目を移すと、このような光景があります。
この放射線状の中央にある丸い広場が “平和の広場” で、その中央に “平和の火” が灯っています。
展望台を下りて、そちらへ行ってみることにしました。
下から見た資料館がこれで、一部高いところがありますが、これが先ほどの展望室です。
そして、展望室から見下ろした、“平和の広場” にやってきました。
丸い平和の広場の中央にあるのが “平和の火” です。
平和の火の周りには水が張ってあり、そこには日本列島と周辺諸国が描かれています。
平和の火を中心にして放射状に円弧の形で配置されているのが、“平和の礎(いしじ)” です。
これは写真や映像で見たことはありましたが、実際にここへきて、これほどまでにたくさん立っているとは知りませんでした。
この放射状の形は、平和の波が広がって行くイメージでデザインされたものなのだそうです。
屏風状の石碑には、ぎっしりと名前が刻まれており、英語名もあればハングル文字、中国や台湾らしいお名前もあります。
日本人の場合は、都道府県別に並んでおり、沖縄の方たちは村ごとにお名前があります。
兵士として亡くなられた方もいれば民間の犠牲者もいます。
そして敵味方の区別なく名前が刻まれており、その数は現在24万1千人を超えています。
今日、沖縄には美しい自然を求めて多くの観光客が訪れます。
戦後の沖縄観光の始まりは、沖縄戦で家族を失った、全国各地の遺族による慰霊訪問が最初だそうです。
悲しい歴史があり、多くの犠牲になった方たちの上に、現在の平和があることを忘れてはならないと思います。