北関東の旅:群馬で最も新しい道の駅!“くらぶち小栗の里” | 全国の“道の駅”完全制覇の夢!

全国の“道の駅”完全制覇の夢!

全国の道の駅巡りをしています。
2006年12月に旅をスタートし、7年半を費やして一応全国制覇を達成しました。

でも、その後に新しい道の駅が次々に誕生し、全国1221カ所に達しています。
私が走破したのはその内の1204カ所ですから、まだまだ旅は続きます。

4日目にはいりました。

渋川市街地のホテルを出て最初に向かったのは
道の駅くらぶち小栗の里 で、今年の4月にオープンしたばかりです。









少し拡大した地図をつけてみました。

宿泊したので渋川市街です。
ここから目的の道の駅への最短距離は、“伊香保温泉郷” を通り、榛名山山麓の “榛名湖” を経由し、“榛名神社” を横目に見て国道406号に出るという、山越えのコースです。





これが榛名山と榛名湖です。
お天気は快晴で、実に気持ちの良いドライブです。

“道の駅くらぶち小栗の里” は、2014年度の道の駅登録で、4月にオープンしましたから訪問した時点ではまだ1か月しか経っていません。

当然地図にも載っていませんが、“高崎市倉渕支所” に隣接していますから、この役場をナビの目的地にすることで迷うことなく到着できました。







ホテルを7時50分に出発し、到着が8時50分でしたから、ちょうど1時間です。
開店が9時ですから、まだ店舗は開いていません。

写真を撮りながら周りを歩いてみました。







建物の手前に坂道があったので、上ってみました。





するとそこは道の駅の2階に繋がっており、奥の鉄筋の建物が “高崎市役所倉渕支所” です。
どうやら道の駅に停められない大型車は、この倉渕支所の駐車場に誘導するようです。

そして道の駅の2階の入り口が開いていたので、入ってみました。





そこは休憩所兼情報コーナーになっており、道の駅スタンプも置いてありました。
あとで分かったのだけど、スタンプは1階と2階のどちらにもあります。





休憩コーナーの前はウッドデッキになっていて、ここからの眺めはなかなかのものです。



(パンフレットより借用)

道の駅の配置図はご覧のとおりで、2階には先ほどの写真の屋上デッキと休憩コーナーのほか、多目的ホールや調理室があります。
休憩コーナーは24時間入れるのですね。

そろそろ9時になったので、1階に下りてみました。











ご覧のように地元の杉材をふんだんに使った、明るくて開放的、ゆったりした造りになっています。
やっぱり新しい道の駅というのは良いものです。





これは1階にある “展示室” です。

ところで、道の駅の名前にある “小栗の里” というのは、どういう意味なのでしょうか?
その訳が食堂の前にあった、この屏風でわかりました。





“小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけ ただまさ)” という人物は、日本近代化の父と呼ばれています。

旗本の子として江戸で生まれ、ペリーの浦和来航時が25歳です。
やがて “遣米使節目付” としてアメリカに渡り、アフリカ、アジアを巡って帰国します。



(前列右から二人目:パンフレットより借用)

米国で学んだ豊富な知識、見聞を活かし、外国奉行、勘定奉行、陸軍奉行、海軍奉行などの要職を歴任し、横須賀造船所の設立、日本初の株式会社の設立、仏式軍隊の導入、訓練などと日本近代化の方策を次々に実行します。

幕府が滅んだあとは、上州権田村(現:群馬県倉渕)に移り住み、アメリカ帰りの仲間4人と共に若者の教育を目指しますが、小栗公の実力を恐れた西軍により、小栗親子、家臣ともども無実の罪で斬首されてしまいます。

激動の幕末を幕府側で活躍した人物ですが、「明治の近代化は小栗の敷いたレールの上になされた」 といわれる様々な業績を残しています。


道の駅巡りは、今まで知らなかった歴史上の偉人に出会うことも楽しみのひとつです。





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