連載12【長澤松平風聞記】 その12 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

松平は、三代目信光の代で、

 

爆発的に勢力の広がりを見せた

 

それは、信光の子が48人いたということと

 

信光自身も勢力的に活躍をし、

 

いい補佐役にも恵まれ

 

リーダーとしての素質が充分にあったから

 

と言えるだろう

 

そして、その信光は

 

岩津を拠点として30年活躍をしたと言われている

 

岩津で暮らしながら

 

京都や三河をあちこちと

 

行ったり来たりしているのである

 

もとは豊田市の松平郷から

 

出てきた位も何もない、一族である

 

豊田の豪族が

 

なぜ、岩津に拠点を置いたのか

 

それは、

 

岩津

 

という地名にも残されているように

 

岩津の地が、「津」であったから

 

つまり、水運が非常に発達していた

 

または、さらに発達が見込めると

 

睨んだからと思われる

 

現代とは違い

 

当時、一番の主要交通路は

 

水運である

 

一番早く到着し

 

一番多く荷物を運ぶことができた

 

と言われている

 

荷物と言っても、商売につながるものだけではない

 

武器や人も多く運べただろう

 

目の前には水運の主要場所となった岩津

 

背後には自然の要塞となりうる山々

 

そして、岩津城を守るように

 

周りには砦城を7城配した

 

これだけの範囲において

 

これだけの数の城が確認される土地は

 

全国的に見ても、ここ

 

岩津しかないそうである

 

岡崎市岩津町の岩津城は

 

岡崎城と共に

 

非常に重要な意味がある城である

 

岩津城についてはコチラをどうぞ

 

地元ボランティアさんたちのご活躍が

 

素晴らしいです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▶︎行ってみよう❣️

岩津城址はコチラ