寺町通広小路上るにある清浄華院です。

 

 

浄土宗大本山。

寺伝によれば、円仁が清和天皇の勅により宮中に開いた道場がはじまりであるとし、後白河法皇が法然に与えて浄土宗の寺になったとしています。

乾元2年(1303年)、浄土宗鎮西派一条流を創始した浄華坊証賢是心が、三条坊門高倉にあった専修院を譲り受け、浄華院としたのが実質的な開山であるとされます。足利直義による等持寺建立のため室町東洞院に移転。天正年間、豊臣秀吉の都市改造で現在地に移転。この頃、同じ浄土宗の金戒光明寺との間で本寺末寺の争いが起こり、金戒光明寺を末寺とすることで決着するも、慶長15年(1610年)、金戒光明寺は清浄華院から独立。宝永の大火、天明の大火などで焼失、それ以降の再建。

 

 

勅使門。

 

 

御影堂。

清浄華院の本堂で、法然上人御影を祀ります。

 

 

大方丈。

 

 

智満方供養塔。

堤千万(春光院/1747~1811)は薩摩藩8代藩主島津重豪の側室。中納言堤代長女。清閑寺竹姫(権大納言清閑寺熈定女。江戸幕府5代将軍徳川綱吉、8代将軍徳川吉宗の養女となり薩摩藩5代藩主島津継豊に後室として嫁ぐ)付きの上臈を経て、島津重豪の側室となり、薩摩藩9代藩主島津斉宣を産みました。天璋院篤姫の曾祖母。

堤家が清浄華院塔頭・松林院(平成15年、本坊と合併)の檀家であったため、島津家がこの供養塔を建てたそうです。

 

 

推定法成寺址礎石。

令和4年(2022年)、京都御苑東側のマンション建設工事で出土したもの。現地は藤原道長が創建した法成寺の一角に当たると推定されています。工事関係者が一緒に出土した石仏とともに清浄華院に供養を依頼。こちらに移されています。

 

 

石仏。

推定法成寺礎石と同時に出土したもの。法成寺に関係するともいいます。

 

 

 

清浄華院;京都市上京区寺町広小路上る北之辺町395