鎌倉にある建長寺です。

 


巨福山建長興國禪寺といい、臨済宗建長寺派大本山。
寛元4年(1246年)、南宋の僧蘭渓道隆は日本に禅を広めるため商船に乗って来日。泉涌寺の月翁智鏡を頼って泉涌寺来迎院に滞在した後、鎌倉寿福寺に移ります。
一方、宝治元年(1247年)、宝治合戦で有力御家人三浦泰村を滅ぼした鎌倉幕府5代執権北条時頼は、鎌倉武士の心の拠り所とするため禅を奨励。同年、永平寺にいた曹洞宗開祖・道元を鎌倉に呼び参禅。鎌倉に寺を建てることを提案するも、道元はこれを断り永平寺に帰山。蘭渓道隆が鎌倉に来ていることを知った時頼は、常楽寺住職に迎えるとともに、鎌倉に本格的禅宗寺院の建立を志します。
付近は刑場で地獄ヶ谷と呼ばれ、伽羅陀山心平寺という寺が建っていました。時頼は心平寺を小袋坂に移し、建長5年(1253年)、蘭渓道隆を開山としてこの寺を創建。蘭渓道隆は元寇の際、鎌倉幕府7代執権北条時宗から密偵の疑いを掛けられ、甲斐東光寺や伊豆修善寺に移ります。その後は時宗に許されて建長寺に戻り入滅。正応6年(1293年)、鎌倉大地震により倒壊。その後も火災に遭い、正中2年(1325年)、建長寺及び焼失していた勝長寿院の再建費用捻出のため元へ貿易船が出され、勝長寿院・建長寺造営料唐船、建長寺船と呼ばれました。戦国時代に衰退。近世、徳川将軍家の寄進によって復興。
鎌倉五山第一位。
 

 

三門。

重要文化財。

安永4年(1775年)、上棟。

 

 

仏殿。

重要文化財。

正保4年(1647年)、江戸増上寺の崇源院(浅井江/江戸幕府2代将軍徳川秀忠の御台所)霊屋を移築したもの。

 

 

本尊・地蔵菩薩像(撮影可)。

仏堂に安置されています。

 

 

法堂。

重要文化財。

文化11年(1814年)、上棟。

 

 

唐門。

重要文化財。

仏堂と同じく、江戸増上寺の崇源院霊屋から移築したもの。

 

 

鐘楼。

 

 

梵鐘。

国宝。

建長7年、創建当時のもの。

 

 

 

建長寺;神奈川県鎌倉市山ノ内8