静岡・山梨の旅:伊豆の踊子の舞台!“天城越え” | 全国の“道の駅”完全制覇の夢!

全国の“道の駅”完全制覇の夢!

全国の道の駅巡りをしています。
2006年12月に旅をスタートし、7年半を費やして一応全国制覇を達成しました。

でも、その後に新しい道の駅が次々に誕生し、全国1209カ所に達しています。
私が走破したのはその内の1197カ所ですから、まだまだ旅は続きます。

「伊豆のへそ」 から30分ほど南下し
道の駅天城越え へやってきました。







ここは正に伊豆半島のど真ん中、“へそ” に当たる場所です。

この三島と下田を結ぶ “下田街道” の中で、ここ天城山を越える “天城峠” はその昔から旅人を苦しめる最大の難所でした。

峰を挟んだ天城六里は峻嶮な峰が “屏風のような障壁” と形容され、旅人は喘ぎ喘ぎ急坂を上り、狼の足跡に怯えながら、灯り一つない峠で苦難の旅を強いられたのです。





これは安政2年にハリスの一行が江戸に向かう為天城峠を越えた際の様子を、ハリス自身が 「日本滞在記」 の中に記したものです。

この伊豆半島最大の難所は、明治37年 “旧天城隧道” の完成でようやく解放されます。

川端康成の小説 “伊豆の踊子” や、松本清張の “天城越え” は、この旧天城隧道がその舞台になっています。


そして昭和45年の新トンネル開通により、旧天城隧道はその役割を終えたのです。







峠の小さな道の駅を想像していた私は、まずその大きさに驚きました。





まず正面左にあるのが “昭和の森会館” というメイン施設で、その右手は “山のレストラン 緑の森” です。





更にその右手には、“天城わさびの里”“たけのこかあさんの店” が並んでいます。





全体の配置はこのようになっていて、駐車場もかなりの広さですが、ほぼ埋まっていました。

配置図の左端に “井上靖旧邸” というのがありますが、これは実際に井上靖が住んでいた家屋をここへ移設したものです。





これがメイン施設である “昭和の森会館” の玄関です。

“昭和の森” というのは昭和53年3月、昭和天皇在位50年を記念して、林野庁が天城峠一帯の約1600ヘクタールの国有地を “天城山昭和の森” に指定したことで誕生しました。

いくつもの遊歩道が整備され、伊豆の踊り子が辿った “踊子歩道” を始め、9本のハイキングコースが作られています。





“昭和の森会館”“レストラン緑の森” は、次のような配置になっています。







最初に目についたのは、このポスターです。





天城越え といえば “石川さゆり” ですよね!


 隠しきれない 移り香が
 いつしかあなたに 浸みついた
 誰かに盗(ト)られる くらいなら
 あなたを殺していいですか

 寝乱れて 隠れ宿
 九十九(ツヅラ)折り 浄蓮(ジョウレン)の滝
 舞い上がり 揺れ堕ちる肩のむこうに
 あなた・・・山が燃える

 何があっても もういいの
 くらくら燃える 火をくぐり
 あなたと越えたい 天城越え



この歌詞にある “浄蓮の滝” は、この道の駅に来る少し手前にありました。





ここは陶器などの民芸品などが売っていますが、その奥が “森の情報館” “伊豆近代文学博物館” などに通じています。

博物館の方は有料ですが、既に名前の出た “川端康成” “松本清張” “井上靖” を始めとした伊豆にゆかりのある120名の文学者の資料や直筆原稿などが展示されています。





そして中庭はきれいに整備されて、ブロンズ像や噴水が配置されていました。






レストラン緑の森の手前にある売店で、ワサビ漬けを土産に買いました。









天城はワサビの産地で、別棟に “天城わさびの里” というわさび生産者の直営店があります。





そこには生ワサビや三杯酢などがあり、試食させて貰うととても美味しかったのですが、冷蔵しないと持ち帰れないと言われて諦めたものです。



かつて人々の往来を拒み続けたここ天城峠は、今は買い物やハイキングを楽しむ人たちの憩いの場所になっていました。









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