大阪にある生國魂神社です。

 

生國魂神社

 

「日本書紀」で孝徳天皇が難波宮跡を築く際に生國魂社の木を切った記述があり、これ以前の創建。「延喜式」にみえる古社。生玉社とも呼ばれました。

もとの鎮座地は上町台地北端。上町台地は北へ行くほど高くなっており、その最も高い場所(大坂城天守付近)に鎮座、かつては広大な神域を持っていました。室町時代、上町台地北端に石山本願寺が築かれると、その寺域に取り込まれて存続。羽柴秀吉が石山本願寺跡地に大坂城を築くにあたり、現在地に移転しました。豊臣秀頼寄進の社殿は、大坂夏の陣で全焼。徳川家が再興するも第二次世界大戦中の大阪大空襲で焼失。復興した社殿も昭和25年、ジェーン台風で倒壊。現在の社殿は昭和31年、鉄筋コンクリートで再建されたもの。

 

生國魂神社

 

拝殿。

 

生國魂神社

 

本殿。

主祭神は、生島神、足島神。

 

生國魂神社

 

井原西鶴像。

近世、生國魂神社の境内は物見客を集めて芝居や興行が盛んに行われました。

元禄期の文人、井原西鶴は元俳諧師で、延宝元年(1673年)、延宝5年、延宝8年、生國魂神社境内において物見客を集めて独吟俳諧を決行。このときに詠んだ俳句はそれぞれ「生玉万句」「俳諧大句数」「西鶴大矢数」として出版。40過ぎたころから作家に転身、「好色一代男」「好色五人女」などを刊行。歌舞伎や浄瑠璃の原作も手がけました。西鶴と生國魂神社の縁を記念して像が建てられています。

 

 

 

生國魂神社;大阪市中央区天王寺区生玉町13-9